パリア
闇の世界の北側に存在する、極寒地。
猛吹雪が吹き荒れ、訪れる者を絶えず冷気が叩きつけ続ける白き拷問所。皮膚を裂くような痛みが血管を収縮し、人間が訪れれば五秒もたたずに氷漬けになるという。
そんな猛吹雪の只中、まるで日が差し込む緑の草原にでもいるかのように、仰向けに寝そべってる少女がいた。
水色の長い髪、服もまた水色であり、白い雪玉模様が可愛らしい。首元には赤いマフラー、赤い長靴を履いており、分厚いとんがり帽子を被っている。一応防寒はしているようだが、この程度で防げるような吹雪ではない。
その少女はふと起き上がると…遠方に視線を向けた。
「お?やっと来たかな〜」
雪が眼球に入る事も恐れず、目を見開き、左手を振るいだす。こんな悪天候の極みの中、待ち合わせをしていたのだ。
暗がりと雪の中から、不機嫌な顔で現れたのは…。
黒髪を雪で白く染めた、闇姫だった。
「パリア。来てやったぞ」
パリアと呼ばれた水色の髪の少女は、雪を片手で掴み上げ、握り潰す。
その仕草には、底知れない闘気が宿っていた。
パリア。
闇の世界の氷の大地からやって来た、氷の悪魔。元々は魔力の氷でできた城に勤め、高名な貴族の世話を任されていたというが、あまりにも頭が悪すぎて追い出されたという。
以来、道行く闇の住人達に意味もなく迷惑をかけて困らせているという、同胞の悪魔達でさえ関わる事を拒む厄介者。
闇姫は彼女の前に胡座をかき、パリアは腕を組んで見下す。
闇姫が唯一、自身への無礼を穏便に見過ごす人物でもある。その理由は…礼儀の[れ]の字も知らず、何回言っても理解しない為。
「相変わらずブッサイクだなぁ闇姫は!」
「うるせーゴミヅラ。わざわざこんな所に私を呼び出して何の用だ。まあテメェの事だ。どうせ大した用事も無いんだろうが」
パリアはにんまりと微笑む。
「よくぞ聞いてくれたね!可愛い闇姫ちゃん!」
ご覧の通り…話してるだけで相手を疲れさせる。
パリアはその場で回転し、無意識に闇姫の顔に雪を蹴飛ばした後、片手から何かを取り出した。
…トランプだ。
「ババ抜きしよう!!!」
この場所に呼び出した理由。
闇姫はてっきり、パリアなりの決闘にでも誘おうとしていたのかと思っていた。だが実際は…この通り、何とも間抜けな理由。
(この馬鹿が誘ってきた理由も予想できなかった私も、馬鹿という訳か)
城での作業もある。部下たちに修行もつけなくてはならない。
こんな場所でババ抜きなど付き合っていられない。…心では、確かにそう思っていたのだが。
パリアは、遊びを断られると…暴れ出すのだ。
「あれ?闇姫、今背中向けようとした?」
黒い声が、闇姫の背中を撫で、そして僅かに掴む。闇姫は振り返った。
パリアは、トランプを手にしたままこちらを見つめていた。ただ、まっすぐに…。
このままここを去れば、たかがババ抜き、されどババ抜きという名目で、パリアはこの雪山を跡形もなく破壊するまで暴れ狂うだろう。
「仕方ない」
あくまで冷静に、しかし内心では過去にないレベルのため息を漏らし、パリアに応じることにした。
そして、始まってしまった。
純白の嵐の中、二人は互いにトランプを持ち合い、居心地の悪い硬い雪の上で正座し、睨み合っている。
これだけ吹き荒れている雪だが、二人が魔力を展開する事で、トランプには一欠片の雪もかからない。
パリアは、この勝負を邪魔させない、という強い意思が、闇姫は、さっさと終わらせよう、という、面倒事を前にした時の典型的な思考が鋭く表れている。
「よーしっ!」
パリアは手を振り上げ、吹雪で飛ばされそうになったトランプを慌てて空中でキャッチ。
「おい。今裏見えたぞ」
「関係ない!」
ババの位置が丸分かりのトランプを構えてニチャニチャとした笑みを見せるパリアが、目の前に腰を下ろしてる。
どこまで茶番じみているのだ、この状況は。
闇姫の指が、2枚のトランプのうち片方に添えられる。
その瞬間、パリアの表情筋が、面白い程に上に向かって歪んだ。
黙ったまま、闇姫はもう片方のトランプをつまみ上げる。
「あっ、どうして分かったの!?」
赤いスペードを指先でひらひらと揺らしながら、闇姫は目を細める。得意げだが、その目はただただ呆れしかない。
今度は、闇姫が二枚のカードを揃え持つ。
パリアは楽しそうに、闇姫の手元のトランプの上で指を踊らせる。
「どれかなーー??どーれーかーなー!!」
右へ、左へ、裏返しのカードに目を走らせる。
闇姫の表情は…依然として動かない。
この極寒地で顔が凍りついたのかと思うくらいに、全てが固定されたその顔。
「おい!ルール違反だぞ!」
パリアは唐突に、怒鳴る。
「何がだ」
「ババ抜きの時は分かりやすく表情を変える!!常識だろ!!」
頭の悪さもここまで来ると、彼女が先程ジョーカーを抜いた際に悔しそうな反応を見せていた事も疑わしく思えてくる。
うざい。ひたすらうざい。
そんな無粋とも言える言葉だけが、闇姫の頭の中に反響し続けていた。
パリアはしばらくの間唸り続けていたが、やがて決意、一枚のカードを抜き取った。
そこには…嫌らしい笑みを見せる、ジョーカーの姿が。
「ちっくしょおおおおお!!!!」
その叫びで、大気が殴られる。
雪崩が発生し、闇姫が拳を突き出した衝撃で雪崩を消滅させたのは僅か数秒後の事だった。
それからも、不毛なババ抜きは続く。
パリアは徐々にカードの数を増やしていった。
勝負を終わらせる気はなく、自分が勝つまでこの雪山に闇姫を拘束し続けるつもりだ。
単に数を増やすだけに留まらない。
「おら!どうだ!これで取れまい!」
氷の悪魔たるパリアが得意とするのは、当然氷の魔術。彼女はジョーカーを氷漬けにし、闇姫の前に突き出した。ジョーカーを隠す、というババ抜きのルールすら無視し始めている。
闇姫は適当に指先に炎を宿し、氷だけを器用に溶かし、ついでにその炎をパリアの顔に向けて投げつける。そしてその炎を、パリアは吐息一つで消し飛ばす。
時には、闇姫の目の前で足をばたつかせ、雪の煙幕を張るという無駄な抵抗をも試みた。その場合は、普通に手を伸ばして普通にカードを引き抜けばいいだけ。
対処法を考える必要すらない。ここまで退屈なゲームも珍しい。
「次のターンで終わりにしろ。テメェと違って暇じゃない」
「あ〜〜〜、そう〜〜〜?」
嫌味ったらしく、目を細め、腰に手を当てる。
するとパリアは、最後の足掻き…とばかりの事を始めた。
「なら、こん中から引いてみせろ!!」
彼女は瞬時に大量のカードを取り出してみせた。
総計二十枚は確実に持っている。一体どうやって持っているのか。
裏面を向けられたカードの陣列。それらの九割がジョーカーだろう。
そしてそのジョーカーを当ててしまった場合、このゲームはまた継続される事になる。いや、もはやパリアを相手しているという時点で[あがり]などはじめから用意されていない可能性すらあるが。
ここは慎重にいく必要がある。今までは煽りもかねて適当にあしらってきたが、今だけは。
闇姫から見て左端から指を添え、少しずつ右へと移動させていく。
一枚目、二枚目、三枚目…。パリアの目が、闇姫の指先を辿っていく。
(…どれがババだ。直感で感じ取るしかねえな)
どこまでも冷静に、どこまでも慎重に…。
これが最終ターンになるかもしれないのだ。パリアも流石に油断は許さないだろう…。
そして、十六枚目のカードに闇姫の指が添えられた瞬間。
パリアは、ニチャリと笑った。
「…」
もはや馬鹿馬鹿しくてババ抜きも当分やりたくない。
カードを取り上げる事すらせず、右足を勢いよく振るう。その足先は無数のカードを掠め…。
全てまとめて、真っ二つに切り分けてしまった。
「何するんだぁーーーっ!!」
パリアが両手を振るう。
振るった際の風圧一つで、あれだけ激しかった吹雪は全て吹き飛ばされ、積もっていた雪までもが吹き飛んだ!!
今までにない雪の濁流が闇姫の全身を叩きつける。
(畜生キレやがった)
雪を払い、霧を蹴りで切り分ける。
その先には…氷の悪魔とは思えない程に顔を真っ赤に染め、拳を震わせるパリアの姿があった。
彼女からしてみれば、折角の楽しいゲームが強制的に、暴力的に終了させられたのだ。怒り狂っても無理はないが、悪魔である、闇姫からしてみればその露骨すぎる怒りもまた、パリアの頭の悪さがよく表れている、と冷たく見下す種となる。
パリアは怒りに身を任せ、右手に魔力を集中し始めた。すると彼女の右手は青く輝く氷に包まれ…鋭い刃となる。
「一発切らせろおおおお!!!」
頭の弱さ故に惜しみなく放ち続ける莫大な魔力により、存在するだけで、雪の下敷きとなっていた周囲の岩肌が捲れ、崩壊していく。
彼女を怒らせるとご覧の通り面倒だ。
一瞬で終わらせるべく、闇姫は構えを取る。
突き出される氷の刃。それに狙いをつけ、闇姫は手刀を振り下ろす。
(私は何しにここへ来たんだ)
最早それすら分からなかった。
氷の破片が飛び散り、闇姫は軽く首を横にずらして顔面への直撃を回避する。純白の地面に散らばる冷たい宝石達。
手刀はそのまま、氷の下に隠れていたパリアの手へと叩きつけられる!
「っ!?!?」
痛みが、パリアの脳へと落雷のような衝撃を与えた。
これほどの衝撃を一度に与えられては、どんな怒りも流石に上書きされざるを得ない。
肉体が意識の変化に適応しようとしたその隙に、闇姫は足を振るう。
先程カードを引き裂いたあの一撃。それが、パリアの一見細い首へと叩き込まれる。
「わぎゃあああ!!」
横へと派手に転がるパリア。冷たい土の上に何度も頭をぶつけ、一際大きな岩石に衝突する。人間ならどれか一つでも浴びれば死にかねない勢いだが…氷の悪魔たる彼女は、痛みを感じるだけだった。
「…アタシ、何で怒ってたんだっけ?」
脳が強引に揺さぶられ、今度こそ完全に怒りを忘れたようだ。
暴れる理由は無くなった。今ならここを去っても文句は言われないだろう。
背中を向け、さっさとその場を後にしようとする闇姫。逃げるなら、今のうちだ…。
…と思われた矢先。
「あっ!どこ行くんだよお〜〜」
今の今まで尻もちをついていたはずのパリアが、闇姫の腰に両手を回してしがみついてきた…。
「置いていこうたって、そうはいかないよ?今度は折り鶴でも作って遊ぼうぜえ〜」
百戦錬磨の闇姫の人生の中でさえ、最大級の厄介な存在。
それが、このパリアという氷の悪魔だった。




