お菓子の世界
どれだけ走っても無機質なタイルが永遠と続く。周りには何もないので、同じ場所を何度も通っているように錯覚する。でも、だからこそ、体を鍛えるにはちょうど良い空間だった。何も考えずに前へ走り続けられる。空間全体がルームランナーのようだった。この動作も、時間のわからないこの場所で、一日の感覚を忘れないための日課の一つだ。
そんな日課も、リベアが眩い光を出したら終わりの合図になっている。リベアが世界の生成を終わらせたようだ。今回はどんな世界を作ったのだろう。これまでと同じペースで光を放つ方向へと走る。
光に近づくに連れて、辺りも明るくなり、姿が鮮明に見えてくる。リベアは自分の体の何倍もある、石製の椅子の上に立っていた。そして、蒼玉のような瞳できょろきょろと何かを探している。その度に、膝まである雪のように白い髪は左右に大きく揺れ、吹雪いている。ここには僕とリベアしかいない、つまり僕を探しているのは考えなくてもわかる。まだ距離があるので手を振りながら大きな声で名前を叫んだ。
「リベアさーん!」
どうやら声は届いたようでリベアも僕の方を見て手を振ってくれた。それと同時に背中に隠した4枚の淀みない翼を開き、高く跳ねた。翼を動かし、僕の前へ飛んできて降り立つ姿は、まさに神と言わんばかりの神々しさだった。
「待たせちゃいましたね、優也。新しい世界ができましたよ。さぁ、こっちです」
差し出した手に触れる。真っ白な肌に覆われる僕の手は、柔らかく暖かな感覚に襲われる。それにリベアからいつもとは違う懐かしい匂いがする。生きていた頃に何度も嗅いだ甘い匂い、だけど何故か思い出せない。
「今回は良い世界ですよ。早く行きましょう! 」
今日のリベアはいつもよりも興奮していて、早く世界を見てもらいたいと顔に書いてあるようだ。進む足は速くなり、細い腕からは考えられないほど強い力で引っ張られる。付いて行けない速さになって引き摺られてしまう。
「ちょっと待ってください、腕がちぎれます! 助けて! 止まって! 」
「あぁ、ごめんなさい」
急に体を止めたリベアにぶつかってしまう。前のめりになっていたので頭から横腹に突っ込んだ。しかし、リベアはピクリともせず、僕の頭が割れるように痛い。目の焦点が合わず、立ち上がれなくて倒れた。
「もう……本当にごめんなさい。いつもこんなのばっかりで……」
そう言いながら頭に治癒魔法をかけてくれた。奇跡と言える速さで痛みが抜け体の感覚も元に戻る。焦点があった目に入るのは、顔を近づけてきていたリベアだった。精巧に作られた人形のように一切の汚れがなく、綺麗な顔がすぐそばにある。問題は今にも泣きそうになっている事だ。これまでの失敗を思い出してしまったのか顔全体が赤くなり、涙を流すまいと我慢をしているが、堤防はもうすぐ決壊しそうだ。
もし恋人だったり、彼氏、彼女の関係ならばもっと積極的な行動を取れるのだろう。だけど、ただの契約関係の間柄では出来ない。関係を壊す勇気はない。
「大丈夫ですよ。リベアさんが頑張っているのは分かりますし、それに生きていた頃より今の方が楽しいですから。だから泣かないでください」
だから、こんな風に適切な距離を保つしか出来ない自分が一番嫌いだ。僕の言葉が届いたのか顔を隠しながら、音を出して、両手で自らの顔を叩いた。向き直ったリベアは両頬に赤い手形を残し笑みを浮かべる。
「ありがとう。優也は優しいですね」
優しくしているのはあなたなのに。そんな言葉を喉の奥に引っ込める。そんな顔で見られたら僕の方が泣いてしまいそうだ。この感情も心の奥底にしまう。
「いえ……そんな、行きましょうか」
顔から目を背けて前へと歩く。リベアは何も言わずに後ろに付いて歩いている。幸い目的地までは近かったので沈黙は辛くなかった。
大きな椅子の裏にある空間は研究所のような印象を受けた。何台も並ぶ長机の上にはフラスコが置いてあり、中には色とりどりな水が入っている。あの水一つ一つが発展中の世界だ。中央にある魔女の釜を連想させる巨大な甕は存在感を放っている。
「いろいろありましたけど、着きましたね。今回の世界は自信作なんです」
そう言って段差を登って行く。身長の倍ある甕には並々とリベアが作った世界が入っている。甕の高さと同じになった僕とリベアはしゃがんで、水面に顔を付けて目を開ける。甕の中には全く違う光景が広がっていた。
今回の世界はあらゆるものがお菓子でできていた。地面は硬いチョコレート、草木は飴を伸ばした物で、種類が変わるごとに色とりどりなものになっている。木についている葉や花も様々な形があるが、全て薄いチョコレートでできている。実ができている物もあって、飴やチョコレート、金平糖やクッキーなど種類が多い。見ているだけで胃がもたれそうだ。
一度、世界から顔を上げる。このまま見続けていたら胃がもたれてしまいそうだ。リベアはまだ水面から顔を上げていない。邪魔をするわけにはいかないので、もう一度世界を覗く。
今回は広い世界のようだからいろんなところに行ってみよう。スピードを最大に上げて移動してみる。体の感覚はないが視界が空を飛んだように浮かび、引き延ばされて違う景色に変わった。ここは和菓子の国だろうか。全てではないが葉の部分があんこになっていたり、枝の部分が羊羹になっているものもあった。さらに違う場所に行きたいと足を踏み出した。視界が変わって。カラフルなチョコレートが生える場所に来た。地面はアイスクリームのようでさながらアイスカップの島と言ったところだろうか。こうして幾つかの違うお菓子を見てきたのだが、頭の中に声が聞こえる。
「優也、ごめんなさい。自分の作った世界に見惚れてました。お菓子っていいですね。今からこの世界の都市にいきましょう」
視界が光に染まる。目を開くと景色は変わっていて、この世界の街へと移動していた。スーツを着て仕事に向かう中年、ランドセルを背負い、走り回っている小学生。元いた地球と変わらない人たちがいる。あらゆるものがお菓子である以外は。
「正直、ここまでうまくいくと思いませんでしたよ。すべての要素がお菓子でできているなんて! 夢見たいですね! 」
地面は少し前に見たチョコレートではなく、舗装した道路のつもりなのか、黒いクッキーで覆われている。匂いは嗅げないので、焦げているかは分からない。ビルや家の壁と屋根も模様のついたクッキーになっている。自転車や車もクッキーのようだが、色をつけるためにジャムを塗っていたり、チョコレートで文字を書いた物もあった。甘々しさに耐えられず顔をあげる。リベアはすでに、僕が世界から離れるのを待っていたらしい。顔についていた水を軽く払いながら話す。
「何となく分かりましたが……リベアさん、この世界は何ですか? 」
「お菓子の世界です! 地球で大多数の人間が好きなものを探していたらお菓子を見つけたんです。それで私もお菓子は面白そうだと思って、世界を作ってみました。転生したら皆、子供からですし、きっと楽しんでくれますよ。優也はどうでしたか? 」
確かにお菓子は様々な種類があり、だいたいの人間が好きだろう。だけど。
「あの……僕、お菓子嫌いなんですよね」
リベアは口を開いたまま放心した
「そっ、それは知りませんでした。すみません私ったら勝手にはしゃいじゃって」
「もちろん食べられない訳じゃないんです。ただ子供の頃にたくさんお菓子を食べて、虫歯になっちゃって。それがあまりにも痛かったから、あんな感じの甘いお菓子はそれ以来、食べてないんです。それに……」
喉まで出た言葉を飲み込む。女神は体を小刻みに震わせ、顔を薄い赤で染める。先ほど泣きかけた時と同じ状況だ。
「私は大丈夫ですよ……続けてください」
「でもリベアさん、その、えっと」
どう言葉をかけて良いか分からない。このまま世界の指摘をするとリベアをいじめているようだ。また決断ができない、考えたくない。その葛藤が見えていたのかリベアから切り出してきた。
「前にも言いましたけど私はまだ、人間の考え方が分かりません。この世界の何が良くなかったのかも分からないのです。優也の指摘で今回のダメな所が分かるんです……だから、遠慮せずにお願いします」
震える声で届いた言葉に背中を押され、先ほど止めた言葉を吐き出した。
「……それに、あの世界にいた人達は楽しそうではありませんでした。どこか疲れているような、すぐにでも倒れてしまいそうな、そんな雰囲気を感じました」
リベアはずっと僕の目から離れない。真剣に向き合い一言も聞き逃すまいとしている。どこからか取り出した紙に書き込んでいる。顔は相変わらずだが、弱々しい姿はもうどこかへと去って行った。
「あと、いくら家や道がお菓子になっても食べられないなって思いました。食べてしまうと家に穴が空いてしまいますから。僕がおかしいと感じたのはこんな所です」
「ありがとう、優也。おかげでこの世界の問題点がわかりました」
水をすくい上げて、寂しそうに見つめる。今生の別れのような悲壮感が漂う。
「悪い所ばかり言ってしまいましたけど、良い所もいっぱいありますよ。リベアさんの言う通り、お菓子は多くの人間が好きです。僕は男だから相性が良くなかっただけで、女の子だときっと喜びます。だから……この世界を消さないでください」
リベアには世界を作る力もあれば、世界を壊す力もある。あの顔は前に見た世界を壊すときの顔だ。
「でも、この世界の人々を苦しませながら生かし続けるのはかわいそうじゃないですか。すぐに倒れてしまうと優也も言っていましたよね」
確かにそうだ、このまま生かし続けるのは胸が痛い。
「せっかく時間をかけて作った世界を消してしまうのはもったいないです」
数秒の沈黙。何かまずい言葉があっただろうか。謝ろうとしたその時、リベアは声を出して笑った。
「もったいないですか! そんな考え方初めて知りました! すごいですよ優也! さっそく実践しますね」
両手で円を描くと、甕の淵が光り始める。そのまま腕を上げると、内部の水が全て空中に浮かんだ。リベアが両手を合わせ近づけていくと、水が周囲の空間に押しつぶされていく。手から音が発される時には、フラスコに入るほど小さくなった世界があった。
「後はこれをもう一度入れて、っと」
片方の手で水を移動させ、もう一方の手でフラスコを持ち、一滴も落とさないように丁寧に注いでいった。
「できるものですね。これで世界は保存できました」
「すごいです。できるか分からないのに頼んでしまって」
フラスコに光が灯る。世界も無事のようだ。
「いえいえ、すごいのは優也の方ですよ。もったいない、なんて考えてもいませんでした。世界って私たちの中では大量生産して消費する物ですから」
女神的な規模の大きな話にはまだ付いていけそうにない。けれど、なくなっていた世界を救えた達成感が体全身に行き渡るとなんだか嬉しくなった。気がつかなかったが口からは笑みも漏れている。リベアも疲れたのか大きく伸びをしてふぅ、と長く息を吐いた。
「今回もダメでしたね。ホント、いつになったら優也を満足させられる世界が作れるんでしょうね」
リベアは背中を向けて歩き出している。
「でも残念です。優也はお菓子が嫌いだったなんて。知っていたら作らなかったのに」
残念そうにしている横顔を見て、何かが引っかかった。リベアから嗅いだ良い匂い。何の匂いだったか、あの世界を見て思い出した。砂糖だ。今、リベアが持っている透明な袋の中にはクッキーがたくさん入っている。せっかく作ってくれたものを受け取らないなんておかしい。勇気がないからなんて言い訳はしない。
「いえ、欲しいです。ください」
予定よりとても小さな声が出た。しかし女神には聞こえていたみたいで、振り返り眩しい笑顔で、はい、どうぞと言って袋から取り出す。震える手でクッキーを受け取り、そのまま口へ運ぶ。
久しぶりに食べたクッキーの味はとても甘く、これまで食べてきた何よりも美味しかった。
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