第四話 水瀬由紀の憂鬱。1-5
カンナは弘樹の姿が見えなくなってしまってからも、まだ起きあがれずにいた。
――わたくしは、十年も前から自分のために、自分で考えて、自分で決めています……。どこにいってしまっても、どれだけの時が流れようとも……、わたくしにはヒロ様しかいません。
――わたくしは、ヒロ様の側にいたい。
――ヒロ様に会いたい。ヒロ様の声が聞きたい。ヒロ様に声をかけてもらいたい。ヒロ様に触れたい。ヒロ様に触れてもらいたい。ヒロ様に抱きしめてもらいたい。ヒロ様に抱いてもらいたい。ヒロ様。ひろさま。ヒロサマ。ヒロ様――――。ヒロ様…………。
「祐一さん、最後の頼みです。お願いできますか?」
「うおっ!」
この状況に唖然としていた祐一だったが、今の状態のカンナに声をかけるべきか否かで迷っていた。
しかし、あまりに本人からの突然の言葉に、祐一はかなり間抜けな声をあげてしまったのだ。
葵や何とか歩けるまでに再生した翔太は、すでに弘樹達と一緒にいってしまった。二人共、祐一より肝が据わっているのかもしれない。
カンナはそんな祐一の声にも、まるで聞こえていないかのように話を続ける。
「あなたの『呪呪禽領域』で、わたくしの身体と魂を隔離した後、身体の方を新鮮なまま維持して欲しいのです」
「――なっ! マジかよ……」
祐一はカンナの言葉に、再度――驚いた声をあげた。
そして互いに無言のまま、わずかな時間が経過し、やがて祐一も真面目な顔になり確認する。
「冗談じゃ……ねえよな」
カンナはそこでようやく起きあがると、祐一の目をしっかり見る。
「もちろん本気です。理由は聞かなくてもわかるでしょう。後はわたくしの願い……。つまり今の祐一さんが思っている通りのことをして欲しいだけです。散々わたくしの邪魔をしたのですから、このぐらいはやってください」
「人間に戻るために身体から一度魂を切り離して、もう一度『領域』を手に入れる……か」
「はい、その通りです。察しがよくて助かります。動機は違いますけどね」
「あん?」
「ただわたくしはヒロ様に初めて凄いと褒められた、『Σ.シグマ』と『Χ.キー』の文字が刻まれている瞳を取り戻したいだけです」
「ははっなるほどね」
「わたくしは『常人』でも『アサイラム』の住人なら皆、人間だと思っておりますので。嫌いなのは『ライム』からきて『アサイラム』の資源を奪い尽くしてくる輩だけです。そして水瀬由紀もそんな『古人間』の血を引いている……。聡明な祐一さんならこの事実も知っているでしょう。あなたは本来、姉の葵さんとは比較にならないほど全てが上です」
「……セカイがいる。場所を変えるぞ」
セカイは玄関の外で座りながら赤い血燭を延々と眺めていて、二人の話をまったく聞いていなかったが、それでも祐一は念を押した。
結局二人はその場から五キロほど離れ、それから改めて祐一が『呪呪禽領域』の話を切りだし始める。
「身体の鮮度を維持するだけなら、俺が死ぬまでは可能と思うが。しかしな……」
そんな祐一の重い言葉など意に介さず、カンナは再び口を開く。
「祐一さん、最初に水瀬由紀を逃がしたのはあなたでしょう」
「――! 知ってたのか!?」
大層わざとらしく祐一が声をあげた。彼の大袈裟な驚く表情に、カンナはほんの少しだけ笑みを見せた。
「確証はありませんでしたが、知ってはおりました。『アサイラム』と向こうの世界を結ぶ繋ぎ目を斬れる者は、わたくしを含めて極少数ですし、尚且つあのタイミングでわたくしより先に水瀬由紀を逃がすことのできる技量を持つ人間を、わたくしは祐一さんしか知りません」
「…………」
暫く祐一は黙っていたが、やがて観念する。
「だよなあー。俺の姉貴と一緒に選定を聞いた瞬間、速攻でユキを殺しにいったお前だ。おそらく五分もかかってないんだろう? その間にユキを『アサイラム』に逃がして、しかもお前を相手にしてとぼける度胸がある奴なんて、どう考えても俺しかいないよな」
自嘲気味の笑いを浮かべて、祐一は真相を語った。
カンナは最初に由紀を逃がした犯人を、軽く探し当てたことにはもう興味がないように話を続ける。
「祐一さんはわたくしのことを、きっとお嫌いでしょう。けれど、それでも……一度ぐらいはわたくしにも慈悲をくれませんか」
「……本当に良いのか? 領域を解いた時点で少なくとも今の俺には、もう絶対にもとには戻せねえ。それからは相性の良い素体が見つかるまで、期間がまるでわからんぞ。それこそ一日から永遠も有り得る。大体、魂なんて形のないものはどこにいくか俺にも予想は不可能だ。『アサイラム』より南西の『ライム』や、さらに蛮族の土地……。もちろん相性の良い素体が人外や本当の意味で、そこらの虫けらってこともあるんだぜ。それにこれは――大罪だ」
祐一は自暴自棄に陥って見えるカンナに、優しく語りかけた。
しかしカンナにとっては、そんなことは百も承知だった。
「はい、お願いできますか? いえ、必ずお願いします。もしも無理ならわたくしは……、とりあえずあなたを殺して、それから先どうすれば良いのでしょうか……」
そんなカンナの願いと脅迫が混じった言葉を気にもとめない様子で祐一は、彼女をまじまじと眺めていたが、ようやく口を開く。
「俺ってさ、良い奴だと思うか?」
「祐一さんが……、良い人ですか?」
祐一の突然の発言に、カンナは首を傾けた。
「じゃあ質問を変えるか。なあカンナ、蠱毒って知ってるか?」
「……はい。確か一つの器の中に多数の毒虫を入れて互いに殺し合わせ、最後まで生き残った最も強い毒を持っている一匹の虫を用いて呪いをおこなう。と、そのような内容ではなかったでしょうか?」
その答えを聞いて祐一は満足そうに目を見開き、ニヒルな笑いを浮かべた。彼が他の知り合いなどには、絶対に見せない怖い笑顔だった。
「その毒虫な。俺がヒロとユキから話かけてもらうまで、ついてた俺のあだ名だ」
「――!」
さすがに祐一のその告白には、カンナも多少は動揺したようだ。
祐一はカンナのその顔を見て満足すると、さらに自分の過去を語る。
「毒虫。小学生の……一から三年頃までだったかなー。俺のあだ名は毒虫だった。俺と争いになった奴らは、みんな一月やそこらでバタバタ倒れていくもんだからな。それで俺についたあだ名が毒虫だ。もちろん俺の『呪呪禽領域』さ。これがこの領域の本来の使い方だからな」
面と向かっては誰も祐一に指を差して言えなかったが、当事者の彼には影で自分がそう囁かれていることは、容易にわかっていた。
祐一は誰かが倒れるたびに、葵から自分が係わっていないか何度も尋問された。そのたびに彼は知らないと、平気で嘘をつき続けてきたのだ。
その時にはまだ自我の『領域』どころか、自我を形にすることすらできなかった葵は、その祐一の言葉を信じるしかなかった。
「そしていつしか誰も俺に近づく者はいなくなったよ。誰もだ。そこには教師も含まれてるんだぜ。席順で順番に問題を当てていく教師も、俺だけはまるで空気のように扱うんだ。だが俺はそれでよかった。楽で良かったんだ。嫌いだったんだよ。俺は元々自分と姉貴以外の人間ってのがな」
カンナはしっかりと、祐一に目線を合わせて彼の過去を聞いていた。自分も他を圧倒する強大な力を持つ危険な者と大勢に認知され、『ラン・アサイラム』では同年代を中心にして、大いに避けられていた部分があったからだ。
「その時、確か三年になってクラスがヒロやユキと同じになった時だったか……。こんな俺から姉貴以外に声をかけてくれたのがヒロとユキだ。もちろん最初はただ邪魔なだけだったさ。二人が『オメガ人』で俺が事情を知っていなければ、『呪呪禽領域』を使っていたかもな。だけど、やっぱり寂しかったのかねえ……。次第に楽しくなっていくのさ。誰かを怨むより、誰かを好きになる方が楽しく……な」
ようやく全てわかったという顔で、カンナは祐一に尋ねる。
「祐一さん。あなたが水瀬由紀を自らの命までかけて守っていたのは、その時の恩返しですか?わたくしと敵対するなど、普通の……利口な人間は考えません」
祐一はカンナがわざと導き出した虚偽の答えに、気味の悪い笑顔を浮かべ続けながら空を見あげる。
「そうだな。あの二人には誰かを好きになるという感情をもらったからな。まあ俺も幼い頃から『全能人』だ。お前の力を過小評価していたというのもあるが……。二人の笑顔を見ると俺も嬉しくなるんだよ。しかし……それでも、根本的に人間って奴は変わらねえっていうのが俺の持論だ。いひっ……ひひっひっひっひっひっ!」
「……そうですか」
「だが俺はお前こそが王の器にふさわしいと思ってるのも、また事実だ」
「ヒロ様ならできますよ」
「お前がいればな」
「拒否されない限りはずっとお側にいるつもりでした。わたくしの気持ちはわかるでしょう」
「ぶっちゃけ興味がねえ。ここからどうなろうと俺は〝あっち〟の世界にいつでもいけるしな。身体に悪くて美味いものが盛りだくさんで、娯楽の種類も歴然だし、まさに理想郷だよ」
その祐一の言い訳に、くすくすとカンナは笑う。
「黙っていようと思いましたけど、相も変わらず嘘が下手な人ですね。あなたは――」
「――! 言うな! それ以上は何も口にするな!!」
「わかりました。それではお願いします」
「そうか……。やはりお前は格別だ! くひっひひっひっひひひひっげひっひひひひひひ」
祐一の乾いた笑いの後、彼は一度だけ首を縦に振り、カンナの願いを聞き入れた。
「俺に係わる奴らが、俺のことをどう思ってるかなんて全然わからねえがな。実は俺って結構独善的でさ。好奇心だって格段に強くて、特に自分でもどうなるかわからない未知の興味に対する頼みごとは断れないタイプなんだぜ。とても正気の沙汰とは思えねえ。美剣カンナ。お前はある意味で最高の女だよ。あははっ、ははははははははっ! やらないと俺は殺されるんだろ。だったらやってやるよ。もう一度お前に会えるのを楽しみに待っていてやる」
自身の自我が呪い……。呪術の名門で有名な神道家の長男である祐一が、決して親しい友達には見せない裏の顔だ。
「ありがとう、祐一さん。――わたくしの依存が……始まります」
「礼なんていらねえよ。博識なお前のことだし〝絆〟の語源は知ってるだろ。牛馬などの足をつなぐ縄。つまりは自由を束縛するもの。お前が最も欲したものだ。一回それを解いてみろ。そうすれば、また世界も変わって見えるさ」
「……わかりました」
「素直で非常によろしい。クククッククックハッ!」
最後にそっと一言、カンナは真実を言葉にして――それを風に乗せる。
「ヒロ様、愛しています」
神道姉弟。
学力、身体能力、その他すべての才能において祐一が葵を凌駕している。
性別は違えど、葵が勝てるものなど一つもない。




