第四話 水瀬由紀の憂鬱。1-4
…………カンナは絶句した。
一人の少年が歩いてくる。
それはカンナが心から崇拝する。愛しき主の姿だ。
その後ろには由紀とセカイの姿もあったが、カンナの目には弘樹しか映さない。
すぐにカンナは葵から手を離し、弘樹のもとへ走っていく。
「ヒロ様! 『Ω.オメガ』の瞳が! これでヒロ様が!? セカイさん、あなた……!」
「カンナ殿。ここからはヒロ様の命に、従うだけでござります…………」
セカイは裸眼で『発動』の右目が赤色、『停止』の左目が青色になっている。
そして弘樹はしっかりと、『Ω.オメガ』の刻印が映しだされた瞳でカンナを見やる。
「ヒロ様……。あの……」
「俺は盟約したんだ。ユキのヒーローになるって……。だからお前を選ぶことはできない」
「そーだそーだ! ヒロくんはあたしだけのヒーローなんだもん!」
「ユキ、いこう」
「うん! じゃあねー、カンナちゃん。にゃははっ」
もうオメガの瞳に、カンナの姿は映っていない。
「……あう、あっあっ……」
弘樹と由紀の会話に、カンナの心は壊れそうだった。
――このままではヒロ様が……、ヒロ様がわたくしのモトカラハナレテイッテシマウ。
「――――!」
頭がそう認識した瞬間、カンナは無意識に祝詞を紡いでいた。
「じ……自我の領域の解放。我、神剣を創りし、聖剣、神槍、聖槍、全てを生みだす者なり也。わ……我は自身の魂を矛に変え、領域すらも神を崇める矛で構築しよう。『神恢領域』」
この祝詞と共に、百本以上にも及ぶ。神剣、聖剣、神槍、聖槍、神斧、聖斧、神弓、聖弓の数多の神器が、一斉に広大な大地から出現する。そして、その全てが弘樹と由紀の進路を拒むように並べられた。
その一本一本が、神をも恐れる神器だ。
「い、いかせ……ません。ここから先は……、いくらヒロ様でも!」
すでに自分が何を言っているのかも、理解できているのか不思議なカンナだった。
ただの本能で動いていた。
――ヒロ様! いかないでください! あんな女など見ずに――わたくしだけを見てください!
カンナの願いはそれだけだった。しかし、弘樹は一切怯むことなく口を開いた。
「頼むカンナ。そこをどいてくれ!」
「嫌です! 我が手に収まれ冥譜の剣。『悲劇的結末』」
大地に晒された神器から、一本の真紅の剣がカンナの右手に渡る。
「……破滅武器か、範囲は?」
「完全なる失敗作の神器……。人口の半分です。わたくしは一度これを使っておりますので、次はこの『アサイラム』が全壊します。もう――わたくしでも加減はできません」
「やめろ」
「わたくしに振らせないでください」
「やめてくれ」
「それは……命令ですか?」
「……命令じゃないよ。お願いだ」
「わたくしは……」
完膚なきまでに、カンナは由紀に負けた。
『オメガ人』としての祝詞を、弘樹は紡ぐ。
「自我の領域の解放。我望む領域こそは、初めであり、また終わりである。創られしモノ、その全てに終焉を。『創焉領域』」
そして弘樹がその手でカンナの左肩に触れると……。彼女の領域は完全に崩れ去る。
さらに『領域』を証明する刻印も全て喪失した。
それと同時に『Σ.シグマ』の『神恢領域』によって、その姿を見せていた百を超える神器が、初めからそこに存在していなかったように消滅する。
その場に座り込み、カンナは力なく頭をさげた。
「壊滅しました……。先代から受け継がれし全ての矛が……」
弘樹は祝詞を紡いだ後、由紀に駆け寄った。二人は南へと歩きだす。
由紀は勝利の笑顔を、にやにやと浮かべている。
「お願いです。いかないでください……」
カンナは機械的な口調で、ずっと頬を涙で濡らしながら口を開いていた。
「お願いです。いかないでください……」
その言葉は――どれも一緒だった。
弘樹は一度だけ振り返ると、録音機のように同じ言葉を繰り返すカンナの姿を確認する。
「カンナ。これで君は、もう俺なんかのために束縛されなくて良いんだ。これからは自分のために、自分で考えて、自分で決めろ。俺は……もういくよ」
「いかないで……、いかないでください……。ヒロ様……」
「…………」
「……ごめんな」
――謝らないでください! どうか謝らないで……。
――あんな今も笑っている女のところになんていかないで! 壊れた刃でも構わない! ずっと側にいさせてください! わたくしは……。
「――!」
「……ヒロ……さま…………」




