第41話「海の向こうへ」
ガリアでの騒動から、数日が過ぎた。
街には、少しずつ以前の活気が戻り始めている。
もちろん、すべてが元通りになったわけじゃない。魔鉱石の供給はまだ不安定で、職人たちの顔にも不安は残っていた。それでも、工房から響く槌音は以前より少しだけ力強く聞こえる。
壊れたものを、もう一度直そうとしている。
そんな音だった。
その日、ファウラーはガリアの民へ向けて、今回の一件を公表した。
第七坑道で起きていた魔鉱石の横流し。
魔鉱石ゴーレムの存在。
チャロが調査中に拉致されていたこと。
そして、それらにガルドが関わっていたこと。
広場に集まったドワーフたちは、最初こそざわついていた。怒号もあったし、信じられないという声も聞こえた。けれど、ファウラーは逃げなかった。
ただ、真正面から言葉を重ねていた。
「今回の件は、我々の管理体制の甘さが招いたものでもあります。二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう、鉱山の安全確認、搬出記録の管理、魔鉱石の流通体制を根本から見直します」
広場に響いたその声は、決して大きくはない。
だが、不思議とよく通った。
「第七坑道で命を落とした者たちのことを、我々は忘れてはならない。ミラさんのような被害者を、二度と出してはならない。今回のような事件を起こさせないためにも、ガリアは変わります」
ガルドの処遇については、まだ正式には明かされなかった。
罪は罪として裁かれる。
ただ、彼が知っている情報を聞き出す必要もあり、しばらくは厳重に拘束された上で取り調べが続くらしい。
民の反応は様々だった。
怒る者。
黙り込む者。
亡くなった者の名を聞いて、目を伏せる者。
それでも最後には、誰かがぽつりと槌を鳴らした。
カン、と一度。
それに続くように、別の工房からも音が返る。
カン、カン、カン。
広場の空気が、少しずつ変わっていく。
それは拍手ではなかった。
けれど、ガリアの民なりの返事だったのかもしれない。
「不器用な国じゃのう」
隣でティアが呟いた。
彼女の白い髪には、今日も金の薔薇の髪飾りが留まっている。
「でも、悪くないだろ」
「そうじゃな」
ティアは小さく頷いた。
その横顔は、少しだけ穏やかだった。
広場での報告が終わったあと、俺たちは議事館へ向かった。
ファウラーとロダン、それからチャロへ出発の挨拶をするためだ。
ロダンの体調は、まだ万全とは言えないらしい。それでも、チャロが戻ってからは顔色が少し良くなったように見えた。
「もう行くのか」
ロダンが椅子に座ったまま、静かに言った。
「はい。そろそろ次に向かおうかと」
「そうか。お前さんたちには、本当に世話になった」
「いえ。俺たちだけじゃありません。エイネシアさんやファウラーさん、ティアもいましたし」
「妾もついでのように言うでない」
「ちゃんと言っただろ」
「順番が気に入らぬ」
「そこ?」
ティアが不満そうに頬を膨らませると、チャロが小さく笑った。
まだ疲れは残っているようだが、彼女も少しずつ元気を取り戻しているらしい。
「ユウマさん、ティアさん。本当にありがとうございました」
「元気そうでよかったです」
「はい。エイネ姉が毎食山盛りにするので、嫌でも元気になります」
「いいことじゃない」
部屋の隅にいたエイネシアさんが、当然のように胸を張る。
「監禁されてた妹には栄養が必要です」
「量の問題を言ってるの!」
「食べれば治るって〜」
「エイネ姉、雑すぎ」
チャロは呆れたように言ったが、嫌そうではなかった。
エイネシアも、いつもの軽い調子に戻っている。
けれど、その奥にはまだ冷たいものが残っていた。
セルアレム公国。
逃げた錬金術師ヴェルム。
今回の事件に、その影があった可能性。
それを考えれば、完全に気を抜けるはずもない。
「エイネシアさんは、これからどうするんですか?」
俺が尋ねると、エイネシアさんは肩をすくめた。
「僕は一度、アストレアに戻るよ。今回の件を報告しないといけないし、セルアレム公国が関わってる可能性もあるからね」
そこで、彼女の目が少しだけ細くなる。
「僕にとっても、セルアレムは因縁のある国だからね。もし、今回の件でセルアレムが関わっているなら放ってはおけない」
いつもの軽い声。
でも、その言葉の奥には重さがあった。
亡命してきた国。
ロダンさんに育てられる前の、エイネシアさんの過去。
詳しいことはまだ分からない。
けれど、今回の件は彼女にとっても他人事ではないのだろう。
「無理はしないでくださいね」
「それ、ユウマ君に言われると説得力ないなぁ」
「俺、そんな無茶してます?」
「してるじゃろ」
ティアが即答した。
「迷いなく言うなよ」
「事実じゃ」
「うん。魔王ちゃんに同意かな」
「エイネシアさんまで」
なぜか三対一になった。
ファウラーさんまで少しだけ笑っている。
味方がいない。
「まあ、君たちも気をつけてね。変な事件に巻き込まれそうな匂いがするし」
「それはエイネシアさんも人のこと言えないと思います」
「僕は自分から突っ込んでいくからね」
「もっと悪いですよ」
エイネシアは楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、チャロが少しだけ寂しそうな顔をする。
「エイネ姉、もう行くの?」
「うん。でもまた来るよ。じっちゃんの様子も見たいし、チャロがちゃんとご飯食べてるか確認しないと」
「だから、子供扱いしないで」
「妹はいつまでも妹です」
エイネシアはそう言って、チャロの頭を軽く撫でた。
チャロは少しむっとした顔をしたが、拒まなかった。
その様子を見て、ロダンさんが静かに目を細める。
戻ってきたものがある。
完全ではない。
失ったものも、傷ついたものも残っている。
それでも、戻ってきたものは確かにあるのだと思った。
議事館を出たあと、俺たちはロベリオの工房にも顔を出した。
武器調達と装備の確認は、予定通り終わっていた。結局、大物を買うことはなかったが、黄泉を打ち直せた時点で、ガリアに来た意味は十分すぎるほどあった。
「もう行くのか」
ロベリオは、相変わらず煤だらけの顔で言った。
「はい。お世話になりました」
「世話した覚えはあるが、礼を言われるほどでもねぇ」
「いや、かなり世話になりましたよ。黄泉の打ち直しも、髪飾りも」
「髪飾り?」
ロベリオさんがちらりとティアを見る。
ティアはぴくりと反応し、なぜか少しだけ胸を張った。
「な、なんじゃ」
「いや。似合ってるじゃねぇか」
「ふ、ふん。当然じゃ」
そう言いながら、ティアは髪飾りにそっと手を添える。
分かりやすい。
ロベリオさんは鼻を鳴らして、俺に小さな革袋を投げてきた。
「持ってけ」
「これは?」
「簡単な工具と補修材だ。旅先で武器をいじる時に使え。黄泉みたいな化け物には役に立たねぇだろうが、普通の装備なら多少は見られる」
「いいんですか?」
「代金は次に来た時に払え」
「しっかりしてるなぁ」
「あたりめぇだ。まぁ、達者でな」
俺は革袋を受け取り、頭を下げた。
「また来ます」
「炉を使いたくなったら来い」
「はい」
ロベリオはそれ以上何も言わなかった。
ただ、俺たちが工房を出る直前に、背中越しに声をかけてきた。
「その刀に呑まれんなよ」
俺は足を止める。
腰の黄泉に手を添え、短く答えた。
「はい」
その返事だけで十分だった。
工房を出たあと、俺たちは宿へ戻り、荷物をまとめた。
ガリアでの予定は終わった。
武器や装備の調達。
黄泉の打ち直し。
魔鉱石不足の事件。
思っていたよりずっと濃い滞在になってしまったが、そろそろ次の目的地を考える時期だ。
「さて、次はどこに行くかだな」
宿の部屋で地図を広げながら、俺は呟いた。
ティアは椅子に座り、足をぶらぶらさせながら地図を覗き込んでいる。
「山はしばらくよいのう」
「まあ、坑道はしばらく遠慮したいな」
「うむ。もっとこう、広くて、風が通って、美味いものがある場所がよい」
「最後が本音だろ」
「全部本音じゃ」
ティアは真顔で言った。
それから、ふと思い出したように顔を上げる。
「そうじゃ。久しぶりに、サシミを食べたいのう」
「……サシミ?」
俺は思わず聞き返した。
「それって刺身のことか? 生魚を捌いた、あの?」
ティアが目を丸くする。
「なんじゃ、知っておるのか」
「いや、知ってるも何も……俺のいた世界にもあった」
「ほう。なら話が早いのう」
まさか、この世界にも刺身文化があるとは思わなかった。
肉とパンとスープにはだいぶ慣れた。
酒も美味い。
だが、刺身。
生魚。
醤油のようなものがあるかは分からないが、その言葉を聞いただけで、胃の奥が妙に反応した。
異世界に来てから、完全に諦めていた味だ。
「どこにあるんだ、その刺身文化」
「有名なのは海を渡った先にある、ファミート王国じゃの。獣人たちの国でのう、漁業が盛んで魚料理がうまい。中でもサシミはなかなかのものじゃぞ」
「獣人の国……海……刺身……」
情報が一気に押し寄せてくる。
獣人。
海。
魚料理。
刺身。
これはもう、行く理由として十分すぎる。
「決まりだな」
「早いのう」
「お前が言い出したんだろ」
「妾はサシミが食べたいと言っただけじゃ。行くと決めたのはおぬしじゃぞ」
「刺身って聞いたら仕方ないだろ」
「ふふん。ならば次はファミート王国じゃな」
ティアは満足そうに笑った。
地図を見ると、ファミート王国はガリア共和国からさらに西へ進み、港町から船で海を渡った先にあるらしい。
山と鉄の国から、海と獣人の国へ。
景色も空気も、きっとがらりと変わるだろう。
翌朝。
俺たちはガリア共和国の門へ向かった。
見送りには、ファウラー、チャロ、ロベリオ、そしてエイネシアが来てくれていた。
ロダンは体調の都合で来られなかったが、チャロから小さな手紙を預かった。
「父からです。無理をせず、またガリアへ来てほしいと」
「ありがとうございます」
「あと、ティアさんへ。今度来た時は、ガリア料理をもっと用意するそうです」
「ほう。よい心がけじゃ」
「そこは普通に礼を言え」
俺が後ろから、軽く頭にチョップをいれる。
「うぅ、感謝しておる……」
ティアが少し涙目になりながら礼を言うと、チャロが笑う。
ファウラーは俺たちへ深く頭を下げる。
「本当にありがとうございました。ガリアは、まだ多くの課題を抱えています。ですが、必ず今よりもっと良い国にしてみせます」
「ファウラーさんなら大丈夫だと思います」
「そう言っていただけると、少しだけ肩が軽くなります」
ファウラーは苦笑した。
その顔には疲れもある。
けれど、最初に会った時よりもずっと芯が通って見えた。
エイネシアは、チャロの隣で軽く手を振る。
「ユウマ君、魔王ちゃん。またね」
「ちゃんを付けるなと言っておろう」
「偉大なる魔王様?」
「思ってもないこと言うでない」
「難しいなぁ」
「お前たち、最後までそれか」
俺が呆れると、エイネシアは楽しそうに笑った。
それから、少しだけ真面目な顔になる。
「ファミート王国に行くんだっけ。海路は天候が荒れることもあるから気をつけてね」
「分かりました」
「それと、もしセルアレム関係で何か見つけたら、無理に首を突っ込まないこと」
「それ、エイネシアさんに言われると説得力が……」
「僕はいいの」
「便利な理屈が多すぎる」
ティアが小さく笑う。
エイネシアは最後に、チャロの肩を軽く叩いた。
「僕もそろそろ行くよ。アストレアに戻って報告しないと」
「エイネ姉」
「ん?」
「ちゃんとまた来てね」
チャロが言うと、エイネシアさんは一瞬だけ目を丸くした。
それから、いつもの笑みに戻る。
「もちろん。妹の食生活を監視しないといけないからね」
「それはもういい」
「よくない」
二人のやり取りに、ロベリオが呆れたように息を吐く。
「賑やかな連中だな」
「そうですね」
俺は笑いながら頷いた。
ガリアの門を抜ける。
背後から、槌音が響いている。
カン、カン、カン。
俺は一度だけ振り返る。
山の内側に作られた鍛冶の国。
火と鉄と魔鉱石の国。
そこで起きた事件は、簡単に忘れられるものではない。
けれど、この国はまだ動いている。
壊れたものを打ち直すように、少しずつ前へ進んでいくのだろう。
「ユウマ、早う行くぞ」
ティアが前から呼ぶ。
「サシミが妾を待っておる」
「まだだいぶ先だけどな」
「待たせてはならぬ」
「まぁ今回は、同意見だな」
いつものやり取りをしながら、俺たちは歩き出す。
目指すは、海の向こう。
獣人たちの国、ファミート王国。
山と鉄の国を後にして、俺たちの旅はまた次の景色へ向かっていく。
背後で響く槌音は、しばらくの間、俺たちの背中を見送るように鳴り続けていた。
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