第40話「ガリアの火」
議事館へ戻る頃には、ガリアの街に夕暮れの色が落ち始めていた。
洞窟都市に本当の夕焼けはない。けれど、魔鉱石の灯りが一つ、また一つと点り始めると、街全体が昼とは違う柔らかな色に包まれていく。
俺たちはその光の中を、ゆっくりと歩いていた。
先頭にはファウラー。その後ろに、縄をかけられたガルド。
チャロはエイネシアの背に負われ、疲れ切った顔をしながらも、しっかりと目を開けている。
ティアは俺の隣を歩いていた。白い髪に留まる金の薔薇が、魔鉱石の灯りを受けて小さく輝いている。
誰も多くは喋らなかった。
さっきまで響いていた戦闘音が嘘みたいに、周囲にはいつもの槌音が流れている。
カン、カン、カン。
火と鉄の音。
ガリアが生きている音だった。
議事館に着くと、衛兵たちが一斉に顔色を変えた。ガルドの姿を見たからだろう。だが、ファウラーが短く指示を出すと、彼らはすぐに道を開ける。
「ロダン様の部屋へ」
「はっ」
硬い声が返ってくる。
俺たちはそのまま奥の部屋へ向かった。
扉の前に立ったところで、ガルドの足が止まる。
縄を持っていた衛兵が振り返ったが、ファウラーは手で制した。
「逃げるつもりですか」
「……逃げるなら、坑道で逃げてる」
ガルドは低く答えた。
その声には、もう怒鳴るような勢いはない。ただ、何かを飲み込むような苦さだけがあった。
ファウラーは静かに頷き、扉を開けさせた。
部屋の中には、ロダンがいた。
椅子に座ったまま、厚い布を膝にかけている。顔色は相変わらず悪い。けれど、俺たちが入った瞬間、その目に強い光が戻った。
「チャロ……!」
「お父様……」
エイネシアがチャロを下ろす。
チャロは足元がおぼつかないながらも、ゆっくりとロダンのもとへ歩いた。
ロダンは震える手を伸ばす。
チャロはその手を取った。
「ただいま、戻りました」
「よく……よく無事で……」
ロダンの声が震える。
長い髭の奥で、唇がかすかに歪んでいた。
チャロは何も言わず、ロダンの手を両手で包む。エイネシアも隣に立ち、少し照れくさそうに目を逸らした。
「エイネシア……お前も、よく連れて戻ってくれた」
「僕だけじゃないよ。ユウマ君も、ティアちゃんも、ファウラーも頑張った」
「ちゃんを付けるでない」
ティアが小さく反論する。
その声に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
けれど、その緩みは長く続かなかった。
ロダンの視線が、ガルドへ向いたからだ。
「……ガルド」
その名が部屋に落ちる。
ガルドは黙っていた。
縄をかけられた両手を前に出したまま、視線だけを床へ落としている。
ロダンはしばらく彼を見つめていた。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。いや、きっとそのどちらもなのだろう。
「お前が、チャロを」
「……ああ」
「魔鉱石を横流しし、ゴーレムを作ったのも」
「ああ」
「ガリアを壊そうとしたのも」
「俺だ」
ガルドは短く答えた。
言い訳はしなかった。
ロダンの手が、膝の上で震える。
「なぜじゃ、ガルド」
「分かってるだろ」
ガルドはようやく顔を上げた。
その目は赤く、疲れ切っていた。
「ミラのこと忘れたとは言わさねぇぞ」
部屋の空気が重くなる。
ロダンは目を閉じた。
「……あの子のことは、忘れたことなどない」
「忘れてねぇなら、なんであんたはまだ生きてる」
ガルドの声が震えた。
「なんで、ガリアはまだ槌を鳴らしてる。なんで、あの子だけが帰ってこねぇ」
それは問いではなかった。
答えのない叫びだった。
ロダンさんは、静かにその声を受け止める。
「儂は、ミラの腕を信じていた」
「それが間違いだったんだよ」
「ああ」
ロダンさんは頷いた。
その答えに、ガルドの表情が揺れる。
「記録の上で、儂が無理な採掘を命じた事実はない。ミラも現場責任者として、自分の判断で進めていた。そう言い訳することはできる」
ロダンの声は、ひどく静かだった。
「じゃが、それでも儂は長だった。あの坑道を開け、ミラに任せる判断をした者の一人だ。ミラが戻らなかった以上、その責任から逃げるつもりはない」
「だったら……!」
ガルドが歯を食いしばる。
「だったら、俺は誰を恨めばよかったんだよ……!」
その声は、怒鳴り声ではなかった。
泣き声に近かった。
「あんたを恨まなきゃ、俺は立っていられなかった。ガリアを恨まなきゃ、あの日から一歩も動けなかった。ミラが死んだのは事故だったなんて、そんな理屈で納得できるわけねぇだろ……!」
ガルドは膝から崩れ落ちた。
衛兵が動こうとしたが、ファウラーが手で止める。
ガルドは床に額がつきそうなほど項垂れたまま、絞り出すように言った。
「俺は、あの子が認められたことが嬉しかったんだ。自慢だったんだ。なのに、今さらそれを認めたら……俺がミラを送り出したみたいじゃねぇか……」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
ガルドが本当に憎んでいたもの。
それはロダンだけではない。
ガリアだけでもない。
娘を誇らしく思い、送り出した自分自身だったのだろう。
「ガルド」
ロダンさんが、ゆっくりと口を開いた。
「儂を恨め」
ガルドが顔を上げる。
「儂で足りぬなら、この国を恨んでもよい。お前が抱えてきた怒りを、なかったことにはせぬ。ミラを失った痛みを、忘れろとも言わぬ」
ロダンさんの手が、椅子の肘掛けを強く握った。
「じゃが、生きている者を壊すことだけは許せぬ。チャロを傷つけ、ガリアの者たちを巻き込み、ミラの名を復讐の理由にすることだけは、絶対に許せぬ」
ガルドは言葉を失った。
「ミラは、そんなことを望む娘だったか」
その一言に、ガルドの顔が崩れた。
大きな体が震える。
拳を握り、歯を食いしばり、それでも止められないものが喉の奥から漏れた。
「……違う」
掠れた声だった。
「あいつは、そんなこと……望まねぇ……」
ガルドは床に額をつけた。
「俺は……何をしてたんだ……」
その声は、部屋の中に静かに落ちた。
チャロがロダンの手を握る力を強くする。
エイネシアは何も言わず、ただその光景を見ていた。許したわけではない。けれど、見届けることから逃げる気もないのだろう。
ファウラーが一歩前へ出た。
「ガルド。あなたの罪は、正式に裁かれます」
「ああ」
「魔鉱石の横流し、チャロ様の誘拐、魔鉱石ゴーレムの製造と起動。どれも軽い罪ではありません」
「分かってる」
「ですが、あなたが話すべきことはまだあります。協力した錬金術師についてです」
その言葉に、ガルドはゆっくりと顔を上げた。
「……あいつはもういない」
「逃げたのですね」
「ああ。ゴーレムが起動した時点で、姿を消した。最初から俺を使い捨てるつもりだったんだろうよ」
ガルドは乾いた笑いをこぼす。
「外の国の錬金術師だった。名はヴェルムと名乗っていたが、本名かどうかは知らねぇ。魔鉱石を使えば、魔法にも物理にも耐えるゴーレムが作れると言った。俺はそれに乗った」
「どこの者です」
「はっきりとは知らねぇ。ただ、持っていた道具や印に、セルアレム公国のものらしき紋があった」
その瞬間、エイネシアの表情がわずかに変わった。
ほんの一瞬だ。
けれど、俺には見えた。
セルアレム公国。
エイネシアが亡命してきたという国。
「エイネシアさん」
「大丈夫」
彼女は軽い声で答えた。
けれど、その目は笑っていなかった。
「今はチャロとガリアの話が先」
ファウラーは頷き、衛兵に指示を出す。
「隠し工房をすぐに調べてください。残された資料、道具、紋章、魔鉱石の流通記録、すべて押収を。ヴェルムという錬金術師の行方も追います」
「はっ」
衛兵たちが慌ただしく動き出す。
ファウラーは深く息を吐いた。
「魔鉱石の横流し経路は、これで大部分が判明しました。ガルドの名義で小口に分けられた搬出、旧搬出路、隠し工房。記録を洗えば、協力者も見つかるでしょう」
「魔鉱石不足は、少しずつ戻りますか?」
俺が尋ねると、ファウラーは頷いた。
「すぐに元通りとはいきません。ですが、流れを止めていた原因が見えた以上、手は打てます。まずは鉱山と流通の管理を見直し、職人たちへ正確な状況を伝えるつもりです」
「隠していたことは、責められるかもしれぬぞ」
ティアが言うと、ファウラーは苦笑した。
「覚悟しています。長とは、都合のいい時だけ名乗るものではありませんから」
その言葉に、ロダンがわずかに目を細めた。
「ファウラー」
「はい」
「ガリアを頼む」
短い言葉だった。
けれど、ファウラーの表情がはっきりと引き締まる。
「必ず」
その返事には迷いがなかった。
ガルドはそのやり取りを黙って聞いていた。
やがて、小さく呟く。
「……ミラは、この国が好きだった」
誰も遮らなかった。
「坑道の石を見るのが好きで、職人がそれを武器や道具に変えるのを見るのが好きだった。ガリアの槌音を、綺麗な音だって言ってた」
ガルドは自分の手を見下ろす。
「俺は、その音を恨んだ。あいつが好きだった音を、ずっと恨んでた」
「今からでも、向き合うしかありません」
チャロが静かに言った。
「私たちも、ガリアも、たぶんすぐには戻れません。でも、残ったものを直すことはできます」
ガルドはチャロを見た。
しばらく黙ったあと、目を伏せる。
「……お前は、やっぱりミラに似てる」
「私はチャロです」
「分かってる」
ガルドはかすかに笑った。
笑ったというより、泣きそこねた顔に近かった。
「分かってるんだ」
その後、ガルドは衛兵に連れていかれた。
抵抗はしなかった。
部屋を出る直前、彼は一度だけロダンを振り返る。
「ロダン」
「なんじゃ」
「……すまなかった」
それだけだった。
ロダンはすぐには答えなかった。
ただ、静かに目を閉じる。
「その言葉は、儂ではなく、これからお前が傷つけた者たちへ返していけ」
「……ああ」
ガルドは小さく頷き、衛兵に連れられて部屋を出ていった。
扉が閉まる。
その音が、やけに重く響いた。
しばらく、誰も動かなかった。
やがて、チャロがロダンの椅子のそばに膝をつく。
「お父様」
「チャロ……」
「心配をかけました」
「本当にじゃ」
ロダンは震える手で、チャロの頭に触れた。
エイネシアがそれを見て、ようやくいつもの調子を少し取り戻す。
「僕にも心配かけたよ。姉をもっと大事にしなさい」
「エイネ姉は昔から大げさ」
「ひどい。救出したのに」
「そこは感謝してる」
「そこだけ?」
「そこ以外は、あとで考える」
「チャロ、結構辛口になったね」
軽いやり取りに、部屋の空気が少しだけ緩む。
ティアが小さく息を吐いた。
「ひとまず、帰るべき者は帰ったというわけじゃな」
「そうだな」
すべてが解決したわけではない。
逃げた錬金術師ヴェルム。
セルアレム公国の影。
魔鉱石不足の後始末。
ガルドの裁き。
残された問題は、まだいくつもある。
それでも、チャロは戻った。
大型ゴーレムは止まった。
ガリアを壊そうとしていた火種は、ひとまず消えた。
それだけは確かだった。
その日の夜。
俺たちはファウラーの厚意で、議事館の食堂に招かれた。
豪華というほどではない。温かいスープと、焼きたてのパン、燻製肉、じゃがいもの料理。それから、ドワーフたちが好む濃い酒が並んでいる。
ティアは当然のように目を輝かせた。
「うむ。やはり食事は大事じゃな」
「さっきまでの重い空気を返せ」
「腹が減っては余韻も味わえぬ」
「そういうものか?」
「そういうものじゃ」
妙に堂々と言うので、反論する気が少し失せた。
エイネシアさんはチャロの皿に次々と料理を乗せている。
「食べ痩せすぎ! もっと食べなさい」
「そんなに乗せないで」
「駄目です。妹は姉の言うことを聞くものです」
「また姉ぶってる」
「姉ですぅ」
チャロは困ったように笑いながらも、少しずつ料理を口に運んでいた。
その様子を見て、ロダンの表情が穏やかに緩む。
ファウラーは疲れた顔をしていたが、それでもどこか安堵しているようだった。
俺はスープを口に運びながら、ふと窓の外を見る。
ガリアの街には、まだ槌音が響いていた。
カン、カン、カン。
変わらない音。
けれど、今は少し違って聞こえる。
ただ鉄を打つ音ではない。
壊れたものを、もう一度形にしようとする音だ。
「ユウマ」
隣からティアが呼ぶ。
「なんだ?」
「肉を取ってくれ」
「自分で取れるだろ」
「遠い」
「近いだろ」
「妾は今日、頑張った」
「はいはい、そうだな」
皿を渡すと、ティアは満足そうに燻製肉を受け取った。
白い髪に留まった金の薔薇が、食堂の灯りを受けて小さく輝いている。
その光を見て、少しだけ胸が温かくなった。
失ったものは戻らない。
それでも、残ったものを守ることはできる。
壊れたものを、もう一度打ち直すこともできる。
鍛冶と同じだ。
折れたなら、溶かし直す。
欠けたなら、補い直す。
傷が残っても、それごと形にしていけばいい。
ガリアの火は、まだ消えていない。
なら、この国はきっと大丈夫だ。
槌音が響く。
その音に包まれながら、俺たちはようやく、長い一日の終わりを迎えた。
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