第36話「父の復讐」
第七坑道へ続く道は、以前来た時よりもずっと重く感じられた。
道そのものは変わっていない。
岩肌の冷たい壁。荷車が通るための広い道。遠くから聞こえてくる工房街の槌音。
けれど、今はそこに別のものが混じっている。
チャロの手がかり。
姿を消したガルド。
そして、第七坑道の奥に潜んでいるかもしれない何か。
「旧搬出路はこっちだよ」
先頭を歩くエイネシアが、迷いなく脇道へ入っていく。
いつもの軽い足取りではあるが、表情は鋭い。チャロの持ち物を見つけてから、彼女の空気はずっと張り詰めていた。
ファウラーも無言で続く。
長である彼が直接ここまで来ることには危険もある。だが、止めたところで聞くような顔ではなかった。
「この先は、今は使われていない道です」
ファウラーが低く言う。
「古い搬出路で、第七坑道の奥へ繋がっています。事故後は封鎖されているはずでした」
「封鎖されているはず、か」
俺は足元を見る。
地面には、うっすらと車輪の跡が残っていた。
古い道だというのに、土埃の上には新しい乱れがある。
誰かがここを使っている。
それも、一度や二度ではない。
「なるほどのう。使われておらぬ道にしては、新しい痕跡がある。ずいぶんな働き者がおるようじゃ」
ティアが皮肉っぽく呟く。
「魔鉱石を運び込んでいたのか、運び出していたのか……」
「どちらにせよ、まともな使い方ではなさそうだね」
エイネシアの声は冷たかった。
旧搬出路を進むほど、空気が重くなっていく。
壁には古い補強材が残り、ところどころ腐りかけた木材が岩に埋もれていた。足元には割れたランタンや、錆びた金具が転がっている。
そして、その中に混じって青白い欠片が見えた。
「魔鉱石か」
俺が拾い上げると、欠片はかすかに光を帯びていた。
ティアがそれを覗き込み、眉を寄せる。
「この辺り、マナの流れがかなり乱れておる。前に入った時より濃い」
「奥に近づいている証拠、か」
「おそらくのう」
俺は腰の《黄泉》に手を添えた。
打ち直したばかりの刀は、鞘の中で静かに沈黙している。
だが、この先で必要になる。
そんな嫌な確信があった。
やがて、搬出路の奥に古びた鉄扉が現れた。
扉には封鎖を示す札が打ち付けられている。だが、その札は半ば壊され、扉の片側はわずかに開いていた。
エイネシアがしゃがみ込み、床を確認する。
「足跡がある。小柄な足跡と、大きい足跡。やっぱりここだ」
「チャロ様……」
ファウラーが拳を握る。
俺たちは慎重に扉を押し開けた。
中は広い空間だった。
かつては搬出用の集積場だったのだろう。壁際には壊れた荷車や古い箱が積まれ、中央には魔鉱石を加工するための台のようなものが置かれている。
そして、奥の柱に、小柄なドワーフの女性が縛られていた。
「チャロ!」
エイネシアが叫ぶ。
その声に、女性がゆっくりと顔を上げた。
髪は乱れ、頬には汚れがついている。服もところどころ破れていたが、意識はあるようだった。
「エイネ……姉……?」
掠れた声。
その瞬間、エイネシアの表情が崩れかけた。
だが、彼女は飛び出さずに足を止める。
視線を周囲に走らせ、罠を警戒している。
「チャロ様!」
ファウラーも声を上げる。
チャロは弱々しく首を振った。
「来ちゃ、だめ……奥に……」
その言葉が終わる前に、空間の奥から足音が響いた。
ゆっくりと。
重く。
一人のドワーフが姿を現す。
白髪混じりの髭。
がっしりとした体。
見覚えのある顔。
第七坑道で、俺たちが救助した坑夫。
「ガルド……」
俺が呟くと、男は暗い目でこちらを見た。
「来ちまったか」
その声には驚きがなかった。
まるで、こうなることを分かっていたみたいだった。
「ガルドさん。あなたが、チャロ様を」
ファウラーが問いかける。
ガルドは答えない。
ただ、チャロの方へ一度視線を向け、それから俺たちを見る。
「この娘は、殺すつもりだった」
空気が凍った。
エイネシアの目が細くなる。
「……今、なんて言った?」
「殺すつもりだったと言ったんだ。魔鉱石の流れを嗅ぎ回って、俺のところまで辿り着いた。放っておけば、全部明るみに出る」
「それで、チャロをさらったのか」
俺の声が低くなる。
ガルドは静かに頷いた。
「そうだ」
「なら、なぜ殺さなかった」
ティアが問う。
ガルドは、苦しげに顔を歪めた。
「……殺せなかった」
その声には、さっきまでの冷たさがなかった。
「この娘が、あいつに似ていた。危ないと分かっていても奥へ進む目。坑道のことになると周りが見えなくなる癖。職人や坑夫を放っておけねぇところまで……何もかも、ミラに似ていた」
「ミラ……」
ファウラーが静かにその名を口にする。
ガルドの目に、憎しみが戻る。
「あの子は、優秀だった。誰よりも鉱脈を読む目があった。第七坑道を任されたと聞いた時、嬉しそうに笑っていたよ。ロダン様に認められたってな」
ガルドの拳が震える。
「俺も誇らしかった。あの子は俺の自慢だった。だが、その坑道があの子を殺した」
声が、少しずつ荒くなっていく。
「第七坑道は脆かった。危険だった。なのに、ロダンはあの子に任せた。あの子は責任感が強い。任された仕事を投げ出せるわけがねぇ。結果、落盤で死んだ」
「記録では、ロダン様が無理に採掘を続けさせた形跡はありません」
ファウラーが言う。
だが、ガルドは笑った。
乾いた、ひどく虚ろな笑いだった。
「記録? そんなもんで、ミラが帰ってくるのか?」
「ガルド……」
「補償も受けた。謝罪も受けた。第七坑道も封鎖された。けどな、俺の娘は戻らなかった」
ガルドは胸を押さえるように拳を握る。
「だから、恨んだ。ロダンを。ロダンが守ろうとしたこの国を。ガリアという鍛冶の国そのものを」
その言葉に、俺は奥歯を噛んだ。
悲しみは本物だ。
娘を失った痛みも、きっと本物だ。
だが、それでも。
「それで魔鉱石を横流ししたのか」
「ああ」
ガルドはあっさり認めた。
「他国の錬金術師と手を組んだ。魔鉱石を使えば、通常のゴーレムより強い個体が作れる。魔法も弾き、物理にも耐える。国を壊すにはちょうどいい」
「国落としのために、ゴーレムを作ったということですか」
ファウラーの声が震えていた。
怒りだ。
「そうだ。ガリアが誇る魔鉱石で、ガリアを壊す。最高の皮肉だろう?」
「笑えぬな」
ティアが冷たく言った。
「娘を失った悲しみを、国を壊す理由にするか」
「よそ者が説教するのか」
「妾は魔王じゃ。だからこそ分かる。壊すのは簡単じゃ。じゃが、一度壊したものは戻らぬ」
ティアの声は静かだった。
「おぬしは娘を失った。その痛みは消えぬ。じゃが、おぬしが今やろうとしていることは、他の誰かに同じ痛みをばら撒くことじゃ」
ガルドの顔が歪む。
「黙れ……」
「黙らぬ」
「黙れ!」
ガルドが叫ぶ。
壁際の魔鉱石が一斉に青白く光った。
その瞬間、空間全体が低く震え始める。
ずず……ずずず……。
奥の暗がりで、何かが動いた。
俺は反射的に黄泉の柄へ手をかける。
ティアも魔力を練り、エイネシアはチャロを守るように一歩前へ出た。
「ガルド、やめろ!」
ファウラーが叫ぶ。
だが、ガルドは止まらない。
「もう遅い。止められねぇ。俺にも、な」
「何だと?」
奥の壁が砕けた。
そこから現れたのは、巨大な影だった。
以前戦った魔鉱石ゴーレムよりも、さらに大きい。
身の丈は四メートルを超えている。岩と金属を混ぜたような巨体。その全身に、青白い魔鉱石の光が脈のように走っている。
胸の中央には、大きな魔核らしき結晶が埋め込まれていた。
ゴーレムが一歩踏み出すと地面が揺れた。
「大型の魔鉱石ゴーレム……」
ファウラーが呆然と呟く。
「完成していたのか……」
「完成なんかしちゃいねぇよ」
ガルドは自嘲気味に笑った。
「こいつはまだ試作だ。だが、十分だろう。街へ出れば、工房街くらいは簡単に潰せる」
「そんなことをすれば、関係ない人まで巻き込むぞ!」
「関係ない?」
ガルドの目が血走る。
「誰も関係なくなんかねぇ。ガリアの火が燃え続けるたびに、俺は思い出す。ミラが帰ってこなかった日のことをな!」
大型ゴーレムの腕が持ち上がる。
狙いは、俺たちではない。
柱に縛られたチャロだった。
「チャロ!」
エイネシアが飛び出す。
だが、ゴーレムの動きは重いくせに、腕の届く範囲が広い。
間に合わない。
俺は腰を落とし、黄泉の柄を握った。
死の気配は解放しない。
だが、抜く。
今の黄泉なら、周囲を巻き込まずに抜ける。
赤黒い刃が鞘から滑り出る。
その瞬間、身体の奥から魔力が細く吸われ始めた。
「ティア!」
「分かっておる!」
俺は一気に踏み込んだ。
ティアは風魔法を発動させ俺の背を押し加速させる。
ゴーレムの腕がチャロへ迫る。
その前に、俺は黄泉を振り抜き、赤黒い刃が、青白い魔鉱石の腕に触れる。
抵抗はあった。
けれど、弾かれない。
刃は魔鉱石の外殻へ食い込み、そのまま腕の表面を大きく裂いた。
「っ……!」
斬れた。
だが、その瞬間、身体の奥からごっそりと魔力を持っていかれる感覚があった。
「こいつ……! 追加で喰いやがった……!」
重い。
ただ抜いているだけとは違う。
黄泉は斬った分も追加で俺から魔力を奪っている。
長期戦になるのは不利だ。
ゴーレムの腕は軌道を逸らし、柱の横を砕いた。
エイネシアがその隙にチャロの縄を引き千切り、抱え込む。
「ユウマ君!」
「大丈夫……!」
そう答えたものの、膝が少し笑っていた。
黄泉は強い。
前とは比べものにならないほど、魔鉱石の外殻さえ断ち切る程に届く。
けれど、振り回し続ける刀ではない。
抜いているだけで魔力を吸われる。
斬れば、さらに奪われる。
俺はすぐに黄泉を鞘へ戻すと、魔力の流出が止まった。
そこでようやく、息が少し楽になる。
「ユウマ、なぜ納める!」
ティアが叫ぶ。
「抜きっぱなしだと持たない」
俺は息を整えながら、鞘に収まった黄泉へ手を置く。
「必要な瞬間だけ抜く」
そうだ。
こいつは振り回す刀じゃない。
常に抜いて戦う刀でもない。
抜く。
斬る。
納める。
必要な一瞬だけ、すべてを断つ。
それが、今の黄泉の使い方だ。
大型ゴーレムが、こちらへゆっくりと向き直る。
青白い光が、胸の魔核に集まっていく。
次の一撃は、さっきより重い。
そんな確信があった。
俺は腰を落とし、居合の構えを取る。
鞘の中で、黄泉が静かに震えた。
「来い」
小さく呟く。
ガルドの復讐も。
魔鉱石で作られた怪物も。
ここで止める。
赤黒い刃が、鞘の奥で息を潜めていた。
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