第35話「消えた抗夫」
髪飾りを渡してから、数日が過ぎた。
ガリアの街は相変わらず槌音に満ちている。
朝になれば工房から火の音が聞こえ、昼になれば通りに武具や工芸品が並ぶ。夜になれば酒場にドワーフたちの笑い声が響く。
けれど、その裏側にある不穏は消えていなかった。
魔鉱石不足に第七坑道のゴーレム。
行方不明のチャロ。
俺たちはこの数日、ファウラーの指示を待ちながら、街で聞き込みをしたり、ロベリオの工房に顔を出したりして過ごしていた。
エイネシアは別行動を取っている。
チャロの足取りと、第七坑道に関わる古い記録を洗うと言ってからほとんど姿を見ていない。
「まったく、小娘は何をしておるのかのう」
宿の食堂で朝食を取りながら、ティアが呟いた。
彼女の白い髪には、俺が作った金の薔薇の髪飾りが留められている。
渡した翌日から、ティアは当然のようにそれを身につけていた。
気に入ったのかと聞けば、「別にそういうわけではない」と言う。
けれど、宿を出る前には必ず鏡の前で位置を確認しているので、気に入っていないというのは無理がある。
「エイネシアさんにとっては、妹みたいな相手なんだろ。じっとしていられないんじゃないか」
「それは分かるがのう。単独で動きすぎるのも危うい」
「お前がそれ言うか?」
「妾はよいのじゃ」
「出たな、便利な理屈」
そんなやり取りをしていると、宿の入口から一人の衛兵が入ってきた。
ファウラーの側近として何度か見かけたことのあるドワーフだ。
「ユウマ殿、ティア殿。長がお呼びです」
「ファウラーさんが?」
「はい。至急、議事館までお越しください」
その表情は硬かった。
どうやら、ただの報告ではなさそうだ。
俺とティアは顔を見合わせる。
「動いたか」
「そのようじゃな」
俺たちはすぐに宿を出た。
議事館へ向かう道中、ガリアの街はいつも通りに見えた。
だが、俺にはどこか空気が張り詰めているように感じられた。
魔鉱石不足の影響は、日を追うごとに強くなっている。
武器屋の棚には空きが目立ち始め、素材屋の店主たちは顔を曇らせていた。職人たちの槌音も、以前より少し焦っているように聞こえる。
議事館に着くと、俺たちはすぐにファウラーの部屋へ通される。
部屋にはファウラーだけがいた。
机の上には、古びた書類が何枚も広げられている。紙は黄ばみ、端は擦り切れていた。古い記録を倉庫から引っ張り出してきたのだろう。
「来てくれて助かりました」
ファウラーはそう言うと、疲れた顔で一枚の書類を指した。
「第七坑道の事故記録を調べ直しました」
「事故記録?」
「はい。第七坑道が封鎖されるきっかけになった事故です」
ファウラーの声は重かった。
ティアも黙って机の上を見下ろす。
「当時、第七坑道の採掘責任者を務めていたのは、ミラという女性でした。若くして坑道管理を任された、優秀な坑夫です」
「女性の坑夫……」
「この国では珍しいことではありません。腕があれば、性別は関係ありませんから。ミラは鉱脈を読む目に優れ、現場の信頼も厚かったそうです」
ファウラーは別の書類をめくる。
そこには、第七坑道の見取り図らしきものが描かれていた。
「ロダン様は、彼女の腕を見込んで第七坑道を任せた。記録を見る限り、当時の判断としては不自然ではありません。実際、最初の採掘量はかなり良好だったようです」
「なら、何が起きたんですか?」
「坑道そのものが、想定以上に脆かった」
ファウラーは苦々しげに言った。
「奥に進むほど地盤が崩れやすくなっていた。補強は行われていたようですが、それでも足りなかった。結果、落盤事故が起きました」
その先は、聞かなくても分かる。
それでもファウラーは、言葉にした。
「ミラを含む複数の坑夫が亡くなりました」
部屋の空気が沈む。
俺は机の上の記録を見つめた。
そこに並んだ名前。
数字。
事故報告。
紙の上では数行で片づけられている。
だが、その裏には家族がいて、仲間がいて、戻らなかった誰かを待っていた人たちがいる。
胸の奥が重くなった。
「事故後、ロダン様は第七坑道を封鎖しました。遺族への補償も行っています。ですが……納得しなかった者がいた」
ファウラーが一枚の記録を俺たちの前へ滑らせる。
そこには、遺族の名前が記されていた。
その中の一つに、見覚えのある名があった。
「ガルド……?」
俺が呟くと、ファウラーが頷いた。
「ミラの父親です」
その名を聞いた瞬間、嫌な感覚が背筋を走った。
ガルド。
どこかで聞いた名前だ。
いや、聞いたどころではない。
俺はその顔を見ている。
「ファウラーさん。ガルドって、まさか……」
「はい」
ファウラーの表情がさらに険しくなる。
「ガルドは、あなた方が第七坑道で救助した坑夫の名です」
息を呑んだ。
第七坑道で倒れていた坑夫たち。
少年が親方と呼んでいた男。
救助したあのドワーフが、事故で娘を亡くした父親。
そして、おそらくチャロの失踪や魔鉱石の横流しに関わっている可能性がある人物。
「……繋がったのう」
ティアが低く呟く。
「ええ。ただの偶然とは考えづらい」
ファウラーは拳を握りしめた。
「しかも、先ほど治療室から報告がありました。ガルドが姿を消したそうです」
「消えた?」
「怪我は重くありませんでしたが、動ける程度には回復していたようです。見張りをつけていなかったのは、私の失策です」
ファウラーは悔しげに唇を噛む。
「ですが、彼を疑う理由が十分ではなかった。少なくとも昨日までは」
「今は?」
俺が尋ねると、ファウラーは机の上にもう一枚の紙を置いた。
新しい紙だ。
古い記録ではない。
「これは、ここ数日の魔鉱石の搬出記録です。ガルドの名義で許可された小口の搬出が、何度もあります。量は一つ一つなら目立たない。ですが積み重ねれば、かなりの量になる」
「横流し……」
「おそらくは」
ファウラーの声に怒りが滲む。
「チャロ様は、この不自然な流れに気づいたのでしょう」
魔鉱石の流れを調べていた彼女が、ガルドに辿り着いた。
そして、姿を消した。
考えれば考えるほど、嫌な形で線が繋がっていく。
「ガルドはロダンさんを恨んでいるんですか?」
「記録上では、事故後に何度も抗議をしています」
ファウラーは静かに答えた。
「ロダン様がミラを第七坑道に任命したから死んだ。ロダン様が採掘を止めなかったから死んだ。そう訴えていたようです」
「実際は?」
「少なくとも記録を見る限り、ロダン様が無理な採掘を強行した形跡はありません。ミラ自身も現場責任者として、採掘継続の判断をしていた。ただし……」
「ただし?」
「それでも、娘を失った父親にとって、理屈は意味を持たなかったのでしょう」
その言葉は重かった。
ロダンが悪くないとしても。
ミラが責任ある立場として判断していたとしても。
ガルドにとっては、娘が帰ってこなかった事実だけが残った。
誇らしかったはずの抜擢。
信頼されたはずの仕事。
それが、憎しみに変わった。
「しかし、だからといって国を巻き込む理由にはならぬ」
ティアが冷たく言った。
「娘を失った悲しみは分かる。じゃが、その悲しみで他の者を踏みにじってよい理由にはならぬ」
「そうだな」
俺は頷く。
ガルドの痛みは、きっと本物だ。
けれど、もしチャロをさらい、魔鉱石を横流しし、ゴーレムを作っていたのだとしたら、それは止めなければいけない。
その時だった。
部屋の扉が勢いよく開いた。
「ファウラー!」
入ってきたのはエイネシアだった。
髪は少し乱れ、服には薄く土埃がついている。いつもの軽い笑みはなく、表情は鋭かった。
「エイネシアさん!」
「ユウマ君、ティア。ちょうどよかった」
エイネシアは机の上に小さな布包みを置く。
開かれた中には、欠けた金属片と、細い布切れが入っていた。
「これは?」
「チャロの持ち物だよ。昔、僕があの子にあげた工具の一部。それと、服の切れ端」
エイネシアの声が低くなる。
「見つけた場所は?」
ファウラーが問う。
「第七坑道の奥に続く旧搬出路。普通の坑夫なら、もう使わない道だね」
第七坑道。
また、そこだ。
「チャロさんは……」
「生きてる可能性が高い」
エイネシアははっきりと言った。
「血の跡は古くない。でも量は少ない。争った形跡はあるけど、そこで殺された感じじゃなかった。それに、奥へ向かう足跡があった。小柄なドワーフのものと、大柄なドワーフのものが一つずつ」
「大柄なドワーフ……ガルドか」
「たぶんね」
エイネシアはファウラーを見る。
「チャロは第七坑道の奥にいる。少なくとも、手がかりはそこに続いてる」
部屋の空気が一気に変わった。
チャロの居場所。
ガルドの失踪。
第七坑道の奥。
これ以上、待つ理由はない。
「行きましょう」
俺が言うと、ティアが頷いた。
「うむ。これ以上、後手に回る必要はない」
ファウラーもすぐに立ち上がる。
「私も同行します」
「長が自ら?」
「この件は、私の国で起きていることです。ここで机の前に座っているだけなら、長など名乗れません」
その声には迷いがなかった。
短いやり取りのあと、俺たちはすぐに動き出した。
議事館を出ると、ガリアの街にはいつもの槌音が響いていた。
だが、その音を聞きながら、俺は思う。
この国の地下で、誰かの恨みが形を持って動き出している。
それが魔鉱石ゴーレムという怪物になったのなら。
今度こそ、止めなければならない。
俺たちは再び、第七坑道へ向かった。
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