第34話「繋がる気持ち」
遠くからは、まだ槌音が聞こえていた。
カン、カン、と一定の調子で響く音。
昼間よりもずっと少ないが、それでもこの街の火は完全には眠らないらしい。
「さすが鍛冶の国だな……」
ぽつりと呟き、俺は懐に手を当てる。
そこには、小さな木箱が入っていた。
中にあるのは、金の薔薇と琥珀石の髪飾り。
ちゃんと渡せるだろうか。
喜んでくれるだろうか。
そんなことを考えながら宿へ向かって歩いていると、通りの先で見覚えのある白い髪が揺れた。
「……ティア?」
魔鉱石の灯りの下で、ティアがきょろきょろと辺りを見回していた。
何かを探しているように、通りの向こうへ目を向けたり、脇道を覗き込んだりしている。
「おーい、ティア」
声をかけると、ティアが勢いよくこちらを振り向いた。
その顔を見た瞬間、俺は思わず足を止める。
怒っている……いや、怒っているだけじゃない。
泣きそうな顔で、ものすごく怒っていた。
「ユウマ……!」
ティアはつかつかと近づいてくると、そのまま俺の胸を拳で叩いた。
どん、と鈍い衝撃が走る。
「痛っ!? いきなりなんだよ!」
「いきなり居なくなって、妾がどれだけ心配したと思っておるのじゃ!」
「いや、朝も早かったし、起こすのも悪いなって」
「なにも言わずに行くなと言っておるのじゃ! 妾のように何かあったらどうする!」
また一発、胸を叩かれる。
痛い。
けれど、それ以上にティアの表情の方が気になった。
琥珀色の瞳が揺れている。
怒っているのに、今にも涙が落ちそうだった。
「悪い悪い。そんな怒んなよ。俺もそれなりに強くはなってるし、少々のことは大丈夫だって」
「そうではない!」
ティアが叫んだ。
その声は、いつもの偉そうな調子とは違っていた。
震えている。
「おぬしが強くなっておるのは知っておる。じゃが、上には上がおる。そんな奴と会ったら、おぬしはどうする」
「どうするって……」
そんな相手なら。
勝てない相手なら。
たぶん俺は、迷わず黄泉を抜く。
そう思った瞬間、ティアが俺の胸元を掴んだ。
「迷わず黄泉を抜くじゃろ!」
言葉を失った。
まるで思考を先読みされたみたいだった。
ティアは唇を噛んでいる。
けれど、堪えようとしているのに、涙がぽろりと頬を伝った。
「妾や、この世界に来てからの記憶。もし、そういったものを持っていかれたらどうする。命を削られ、取り返しのつかぬものを持っていかれたらどうするのじゃ」
「ティア……」
「おぬしは、平気な顔をして危ない橋を渡る。必要じゃと思えば、自分のことを後回しにする。妾は、それが怖い」
言葉を紡ぐたびに、ティアの表情が暗くなっていく。
涙が次々とこぼれ落ちる。
それでもティアは、俺の服を掴んだまま離さなかった。
「妾を……置いていくでない……」
小さな声だった。
けれど、その一言は胸の奥に深く刺さった。
ティアは、俺が死ぬことだけを怖がっているんじゃない。
俺との繋がりが消えることを怖がっている。
黄泉の代償で記憶を失うかもしれない。
感情を失うかもしれない。
この世界に来てから築いたものを、俺が自分の手で削ってしまうかもしれない。
その可能性が怖いのだ。
短い期間かもしれない。けれど、ティアは涙を流すほど、俺のことを気にかけてくれている。
まったく……敵わないな。
俺はそっと手を伸ばし、ティアの頬を伝う涙を指で拭った。
それから、白い髪に触れ、ゆっくりと頭を撫でると、ティアは小さく肩を震わせた。
「ごめん。そこまで思われてるって、思っていなかった」
「……たわけが……」
ティアは小さく呟く。
怒っているのか、照れているのか、まだ泣いているのか。
たぶん全部だ。
胸の奥が、ぐちゃぐちゃになる。
申し訳なさと、嬉しさと、よく分からない温かさが混ざっている。
こんな風に感じたのは、今まで初めてかもしれない。
「次からは、ちゃんと言う。勝手にいなくなったりしない」
「本当じゃな?」
「ああ」
「黄泉も、無茶に抜かぬな?」
「……努力する」
「そこは即答せぬか!」
「いや、状況次第では抜かないといけない時もあるだろ」
「そういうところじゃぞ!」
涙目のまま怒られた。
けれど、少しだけいつものティアに戻っている気がして、俺はほっとした。
ティアはぐすぐすと鼻をすすりながら、俺を見上げる。
「……それで、どこに行っておったのじゃ?」
「ああ。昨日、エイネシアさんから紹介してもらった鍛冶師のところへ行ってたんだ」
「確か、黄泉のあの得体の知れない力をどうこう言っておったやつか。それで、どうじゃった」
「ばっちり。条件付きだけど、普通に使えるようになったよ」
「本当か?」
「見せる」
通りの端へ寄り、人通りがないことを確認する。
俺は腰の黄泉に手をかけた。
以前なら、ここで抜くこと自体ためらった。
けれど今は違う。
ゆっくりと刀を抜く。
赤黒い刃が、俺の魔力を吸い込みながら、妖しく光を放つ。
けれど、死の気配は漏れていない。
黒く冷たいものは、刃の奥で深く沈んでいる。
「ほう……」
ティアが目を細めた。
「あの禍々しい気配が、まるで刃の中を這っておるようじゃの」
「抜刀中は、常時魔力を吸われ続ける。あと、死の気配を解放したら今まで通り代償がある。安全になったわけじゃない」
「じゃが、抜いただけで周囲を巻き込むことはなくなった、ということか」
「そういうこと」
俺は黄泉を納刀する。
魔力を吸われる感覚が消え、身体が少し軽くなった。
「これで、あのゴーレム相手にもまともに戦えると思う」
「……そうか」
ティアは小さく息を吐いた。
安心したようにも、不安が完全には消えていないようにも見えた。
きっと、黄泉がある限り、その不安は消えないのだろう。
だからこそ、俺が間違えないようにしないといけない。
「それと、もう一つ」
「む?」
俺は懐から小さな木箱を取り出した。
ティアの前へ差し出す。
「これ。ティアにプレゼント」
「妾に? ぷれぜんと……?」
ティアは不思議そうに木箱を受け取った。
さっきまで泣いていた顔のまま、首を傾げている。
「開けてみてくれ」
「う、うむ」
ティアがおもむろに箱を開ける。
その瞬間、琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
箱の中には、金の薔薇を模した髪飾りが収まっている。
中央には、柔らかな光を抱いた琥珀石。
魔鉱石の灯りを受けて、静かに輝いていた。
「これ……」
「前に店で髪飾り見てただろ。あそこの品ほど綺麗じゃないけど、俺なりに作ってみたんだ」
「これを、おぬしが?」
「ロベリオさんに教えてもらいながらだけどな」
ティアは箱の中の髪飾りをじっと見つめていた。
何も言わない。
だから少し不安になる。
「まあ、気に入らなかったら無理に付けなくていい。仕舞っておいてくれれば……」
言い終わる前に、ティアは髪飾りを手に取った。
そして、何の迷いもなく自分の髪へ添える。
「ユウマ」
「ん?」
「ここでよいか?」
少し横髪をすくうように、ティアが髪飾りを当てている。
俺は慌てて近づき、位置を調整した。
「もう少し上かな。そう、その辺」
金の薔薇が、ティアの白い髪に留まる。
琥珀石の色は、思った通りよく映えた。
派手すぎない。
でも確かに目を引く。
白い髪の中に咲く、小さな金の薔薇。
中央の琥珀石が、ティアの瞳の色とよく合っている。
「どうじゃ? 似合っておるかの?」
ティアが少しだけ不安そうに、けれど期待を隠せない顔で微笑んだ。
その表情を見た瞬間、言葉が勝手にこぼれた。
「ああ、すごく可愛い」
ティアの顔が、一気に赤く染まった。
「ば、バカモノっ! 可愛いかどうかではなく、似合っておるか聞いたのじゃっ!」
「似合ってるし、可愛い」
「重ねるでない!」
「なんだよ、照れてんのか?」
「照れておらんわ!」
ティアは慌てたように顔を背けた。
だが、髪飾りにはそっと手を添えている。
外す気はないらしい。
「ほ、ほれ! 美味いものでも食べにいくぞ!」
「今からか?」
「妾は腹が減った!」
「はいはい」
「はいは一回じゃ!」
「はい」
ティアはくるりと踵を返して歩き出す。
その横顔は、まだ少し赤かった。
けれど、さっきまでの涙はもうない。
代わりに、俺が見てきた中で一番嬉しそうな顔をしていた。
俺はその後ろ姿を見て、小さく息を吐く。
喜んでもらえたなら、よかった。
たぶん、俺たちを待っている問題はまだ山ほどある。
チャロの行方。
魔鉱石の不足。
魔鉱石ゴーレムを作った誰か。
黄泉に宿る力と、その代償。
どれも軽い話じゃない。
けれど今だけは、ティアの髪に咲いた金の薔薇を見ていたかった。
魔鉱石の灯りに照らされながら、ティアが振り返る。
「ユウマ、早う来い」
「ああ、今行く」
俺は歩き出した。
隣に並ぶと、ティアがほんの少しだけこちらへ寄ってくる。
肩が触れるほどではない。
でも、離れてもいない。
それくらいの距離。
不思議と、今はそれが心地よかった。
ガリアの夜は静かだった。
遠くで響く槌音と、温かな料理の匂い。
そして、隣には金の薔薇を髪に飾った魔王の少女がいる。
まだ何も終わっていない。
それでも、この瞬間だけは確かに幸せだった。
俺たちはその小さな幸せを抱えながら、夜の街へと歩いていった。
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