第33話「金の薔薇と琥珀石」
打ち直した《黄泉》を腰に戻したあとも、しばらく俺はその場から動けずにいた。
鍛冶場の熱が肌を叩いている。
炉の火は赤々と燃え、金床には先ほどまで黄泉を打っていた余熱が残っていた。
身体が重い。魔力を持っていかれたせいだろう。
立っているだけなのに、疲れが全身を襲う。
けれど、不思議と気分は悪くなかった。
黄泉は静かだった。
前よりもずっと。
もちろん、危険がなくなったわけじゃない。
死の気配は、今も刀身の奥に眠っている。抜いている間は俺の魔力を吸い続けるし、その力を解放すれば代償も発生する。
それでも、普通に抜けるようにはなった。
それが俺にとってはとても大きい意味を持つ。
「どうした。まだ何かあんのか?」
作業台の上を片づけていたロベリオが、こちらを見て眉をひそめた。
「あ、いえ……」
そこで俺は、ふと工房の奥へ視線を向ける。
火の入った炉。
並べられた工具。
金床。
細かな金属片。
鍛冶師にとって、これ以上ないほど魅力的な空間だった。
そして、頭の中に一つの光景が浮かんだ。
昨日、街で見たアクセサリー店。
店先に並んでいた、琥珀色の石を使った髪飾り。
それをじっと見つめていたティアの横顔。
欲しいとは言わなかった。
いらない、とも言った。
けれど、あの時の視線はまだ覚えている。
「ロベリオさん」
「あ?」
「工房、もう少しだけ借りてもいいですか?」
ロベリオは露骨に嫌そうな顔をした。
「お前さん、さっきまであんなじゃじゃ馬打ってたんだぞ。まだ何かやる気か」
「はい。ちょっと作りたいものがあって」
「武器か?」
「いえ。髪飾りを作りたくて」
「はあ? 髪飾り?」
ロベリオの目が半分になった。
黄泉を打った直後に髪飾りと言われたら、そういう顔にもなるだろう。
「何だってまた」
「世話になってるやつに、贈り物をしようかと思って」
「女か」
「まあ、そうですね」
「ほう」
ロベリオの口元がわずかに歪む。
「違いますよ。そういうんじゃなくて」
「俺は何も言ってねぇ」
「顔が言ってます」
「職人は目で語るもんだ」
「そういう時だけ便利な職人気質を出さないでください」
ロベリオは鼻を鳴らすと、鍛冶場の端を顎で示した。
「あっちの炉なら使っていい。細工用の工具もその棚にある。ただし壊すなよ。壊したら弁償だ」
「ありがとうございます」
「あと、材料はタダじゃねぇ」
「もちろん払います」
「ならいい」
ロベリオはそう言うと、棚から小さな箱を一つ取り出した。
中には、細かな金属片や小さな石がいくつか入っている。
「髪飾りなら、武器用の金属じゃ重すぎる。こっちを使え。金は少量でいい。宝石は加工しないと、大きいかもな。琥珀石は……ちょうど小ぶりなのがある」
ロベリオは箱の中から、透き通った琥珀色の石を一つつまみ上げた。
炉の光を受けて、石の内側が柔らかく輝く。
その色を見た瞬間、ティアの白い髪が頭に浮かんだ。
「それ、売ってもらえますか?」
「ああ。値はまけねぇぞ」
「分かってます」
俺は代金を支払い、琥珀石と金を受け取った。
手のひらに乗るほどの小さな材料。
けれど、何を作るかは決まっていた。
薔薇だ。
金で花弁を作り、その中央に琥珀石を埋め込む。
派手すぎず、でもティアの白い髪に映えるもの。
あいつは口では「妾に装飾品など不要じゃ」と言いそうだ。
でも、たぶん似合う。
いや、絶対に似合う。
「にやけてんぞ」
「にやけてません」
「いーや、にやけてる」
「集中します」
「そうしろ。細工物は浮ついた手で触ると歪むぞ」
そっちが意識するようなこと言うからだろ。
と、言いたい気持ちを押し込めて、ロベリオの言葉に、俺は背筋を伸ばした。
細工用の炉の前に立つ。
刀を打つ時とは、まるで勝手が違った。
武器は強度と重心、刃の入り方、扱いやすさを考える。
だが、装飾品は全く別の世界。
軽さ。繊細さ。
身につけた時の角度。
髪に留めた時、どう見えるか。
手に取った時、痛くないか。
金具が引っかからないか。
考えることが細かい。
力任せに打てば形は潰れる。熱を入れすぎれば金は柔らかくなりすぎる。琥珀石も、扱いを間違えれば割れてしまう。
「まず花弁を作るなら、薄く伸ばせ。だが薄くしすぎるな。髪飾りは身につけるもんだ。見た目だけ綺麗でも、すぐ曲がるようじゃ話にならねぇ」
「はい」
「刀鍛冶の手つきで細工物を触るな。潰すぞ」
「……難しいですね」
「あたりめぇだ。小さいものほど、雑な腕が目立つ」
ロベリオの指示を受けながら、俺は金を慎重に熱する。
赤く染まりすぎないように、炉の温度を見ながら少しずつ形を整えた。
花弁を一枚。
また一枚。
金を薄く伸ばし、鑢で縁を整え、わずかに曲げる。
大きすぎても駄目だ。
小さすぎても、薔薇には見えない。
花びらが重なった時、自然に見える角度を探す。
何度も何度も、失敗した。
少し力を入れすぎて歪んだものもある。
熱を入れすぎて形が甘くなったものもあった。
そのたびにロベリオが横から口を出す。
「違う。そこは押すんじゃねぇ。逃がすんだ」
「逃がす?」
「金属の行き場を作れ。力を全部ぶつけりゃいいってもんじゃねぇ。細工物は叩いて作るんじゃなく、誘導して形にするんだ」
「誘導……」
「相手を見ろ。素材がどう曲がりたがってるか考えろ」
武器作りとは別物だ。
けれど、根っこは同じなのかもしれない。
素材を見て、火を見て、形を考える。
こちらの都合だけを押しつければ、歪む。
相手の性質を読み、その上で形へ導く。
鍛冶とは、そういうものなのだろう。
気づけば、俺は夢中になっていた。
黄泉を打った時とは違う集中。
命を削るような緊張ではない。
誰かのことを考えながら、少しずつ形を作っていく時間。
それは、穏やかなのに熱を持っていた。
「その嬢ちゃん、どんなやつなんだ」
ふと、ロベリオが聞いてきた。
「嬢ちゃん?」
「髪飾りを贈る相手だよ」
「ああ……」
俺は少し考える。
ティアを一言で説明するのは、なかなか難しい。
「偉そうで、よく食べて、すぐ人をからかって、たまに物騒で、でも困ってる人を放っておけないやつ……ですかね」
「褒めてんのか、それ」
「褒めてますよ、一応」
「そうかい」
ロベリオは短く笑った。
「なら、雑に作れねぇな」
「はい」
俺は花弁を重ねていく。
金の薔薇。
中央には、琥珀石を置く。
石を留めるための爪を作るのが、一番難しかった。
強く押さえれば石が割れる。
弱ければ外れる。
爪の角度、厚み、曲げる力。
すべてを慎重に調整する必要がある。
「そこは息を止めるな」
「え?」
「細工物に集中しすぎると息を止める奴がいる。手が硬くなる。呼吸しろ」
「……はい」
言われて、初めて息を詰めていたことに気づいた。
ゆっくり息を吐く。
手の力を抜く。
琥珀石を包むように、金の爪を曲げていく。
かちり、と小さな感触があった。
石が収まる。
ロベリオが覗き込み、ふんと鼻を鳴らした。
「悪くねぇ」
「本当ですか?」
「ああ、良い感じだ」
俺は安堵しながら、最後の仕上げに入った。
薔薇の縁を磨く。
金具の角を落とす。
髪に差した時に痛くならないよう、留め具の内側を滑らかにする。
俺は作業に没頭して時間を忘れていた。
気づけば、工房の外は暗くなり始めている。
朝に来たはずなのに、いつの間にか一日が過ぎていた。
最後に柔らかな布で全体を磨く。
金の薔薇が、炉の光を受けて淡く輝いた。
中央の琥珀石は、温かい光を抱いている。
派手ではない。
けれど、白い髪にはきっと映える。
「できた……」
思わず呟いた。
手のひらの上に、小さな髪飾りがある。
金で作った薔薇。
その中心に収まる琥珀石。
ロベリオが横から見て、静かに頷いた。
「初めてにしちゃ上出来だ」
「ありがとうございます」
「だが、まだ荒い。花弁の厚みが少し揃ってねぇし、留め具も少し硬い。次に作るならそこを直せ」
「はい」
容赦ない評価だった。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、ちゃんと見てくれているのが分かる。
「琥珀石にはな」
ロベリオがふと口を開いた。
「心を包み込む優しさ、なんて意味があるらしい」
「……それ、知ってたんですか」
「石を扱う職人なら、多少はな。まあ、石言葉なんざ信じるかどうかは人それぞれだが」
俺は手の中の髪飾りを見つめる。
心を包み込む優しさ。
その言葉は、意外なほどティアに合っている気がした。
あいつは魔王だ。
口は悪いし、態度は偉そうで、すぐ調子に乗る。
でも、困っている人を見捨てない。
坑夫の救助にも迷わず向かった。
ロダンやチャロの話にも、まっすぐ向き合った。
昨日だって、義妹を探すエイネシアと、弱った爺様と、困った国があると言っていた。
本人は意識していないのかもしれない。
けれど、あいつにはそういうところがある。
「色だけじゃなくて、意味もあいつに合ってますね」
「なら、渡してやんな」
「はい」
「ただし、渡し方まで俺に聞くなよ。そこは専門外だ」
「いやいや、流石にそこまでは聞きませんよ」
「どうだかな」
ロベリオは面白そうに笑った。
俺は髪飾りを布で包み、慎重に小箱へ入れる。
壊れないように懐へしまうと、ようやく一日の疲れがどっと押し寄せてきた。
黄泉の打ち直し。
髪飾り作り。
さすがに一日で詰め込みすぎたかもしれない。
「今日はありがとうございました」
俺が頭を下げると、ロベリオは手をひらひらと振った。
「礼はいい。代金はもらった」
「それでも、助かりました」
「……また何か作りたくなったら来い。炉が空いてりゃ貸してやる」
「いいんですか?」
「ただし有料だがな」
「そこはしっかりしてますね」
「あたりめぇだ。じゃなきゃ、職人なんてやってらんねーよ」
どこかで聞いたような台詞に、俺は思わず笑った。
ロベリオにもう一度礼を言い、俺は工房を出る。
外へ出ると、ガリアの街はすっかり夜の色に染まっていた。
魔鉱石を使った街灯の灯りが点々と輝いている。通りにはまだ工房の火が残り、遠くから槌音がかすかに聞こえていた。
朝とは違う、静かな熱を帯びた街。
俺は懐の小箱にそっと触れる。
中には、金の薔薇と琥珀石の髪飾り。
ティアが見つめていたものとは違う。
けれど、あいつのために作ったものだ。
「喜んでくれたらいいな」
小さく呟く。
たぶん、素直には喜ばないだろう。
偉そうに腕を組んで、別に欲しかったわけではないとか言うかもしれない。
それでも、少しくらいは笑ってくれるといい。
そんなことを考えながら、俺は暗くなったガリアの街を歩き出した。
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