第32話「新生黄泉」
ロベリオの声は低かった。
さっきまでのぶっきらぼうな職人の声ではない。目の前に置かれた《黄泉》を見て、何かを見抜いた者の声だった。
「……一応、刀のつもりですけど」
「つもり、ねぇ」
ロベリオは鼻を鳴らすと、作業台に置かれた黄泉をじっと見下ろした。
黒い鞘に収まったままの刀。
見た目だけなら、少し不気味な黒刀に見えなくもない。
けれど、こいつの本質はそんな生易しいものじゃない。
ロベリオは指先で鞘に触れようとして、すぐに手を止めた。
「……触る前から嫌な感じがしやがる」
「分かるんですか?」
「分かるも何も、こいつは隠す気がねぇ。鞘に収まってるのに、奥から冷たいもんが漏れてる。こりゃ刀というより、形だけ刃物にした何かだな」
ロベリオは魔鉱石の欠片を一つ手に取ると、黄泉の横に置いた。
青白い魔鉱石の光と、黄泉の黒。
その二つが作業台の上で並ぶと、鍛冶場の熱が少しだけ遠のいたような気がした。
「手紙には軽く書いてあったが、もう一度聞くぞ。こいつは抜くとどうなる?」
「死の気配が漏れます。弱い魔物なら、それだけで魂を喰われると思います」
「物騒にも程があんだろ」
「俺もそう思います」
「こりゃ、妖刀……だな」
ロベリオは眉間に皺を寄せ、しばらく黙った。
それから、黄泉と魔鉱石を交互に見る。
「魔鉱石には、魔力や呪いの流れを受け流す性質がある。正しく加工すれば、外に漏れる力を抑えることもできる」
「じゃあ、黄泉の死の気配も?」
「可能性はある」
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
「ただし、勘違いすんなよ? 呪いを消すわけじゃねぇ。死の気配そのものを消すわけでもねぇ。あくまで、刀身の中に押し留めるだけだ」
「押し留める……」
「ああ。抜いても漏れ出さないようにする。その代わり、刀身の中に閉じ込め続けるには力がいる。おそらく、抜刀している間は使用者の魔力を吸い続けることになる」
抜いている間、魔力を吸われ続ける。
それは決して軽い条件ではない。
だが、抜いただけで周囲に死の気配が漏れる今よりは、よほど扱いやすい。
「死の気配を使う時は?」
「そいつは別だ」
ロベリオは即答した。
「刀の中に閉じ込めたものを、お前さんの意思で外に出すなら、その分の代償は当然発生する。手紙にも書いてあったが、この刀はただの呪物じゃねぇ。もっと深いところで理を食ってる。魔鉱石程度で、そいつの根っこまでは変えられねぇ」
「つまり、普通に抜くことはできるようになる。でも、本気で死の気配を使えば今まで通り代償がある」
「そういうことだ。便利な刀になるわけじゃねぇ。危ねぇ刀を、少しだけまともに握れる形にするだけだ」
それで十分だった。
いや、それだけでも大きい。
今までの黄泉は、抜くこと自体に危険があった。
けれど、もし普通に抜刀できるなら。
死の気配を解放しなくても、黒刀として戦えるなら。
それだけで、あの魔鉱石ゴーレム相手にも取れる手は増える。
「お願いします」
俺が頭を下げると、ロベリオは面倒くさそうに肩を鳴らした。
「言われなくてもやる。エイネシアの手紙とロダンのおじきの名前を出されちゃ、無視はできねぇ」
そう言うと、ロベリオは火箸を手に取り、慎重に黄泉を挟んだ。
鞘からわずかに刀身を引き抜く。
ほんの数寸。
それだけで、鍛冶場の空気が変わった。
炉の火が揺れる。
熱があるはずなのに、足元から冷たいものが這い上がってくる。
「……っ」
ロベリオの顔が険しくなる。
だが、彼はそのまま黄泉を金床の上へ置いた。
魔鉱石の欠片を砕き、粉に近い形へと整える。さらに別の薬剤らしきものを混ぜ、青白い粒子を刃の周囲に散らした。
「魔鉱石はな、ただ熱を入れて叩けばいいってもんじゃねぇ。熱を入れすぎれば中のマナが逃げる。弱すぎれば馴染まねぇ。流れを読んで、刃に沿わせる必要がある」
「流れを読む……」
「見て覚えろ。説明だけで分かるもんじゃねぇ」
ロベリオは炉の火を調整し、金床の横へ立つ。
そして、金槌を握った。
一撃。
澄んだ音が鍛冶場に響く。
けれど、次の瞬間、ロベリオの腕が弾かれた。
「ぐっ……!」
黄泉の刀身から、黒い気配が立ち上がる。
死の匂い。
それが魔鉱石の粉を呑み込もうとするようにうねった。
ロベリオは歯を食いしばり、もう一度槌を振るう。
二撃目。
三撃目。
だが、そのたびに刃は拒むように震え、魔鉱石の光が散っていく。
「っく! なんてじゃじゃ馬だ! これじゃ、触れねぇ!」
ロベリオが吐き捨てる。
額には汗が浮かんでいた。
ただ熱いからではない。黄泉に触れているだけで、神経を削られているのだろう。
俺はその様子を見て、胸の奥に引っかかりを覚えた。
違う。そうじゃない。
ロベリオの腕が悪いわけじゃない。
技術も判断も、俺なんかよりずっと上だと思う。
けれど、黄泉はそういう打ち方を受け入れない。
「ロベリオさん」
「あ?」
「なんていうんですかね……。黄泉はもっとこう、深い所に潜っていくような感じで打たないとダメなんです」
自分で言っていて、ずいぶん曖昧だと思った。
だが、それ以外に言いようがなかった。
黄泉は普通の刀じゃない。
表面を叩くものじゃない。
刃の奥にある暗い井戸へ、火と槌を沈めていくように打つ。
そんな感覚が必要だった。
ロベリオが目を細める。
「お前さん、打てるのか?」
「一応、それ打ったの俺なんで」
鍛冶場が、一瞬静まり返った。
炉の火が爆ぜる音だけが聞こえる。
「……は?」
ロベリオが俺を見る。それから黄泉を見る。もう一度、俺を見る。
「お前さんが、これを?」
「ええ、一応……」
「この、封じ損ねた災厄みてぇな刀を?」
「表現は嫌ですけど、まあ、俺です」
「……若造が?」
ロベリオは低く唸った。
怒っているのかと思ったが、少し違う。
その目には、悔しさと興味が混ざっていた。
職人として、理解できないものを前にした時の目だ。
「くそ。腹は立つが、納得もいく。こいつは作った奴にしか触らせねぇ顔をしてやがる」
ロベリオは金槌を俺へ差し出した。
「なら、お前さんが打ってみろ」
「俺が?」
「魔鉱石の扱い方は教えてやる。火加減も見る。だが、こいつを触れるのがお前さんだけだっていうなら、槌を振るうのはお前さんだ」
差し出された金槌を見つめる。
重そうな槌だった。
前世で使っていたものとは違う。柄の長さも、頭の重さも、微妙に違う。
けれど、不思議と手に取ることに迷いはなかった。
「分かりました」
俺は金槌を受け取り、手にずしりとした重さが乗る。
その瞬間、胸の奥に火が入る。
鍛冶師としての感覚が、ゆっくりと目を覚ました。
「まず覚えろ。魔鉱石は力任せに叩くな。砕ける。マナの流れを刃に沿わせるように入れろ」
「はい」
「火は入れすぎるな。黄泉の方が勝手に熱を食う。炉の火だけを見てたら失敗するぞ。刃の色じゃなく、気配を見ろ」
「気配を」
「できるんだろうな?」
「やってみます」
「やってみます、で触る代物じゃねぇんだがな」
ロベリオは呆れたように言ったが、炉の調整を始めた。
俺は黄泉の前に立つ。
黒い刀身。
そこから滲む死の気配。
普通なら、恐れるべきものだ。
だが、俺にとっては違う。
これは俺が打った刀だ。
俺の人生最期に生まれ、俺と共にこの世界へ来たもの。
危険で、重くて、どうしようもなく扱いづらい。
けれど、間違いなく俺の刀だった。
「……いくぞ、黄泉」
小さく呟き、俺は槌を振り上げた。
一撃目。
金属音が鳴る。
だが、ロベリオの時とは違った。
刃が俺を拒まない。
代わりに、足元が沈むような感覚がした。
深い。
暗い。
まるで黒い水の底へ潜っていくような感覚。
俺はそこへ、魔鉱石の青白い光を流し込む。
二撃目。
魔鉱石の粒子が、刃の表面で砕けずに沈んだ。
黒い刀身の奥へ、細い光の筋が吸い込まれていく。
「……本当に入れやがった」
ロベリオが低く呟いた。
だが、俺に返事をする余裕はない。
《鍛冶》を発動する。
視界の端に、黒いウィンドウが浮かび上がった。
【対象:黄泉】
【追加素材:魔鉱石】
【加工目的:死の気配の封入】
【警告:対象の性質が極めて不安定です】
分かってる。
そんなことは、最初から分かっている。
俺はさらに槌を振るう。
三撃。
四撃。
五撃。
打つたびに、黄泉の奥で何かがうねる。
死の気配が外へ出ようとするのがわかった。
魔鉱石の光がそれを押し留める。
だが、力で押さえつけるだけではダメだ。
黄泉は押さえつければ反発する。
なら、流れを作る。
死の気配が外へ漏れないように、刀身の中で巡らせる。
魔鉱石を壁にするのではなく、流れを整える道にする。
「深く……もっと深く……」
槌を振るう。
槌を握る手から血が滴り、刀身に落ちる。
黒い刃の奥に、青白い光が細く走る。
炉の火が揺れ、鍛冶場の空気がさらに重くなっていく。
身体の内側から、少しずつ魔力が引き出されていくのを感じた。
黄泉が、俺の魔力を、血を吸っている。
早い。もう始まっているのか。
勝手に魂を喰おうとしているわけではない。死の気配を刀身の中へ留めるために、俺の魔力を芯として使っている。
これなら、いける。
「ロベリオさん、次の魔鉱石を」
「おう!」
ロベリオが魔鉱石の欠片を砕き、炉の熱で状態を整える。
それを俺が刃へ打ち込む。
職人としての経験はロベリオが上だ。
魔鉱石の扱いも、火の読み方も、俺とは比べ物にならない。
けれど、黄泉の奥へ潜る感覚だけは、俺にしか分からない。
だから、二人で打つ。
ロベリオが道具と素材を整え、俺が黄泉へ沈める。
気づけば、鍛冶場には槌音だけが響いていた。
カン。
カン。
カン。
その音は、前世の工房を思い出させた。
けれど、今打っているのはただの鋼ではない。
死の気配を宿した刀。
それを、この世界の魔鉱石で繋ぎ直している。
何度目かの一撃で、黄泉が低く震えた。
刀身の奥で、黒い気配が深く沈む。
外へ漏れ出していた冷たさが、すっと引いていく。
ロベリオが息を呑んだ。
「……収まった」
俺は槌を下ろした。
肩で息をする。
想像以上に魔力を持っていかれていた。立っているだけなのに、身体が少し重い。
だが、目の前の黄泉は静かだった。
黒い刀身は以前よりも赤みを帯び深い色をしている。
その奥に、かすかな青白い筋が流れていた。
光というより、底の見えない水脈のようなものだ。
「使ってみろ」
ロベリオが言った。
俺は頷き、慎重に黄泉を手に取る。
柄に触れた瞬間、身体の奥から細く魔力が吸い始める。
嫌な気配を放つこともなく黄泉が静かに、俺の魔力を啜っている。
俺は息を整え、刀を握りしめる。
赤黒い刃が、鍛冶場の灯りを吸い込む。
死の気配は、漏れなかった。
以前なら、抜いただけで空気が沈み、周囲を凍らせるような気配が広がっていた。
だが、今は違う。
冷たさはある。
恐ろしさもある。
けれど、それは刀身の中に深く閉じ込められていた。
「……不快感がない」
思わず呟く。
普通に。普通に、黄泉を扱えている。
「成功だな」
ロベリオが腕を組んで言う。
「ただし、気を付けろよ。抜いてる間は、お前さんの魔力を食い続ける。長く振り回せば、それだけ消耗する」
「そうですね……」
「それと、能力を解放するのは別問題だ。今は刀身に閉じ込めただけだ。お前さんの意思で外へ出せば、代償は今まで通り発生する」
「はい」
「そこを間違えんな。これは安全な刀になったわけじゃねぇ」
ロベリオは黄泉を睨むように見た。
「危ねぇもんを、危ねぇと分かった上で握れる形にしただけだ。こんなじゃじゃ馬を使おうなんて気が知れねぇがな」
その言葉は重かった。
けれど、正しい。
黄泉は安全になったわけじゃない。
死の気配は消えていない。
ただ、俺の意思で扱う余地が生まれただけだ。
俺は黄泉を鞘に収める。
鍛冶場の空気が、ようやく少し軽くなった。
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、ロベリオはふんと鼻を鳴らした。
「礼を言うなら、死なずに使いこなしてからにしろ」
「それ、なかなか難しい注文ですね」
「難しいから言ってんだよ」
ロベリオはそう言うと、作業台の上を片づけ始めた。
ぶっきらぼうだが、その横顔には少しだけ満足げな色がある。
俺は腰に戻した黄泉へ手を添えた。
前よりも静かだ。
けれど、奥には確かに死の気配が眠っている。
深く、深く。
黒い刃の底に沈むように。
「これなら、あのゴーレムにも届くかもしれない」
そう呟いた瞬間、黄泉がわずかに震えた気がした。
まるで、応えるように。
俺は小さく息を吐く。
切り札は、ようやく鞘の中から出せるようになった。
だが、それは希望であると同時に、危険でもある。
ならば、使いどころを間違えないことだ。
ガリアの火種が燃え上がる前に、俺もこの黒い刃の扱い方を覚えなければならない。
俺の意思に黄泉は応えてくれた。
なら、次は俺が応える番だ。
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