第30話「行方を辿れ」
だが、椅子に沈んだその姿は、どう見ても自由に動けるようには見えなかった。
俺たちが言葉を失っていると、ロダンはゆっくりと顔を上げる。
弱々しい動作だった。
けれど、その目だけははっきりとエイネシアを捉えていた。
「また一段と大きくなったな、エイネ」
ロダンは優しく微笑んだ。
その声は掠れていたが、どこか温かい響きがあった。
ただ、その顔には濃い隈が浮かんでいる。肌の色も悪く、長い間まともに眠れていないのだと一目で分かった。
「じっちゃん……」
エイネシアの声が、わずかに揺れた。
いつもの軽さはない。
冗談めかした笑みも、今はどこかぎこちなかった。
「エイネシアさん、ロダンさんとはどういう……?」
俺が問いかけると、エイネシアは少しだけ困ったように苦笑した。
「実は僕、セルアレム公国から亡命してきて、じっちゃん……ロダンさんに育ててもらったんだ」
「亡命……」
思わず、その言葉を繰り返す。
亡命。
さらりと言っているが、軽い話ではないだろう。
どうやら、こちらの世界にも色々と事情がありそうだ。
エイネシアがただ強いだけの冒険者ではないことは分かっていたが、その過去まで踏み込むのは今ではない気がした。
ティアも何かを察したのか、珍しく茶化さなかった。
エイネシアはロダンの前まで歩み寄ると、膝をついて視線を合わせる。
「それより、じっちゃん。チャロが居なくなったって……」
チャロ。
手紙に書かれていた、行方不明になっている娘の名前だろう。
そこで、ふと引っかかる。
エイネシアがロダンに育ててもらったということは、その娘であるチャロという子は、エイネシアからすれば義理の姉妹になるのか。
いや、エイネシアの口ぶりからすると、おそらく妹に近い存在なのだろう。
ロダンは目を伏せ、深く息を吐いた。
「ああ。かれこれ、もう一ヶ月が経つ」
「一ヶ月……」
「手がかりは、魔鉱石について調べていたことぐらいだ。他に変なところはなかった。誰かと揉めていた様子もない。だが、ある日を境に、ぱたりと姿を消した」
そう言って、ロダンの表情が暗くなる。
その横で、ファウラーが静かに拳を握っていた。
怒り。
悔しさ。
焦り。
それらを必死に押し込めているように見えた。
「チャロ様の捜索は、こちらでも続けています。状況的にも、連れ去られたと見るべきでしょうしね」
ファウラーが口を開く。
「だが、表立って大きく動けば、相手にこちらの動きを悟られる可能性がある。ロダン様がエイネシア殿へ手紙を出したのも、外部から動ける者が必要だったからです」
「でも、その後に連絡は取れなくなった」
エイネシアが低く言う。
ファウラーは苦々しげに頷いた。
「こちらも、自由に動ける状況ではありませんでした。ロダン様も体調不良による療養中。実際には、身の安全を守るためにここで過ごしていただいています」
「守っておる、か」
ティアが目を細めた。
「言葉だけならいくらでも言えるがのう」
「疑われるのは当然です」
ファウラーは静かに受け止めた。
「ですが、私はロダン様にも、チャロ様にも恩があります。この件を放置するつもりはありません」
その声に嘘はなさそうだった。
少なくとも、今の俺にはそう聞こえた。
「俺たちも、気になってることがあります」
俺は一歩前に出る。
「今、ガリアでは魔鉱石が不足していると聞いています。武器屋も防具屋も、素材が入らなくて困っていました。そんな中、第七坑道で魔鉱石を多く含んだゴーレムとの戦闘に遭いました」
俺がそう言うと、ロダンの眉がぴくりと動いた。
ファウラーも表情を強張らせる。
「魔鉱石を含んだ、ゴーレム……?」
「はい。普通のゴーレムよりもかなり硬くて、魔法も受け流していました。エイネシアさんの話では、自然にできたものとは考えにくいそうです」
「魔鉱石が、ゴーレムに……」
ロダンが苦しげに呟く。
その顔には、驚きだけではなく、何かを恐れるような色もあった。
ティアが腕を組み、静かに続ける。
「このゴーレムや魔鉱石の不足、チャロとやらの行方不明。どうにも無関係とは思えぬのう」
部屋の空気が沈んだ。
誰もすぐには否定しなかった。
いや、否定できなかったのだろう。
魔鉱石の流れを調べていたチャロが消えた。
魔鉱石が街に回らなくなっている。
そして、閉鎖された第七坑道には、魔鉱石を混ぜ込まれたゴーレムがいた。
偶然だと言い張るには、あまりにも繋がりすぎている。
「……やはり、そこに繋がるか」
ファウラーが低く呟いた。
「心当たりがあるんですか?」
「確証はありません。ただ、魔鉱石の管理に関わる一部の部署で、不自然な記録の改竄が見つかっています。採掘量、搬出量、保管量。その数字が合わない」
「それをチャロさんが調べていた?」
「おそらくは」
ファウラーは悔しそうに奥歯を噛んだ。
「私がもっと早く気づいていれば、チャロ様は……」
「それを言うなら、皆同じじゃ」
ティアが淡々と言った。
「過ぎたことを悔やんでも、行方不明の娘は戻らぬ。今すべきは、何が起きているかを見極め、助けに行くことじゃ」
その言葉に、ファウラーが目を見開く。
ロダンも、ゆっくりとティアを見た。
「ティアちゃん、たまにすごくまともなこと言うよね」
エイネシアがぽつりと言う。
いつもと違う呼び方に思わず、ティアが目を丸くする。
「たまにとはなんじゃ、たまにとは」
「ごめんごめん。今のはかなり頼もしかった」
「ふん。最初からそう言えばよいのじゃ」
ティアは少しだけ得意げに胸を張った。
こんな状況なのに、少しだけ空気が緩む。
俺は思わず苦笑した。
重たい話が続いていたからこそ、その軽さがありがたかった。
「それで、これからどうします?」
俺が問いかけると、ファウラーは少し考え込んだ。
「第七坑道の調査を広げたいところですが、今すぐに大人数を動かすのは危険です。相手に気づかれる可能性がある」
「なら、少数で動くべきじゃな」
「はい。可能ならば、あなた方に引き続き協力をお願いしたい」
ファウラーは俺たちに向き直ると、深く頭を下げた。
「ガリアの長としてではなく、ロダン様とチャロ様を案じる者として頼みます。どうか、この件を調べる力を貸してください」
俺は少しだけ驚いた。
長という立場の人間が、ここまで素直に頭を下げるとは思っていなかったからだ。
けれど、それで分かった。
少なくとも、ファウラーはこの件を軽く見ていない。
ロダンを守りたい。
チャロを助けたい。
そして、この国で起きている異変を止めたい。
その気持ちは本物に見えた。
「分かりました。俺でよければ協力します」
「妾もじゃ。ここまで聞いて知らぬふりはできぬ」
「僕は最初からそのつもりだよ。チャロは、僕の妹だからね」
エイネシアが言うと、ロダンの目元がわずかに緩んだ。
「すまんな、エイネ……」
「大丈夫、心配いらないよ!」
エイネシアはいつもの調子を少しだけ取り戻し、軽く笑った。
ロダンも、ほんのかすかに笑みを返す。
それは弱々しい笑みだった。けれど、絶望に沈んだものではなかった。
「では、今日はここまでにしましょう」
ファウラーが言った。
「皆さんは第七坑道での戦闘直後です。ロダン様も、これ以上の会話はお体に障ります。客室と食事を用意しますので、まずは休んでください」
「食事じゃと?」
ティアの反応は早かった。
さっきまでの真面目な空気はどこへ行ったのかというくらい、目が少し輝いている。
「反応が早いな」
「重要事項じゃ」
ファウラーは少し困ったように笑った。
「ガリアの料理でよければ。温かいスープと、焼きたてのパン、燻製肉くらいならすぐに用意できます」
「よし。おぬしは信用できる」
「飯で判断するな」
ティアはつんと顔を背けた。
それを見てエイネシアがくすりと笑う。
ファウラーも、ロダンも、ほんの少しだけ表情を和らげた。
まだ何も解決していない。
チャロの行方も分からない。
魔鉱石の流れも、ゴーレムを作った者の正体も、すべて謎のままだ。
それでも、俺たちは同じ方向を向くことになった。
誰かを助けるために。
この国で起きている異変を止めるために。
「さて、まずは飯じゃな」
「本当にぶれないな、お前」
「腹が減っては戦はできぬ。昔からそう決まっておる」
「戦う気満々じゃねえか」
「当然じゃ」
ティアは胸を張る。
「義妹を探す小娘と、弱った爺様と、困った国がある。放っておけるほど、妾は薄情ではないからのう」
その言葉に、エイネシアが少しだけ目を丸くした。
それから、ふっと笑う。
「ありがと、魔王ちゃん」
「ちゃんを付けるな」
「じゃあ、偉大なる魔王……様?」
「それも腹が立つ」
「難しいなぁ」
俺はそのやり取りを聞きながら、肩の力が少し抜けるのを感じた。
重たい話をしたばかりなのに、不思議と胸の奥には小さな温かさが残っている。
魔鉱石の謎も、チャロの行方も、明日から調べなければならない。
けれど今だけは、休んでもいいだろう。
温かい飯を食べて、息を整えて、また前へ進めばいい。
ガリアの奥でくすぶる火種は、まだ消えていない。
なら、こちらも然るべき時に備えるだけだ。
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