第24話「ガリア共和国」
山の麓に開いた巨大な洞窟。その奥に、ガリア共和国は広がっていた。
周囲は山に囲まれており、まるで大きな山の中心を丸ごとくり抜いたような巨大な洞窟都市。
岩壁にはいくつもの門や通路が口を開け、そこから人や荷車が絶えず出入りしている。入口には背の低い、がっしりとした体格の衛兵が立っていた。
立派な髭を蓄え、分厚い鎧を身につけたその姿は、俺の想像するドワーフそのものだった。
「おお……本当にドワーフだ」
「そんな珍しそうに見るでない。失礼じゃぞ」
「いや、分かってるけどさ。初めて見ると、やっぱり感動するだろ」
ティアは呆れたように肩をすくめたが、俺としては仕方がない。
鍛冶の国。ドワーフの国。そう聞いて、胸が高鳴らない鍛冶師がいるだろうか。いや、いない。
衛兵に簡単な確認を受け、俺たちはガリア共和国の中へ足を踏み入れた。
瞬間、耳に飛び込んできたのは金属音だった。
カン、カン、カン、と一定の調子で響く槌の音。
どこかで炉が燃えているのか、熱を帯びた空気が通りを流れ、あちこちから蒸気と煙が立ち上っている。石造りの建物の軒先には、剣や斧、鎧、鍋、装飾品まで並べられていた。
「すげえ……」
思わず声が漏れる。
街そのものが、一つの巨大な工房みたいだった。
鉄と火と油の匂い。熱気。響く槌音。歩いているだけで胸の奥がむずむずしてくる。
「目が輝いておるぞ、ユウマ」
「そりゃ輝くだろ。ここ、天国か?」
「暑苦しい天国じゃのう」
ティアがくすりと笑う。
通りの看板を眺めていると、武具屋や鍛冶工房だけでなく、アクセサリー店、酒場、宿、そして温泉と書かれたものまで目に入った。
「温泉……?」
看板には、この地が温泉発祥の地だと書かれている。
山脈の地下深くから湧き出る熱水を、古くからドワーフたちが利用してきたらしい。
「おい、ティア。ここ、温泉があるぞ」
「ほう。湯浴みか。よいではないか」
「しかも発祥の地だってさ」
「ならば入らぬ理由はないのう」
満場一致だった。まず宿を取り、荷物を置く。
長旅の疲れもあるし、鍛冶屋巡りは明日からでいい。今日はとにかく身体を休めることにした。
さっそく宿の人に教えてもらった大浴場へ向かう。
石造りの立派な建物で、入口には湯気の絵が描かれた暖簾のような布が下がっていた。
「どれ、ちいっと満喫させてもらおうかの」
当然のように俺の後ろについて男湯へ入ろうとするティアの襟首を、俺はすかさず掴んだ。
「お前はあっち」
「なぜじゃ!」
「なぜじゃ、じゃない。そっちに女湯って書いてあるだろ」
「妾は気にせぬぞ?」
「男湯に入ってる全ての男が気にするわッ!」
不満そうに頬を膨らませるティアを女湯の方へ追いやり、俺はようやく男湯へ入った。
服を脱ぎ、身体を流してから大浴場へ向かう。
湯気の向こうに広がっていたのは、岩を組んで作られた大きな湯船だった。湯の表面には、網袋に詰められた柑橘系の実の皮がいくつも浮かんでいる。
爽やかな香りが、湯気と一緒に広がっていた。
「はあ……いい湯だ……」
肩まで湯に沈めた瞬間、思わず声が漏れた。
身体の芯から温まっていく。
歩き続けて固まっていた足も、肩も、じわじわとほどけていくようだった。
思い返してみれば、こうして湯に浸かるのは、この世界に来て初めてかもしれない。
宿では身体を拭く程度だったし、川で水浴びをしたことはあっても、湯船に浸かるのとはまるで違う。
元の世界でも、昔は湯に浸かる文化は限られた人間のものだったと聞いたことがある。
もしかすると、この世界でもそうなのかもしれない。ここは発祥の地だから気軽に入れるが、他の場所ではそうはいかないんだろう。
「温泉……最高だな」
ぽつりと呟き、俺はしばらく湯に身を任せた。
たっぷり温まって外に出ると、そこにはティアが仁王立ちで待ち構えていた。
「遅いぞ、ユウマ!」
「なんだよ。風呂はゆっくり入るもんだろ」
「風呂もよいが、飯にいくぞ! 燻製肉を食べるんじゃろ? キンキンに冷えた酒も待っておるぞ!」
言われてみればそうだった。
湯が心地よすぎて、飯のことを一瞬忘れていた。
「おっし、いくか!」
「うむ!」
俺たちはそのまま、賑わっている酒場へ向かった。
店の中は、ヘンデルで見た酒場の雰囲気とはまた別の熱気で満ちていた。
仕事終わりらしいドワーフたちが大きな木のジョッキを打ち鳴らし、笑い声を上げている。壁際では旅人らしき者たちが料理を囲み、店員が忙しそうに皿を運んでいた。
俺たちは空いている席に座り、燻製肉、焼きソーセージ、芋料理、チーズ、それからおすすめの酒をいくつか注文する。
最初に出てきたのは、泡立つ黄金色の酒だった。
「これは……ビールっぽいな」
一口飲むと、冷たさと苦みが喉を抜けていく。
湯上がりの身体に、これがめちゃくちゃ染みた。
「うまっ」
「ほう、これはよいのう!」
ティアもジョッキを両手で持って満足げに頷いている。
見た目だけなら完全に危ない光景だが、こいつは実年齢で言えば俺よりずっと上だ。たぶん。
精神年齢は置いておくとして。
「なんじゃ、その目は」
「いや、なんでもない」
「また失礼なことを考えておったじゃろ」
「気のせいだ」
ごまかすように、俺は燻製肉へ手を伸ばした。
厚めに切られた肉は、噛むほどに旨味と香ばしさが広がる。塩気も強すぎず、酒とよく合った。
「これはやばいな……」
「うむ。肉も酒も進む。この美味さは危険じゃな」
「財布にも……な」
そうは言いつつも、ついつい酒が進む。
「今日はよいではないか。旅の疲れを癒やす日じゃ」
「まぁそれもそうだな。こういう時ぐらいは満喫しないとな」
次に出てきたのは、透明に近い酒だった。
口に含むと、米ではないはずなのに、どこか日本酒に似た柔らかい香りがある。すっと入って、後からじんわり熱が広がる。
「これ、かなり飲みやすいな」
「ほう? 妾にも寄越せ」
「飲みすぎるなよ」
「妾を誰だと思っておる」
そんなやり取りをしながら、俺たちは料理を平らげていった。
燻製肉。
冷えた酒。
温泉上がりの身体。
目の前には、頬を緩ませて肉を頬張るティア。
考えてみれば、ここしばらくは本当に色々ありすぎた。
気を抜けば、重たいものが胸の奥から顔を出す。
けれど今だけは、目の前の温かさをちゃんと味わいたかった。
「……旅っていいな」
俺が小さく呟くと、ティアが肉を頬張ったままこちらを見る。
「なんじゃ、急に」
「いや。温泉入って、美味い飯食って、酒飲んでさ。こういう普通の時間って、案外貴重なんだなって」
「ふむ」
ティアは少しだけ目を細め、それから小さく笑った。
今なら分かる。こちらの世界では、どうにも人の命が軽い。魔物の存在や治安、生きるというのが当たり前ではない世界。
だからこそ、こういう平和が身に染みる。
「なら、今はしっかり味わうべきじゃな」
「ああ」
ジョッキを軽く掲げると、ティアもにやりと笑って自分のジョッキを持ち上げた。
「では、旅の無事と、うまい飯に」
「あと、いい湯に」
「うむ。いい湯に」
こつん、と木のジョッキが触れ合う。
騒がしい酒場の中で、その音だけが妙にはっきり聞こえた。
いつかまた面倒事に巻き込まれるかもしれない。
明日には別の悩みが出てくるかもしれない。
それでも、今は平和だった。
湯上がりの身体に、冷たい酒と温かな料理。
隣には、相変わらず偉そうで、よく食べる魔王の少女がいる。
この平和と明日からの鍛冶屋巡りに心を躍らせながら、俺はもう一口、酒を喉へ流し込んだ。
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