第3話 森林の好戦
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身体が火照っている。顔が真っ赤に染まっている。動けない訳では無い、むしろ具合はいい。だが、どうしても体温が上昇している。魔鹿の住む森に到着するも、どうにも身体の不調に合点がいかない様子だった。木陰に寄り添い座り込む。そんな姿をラピアは見ていた。
これは私が与えた試練ではない。だからアイフルのピンチを手放しに喜べない。
「大丈夫ー? 勇者さまー」
心配そうにおでこに手をあててエーデルが心配をする。あの戦いの女神と名乗ったアテナの事を気がかりするのも大事だが、今日は勇者として冒険に出ることにした。魔鹿の討伐クエストを受注している。数の制限はなく、とにかく多くの魔鹿を倒せばいい。
「ふむ。勇者殿……今日はあまり動かない方がいい。害獣駆除は我々がしよう」
「ご主人様……どうかこのスティルルに全てお任せを……。この地を鮮血で染め上げましょう」
最初は方向性がバラバラだった一同だが、アイフルの様子が悪くなった瞬間から結託した。今は争っている場合ではない。皆でアイフルを気遣い、戦わせないように声替えをしていた。甘える気は無かったのだが、これ以上心配を掛けたくないと思い、しばらく休むことにした。
一行が到着すると、その森には既に可視できる範囲に山ほどの鹿が密集していた。所狭しと縄張り争いをしている。雄の鹿が角と角を叩き合い激闘している。
「白い鹿と黒い鹿。属性の違いが皮膚に出るんだ……山羊みたい……」
「有り得ない……森で出会えれば幸運とされた魔獣がこうも大量発生とは……」
頭を抱えるシャルハを横に、スティルルが料理包丁を頭より上に振り上げて突進する。手前で雑草を口にしていた、角の生えていない子供の鹿の腹部に、真横から刃先を突き立てた。
「どこまでも容赦ない……アイツ……」
と、感心するもの束の間、スティルルは魔鹿の後ろ足で蹴飛ばされる。今ので刃先が肉を切り裂いたというのに、奴の怪我はすぐに回復したのである。レベル差でいうならスティルルの方が上だ。相手が子供だというなら猶更。なのに、これは何だ……。
「ふふふ。こんな鹿も倒せないとは。所詮貴様は子供の玩具なのだよ」
と、言いつつ片目を閉じたまま腕を空に振るい、シャルハが魔術を披露する。真っ赤な薔薇を地中から生成し、魔鹿に向かって絡みつかせる。しかし、すぐに鹿の地面から魔方陣が現れて、薔薇はすぐに萎れてしまった。
「貴族の娘ともあろう人が見っとも無い……」
互いに罵り合い睨みつけ合う。あまりの屈辱に冷静さを失う二人の間に入り……落ち着いた表情でエーデルが言った。
「二人とも、白いのを狙っちゃ駄目だよ。アイツら光属性だから、僕たちの攻撃を無効化してしまうんだ」
その通りとラピアが笑う。光は闇を飲み込み無効化する。エーデルとシャルハは闇属性。あまりに相性が悪い。全くダメージになっていない訳では無いが、極めて効率が悪い。一匹の魔鹿が鼻息をたてて襲ってきた。今度の奴は毛皮が黒い。エーデルは角を片手で軽々と押さえつけると、右ストレートを顔面に叩き込んだ。ただの一発で灰燼と化す。
「黒い鹿は闇属性だから、私たちと相性は普通。実力差通りに勝てると思うよ」
アイフルは背中の袋から弓を取り出した。今までメインウエポンとして使ってきたが、最近は近接戦が多くなっている為に、双剣に持ち替える場合が多い。心の中に何か燃え盛る物を感じた。戦うなと言われていたのに、自然と身体が弓を射る体制になった。いち早くラピアが察知する。声をあげる前に弓は、遠くへいた喧嘩中の魔鹿へと飛んで行った。それも矢が二つ。
弓は見事に命中した。腹部から身体を貫通して向こう側の大木まで飛んでいる。アイフルの目が薄暗く光った。角を叩き合わせていた巨大な鹿達が同時に地面へと倒れ込む。完全なる不意打ちであった。あまりに瞬殺したので、その場にいた全員が唖然とする。
こんなこと有り得ないと。
今度は弓を五本同時に指で掴む。弦を地面と平行に傾けた。こんな姿を見たのは初めてである。今まで弓の技術は素人の域を出なかった。手捌きが遅く、一発しか放てない為に、あまり期待は持てない。精々、毒矢という一発芸を持っていただけ。指導者から弓の稽古をつけて貰っていないからだ。
しかし、今は違う。誰から習った訳でも無いのに、弓を使いこなしている。放たれた五本の弓は全て命中した。しかも、此方へ突進してくる魔鹿の眉間を的確に狙い撃ちしている。意図して当てたのだ。弓を構えて放つまでの時間が短い、状況把握能力も格段に上がっている。理由のない突然の急成長、そして全身に薄黄色の光を纏っている。これには驚かずにはいられない。
「ほう。これが戦いの女神であるアテナの加護だな。『芸達者』。使用する武器の使い手となり、隠されていた真の力も発揮できる能力か」
「シャルハ。よくご存知ですね」
「あの町の住人にも、何名かこの加護を持つ奴はいたからな。異世界から転生されただけの人間は武器の操作の腕前も一流とはいかない。それをこの地にいるアテナに加護を頂くことで、使いこなせるようになる」
そう、アテナの加護は武芸に富む能力なのだ。武器の最大限の力を発揮できるなど、チートもいい所だ。しかし、その代償は極めて大きい。こんな反則のように手に入れた力など使いこなせる訳もない。魔鹿は怒り狂ってアイフルを目掛けて強靭な角を突き立ててくる。当たれば怪我では済まない。一撃であの世行きもありうる。一匹一匹なら堅実に倒せるのに。
「い、痛い……」
アイフルの左指は血で滲んでいた。先ほどから休むことなく、何発も弓を打ち込んでいる。襲い掛かってくる魔物を全て、自分の場所に来る前に撃ち落としているのだ。
「大丈夫。私たちに任せていいよー」
そう言ってエーデルは、後ろから回り込み軽く飛んで弓を取り上げる。アイフルは足を曲げて、その場に座り込んでしまった。武器を失うと今度は放心状態となり、口を開けたまま空を向いている。突進してくる魔鹿はシャルハの魔法で鉄柱を地面から生成し串刺しにする。柱を抜けて来た鹿をスティルルが包丁で真っ二つにした。光属性の鹿はこれだけ攻撃を受けても消えてくれない。しかし、空中に打ち上げられているので、取りあえずは襲ってこない。
「ご主人様。しっかりしてください」
「耳がキーンとする。なんかジンジンして痛い……」
加護は能力ではない。その女神を崇拝させる考え方そのものだ。例えばラピアは邪悪の女神なので、感情を暴走させ、自身の感情をさらけ出すことを生業としている。それが故の凶暴化だ。では、アテナの考え方は……戦う事のみが全てなのだ。武器も一人前に扱えない三流は戦っていて生えない。結果はどうでもよく戦う姿が美しいか、それだけが全てなのだ。
それで勇者が死に絶えたとしても。この加護が世界を一度は救っているのだから始末が悪い。アテナも好意で自分の加護を配っている。この世界を救うには武器を使いこなす、奴の加護が必要だ。これが第二の町で頂けるのだから良心設定だろう。しかし、現実はそんなに甘くはない。彼女の壊れた闘争本能が遺憾なく布教した結果が、この有り様だ。
「大丈夫ですか? アイフル……。私以外の女神の加護で強くなるなんて……。この浮気者」
「はぁ? 欲しくて貰ったんじゃないし。それに……これ、代償が伴うんでしょ? 凶暴化よりも具合が悪い……これ」
凶暴化のような感情の高ぶりという明確なトリガーがあって発動するのではない。不意に気を抜くと身体中を闘争本能が襲う。戦わずにはいられなくなる。
そして……その闘争本能は奴等も持っている。
「なんだ、あの魔方陣を地面に写した魔鹿は……」
「わーなんか凄い大きいのきたー」
「この森の主だろうか。これはデカい」
他の魔鹿を押しのけて一回り大きい鹿が森の眩影から登場する。しかも、光と闇のストライプ。横から見るとシマウマのように見える。目が他の違って腐っており、四本足が細くて長く、その角は何重にも枝分かれしていて、まるで古びた盆栽のようだ。鼻息が荒く何度も歯ぎしりを繰り返す。前足で地面を何度も蹴り、砂を掘り起こしている。真下にはこの鹿を覆う程の巨大な黄色の魔方陣。その紋章は、今アイフルの身体を纏っていたアテナの髪型と同じ色。
「なんで生態系が崩壊したのか、理由は簡単でしたわね……」
ラピアが唇を引きつらせて苦笑いする。少しだけ怒りが込み上げてきた。
「なるほど。アテナのやつ……その辺にいた魔鹿にまで、自分の加護をプレゼントしやがった」
アイフルの目の前にエンカウントの表示が出た。
『混沌仏塔魔鹿』
鹿が他の小さいサイズと同じようなモーションで突進の構えに入る。顔を低く構えて頭の先に角が来るようにする。この攻撃で頭を防御しつつ、防御不能の攻撃を生み出す。見た目からして、闇属性と光属性の両方を兼ね備えている。しかも、この鹿は闘争本能が剥きだした。その大木のような角には人間の血痕がベットリ付着している。
「大物がいるではないか! 面白い! こんな巨大な魔鹿は初めて見るぞ!」
「でも……目が死んでいるというか。気持ちが悪いねー」
「さぁ、絶滅危惧種に帰る準備は出来たか。この可愛いメイドがお前達を絶滅させる…」
三人は臆する様子はない。アイフルの傍を離れて意気揚々と立ち向かっていく。きっと自分達だけで決着を付けたかったのだ。これ以上は勇者が戦わなくていいように。しかし、発作のようにアイフルの心臓が鼓動を始める。胸を力強く苦しそうに掴んだ。下唇を噛み締めて、衝動に耐える。見兼ねてラピアが不安そうに駆け寄った。差し伸べた手を握る。
「汗が凄いですわ。呼吸も荒いですし……」
それと全く同じ症状が目の前の魔鹿にも表れている。あの鹿は動かずにはいられない。戦う目標も見失って角を振り回し、樹木へ頭の角を叩き付けている。その度に上空から針葉が地面に散らばっていく。




