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第27話 凶暴化

 半分は賭けだった。魔王がブネの反逆に気づかずに契約を切らない可能性だってあった。見事、その賭けに打ち勝ったのである。


 「こんな馬鹿な……」


 ただの小者に成り下がった第一のボス。しかし、それでも奴は油断出来ないのである。雄叫びをあげて、身体に溜めていた魔力を解放した。少しずつ巨大化していた。魔王との契約を打ち切られても、それでも自分自身の力が残っている。


 「喰らってやるぞ!」


 「やってみろよ。返り討ちにしてやる!」


 筋肉が肥大化して的が大きくなった。先ほどシャルハの与えた薔薇の引っ掻き傷が回復する。皮膚を覆っていた橙色の甲殻が更に厚くなった。シャルハが右手で指を鳴らし、火炎の柱を奴の胸を目掛けて放つ。奴はそれを簡単に回避した。


 まだ奴の体力は残っている。まだ動き回れる。アイフルは勝負を急いでいた。ラピアの加護『陰のオーラ』は感情の高ぶりで発動する。しかし、永延に強化してくれるわけではない。その加護は時間制限が存在する。闇魔法の強化と凶暴化が無くなれば、おそらくパーティは半壊する。


 エーデルとスティルルが洞窟の壁を蹴飛ばし奴へと跳躍した。エーデルは首を目掛けて爪をたて、スティルルは包丁で顔面を狙う。その両面からの攻撃を腕を交差して受け止めた。当たり前だが、分身と同じではない。真ん中にいた竜は明らかに強い。


 「可愛いなぁ」


 そう言ってエーデルの顔に嘴を向けて口を大きく開く。捕食する気だ。そこへシャルハの生成した鉄球が奴の顔面を直撃する。と、同時にスティルルは包丁を逆手に持ち替え、身体を回転させ拘束を解除。奴の腕を包丁の刃先をエーデルを掴んでいた手の甲に叩き付た。三人は一緒に地面に付き落ちる。ブネはまだ不気味に笑う。


 凶暴化している三匹を相手取っても捌き切った。


 「アイフル! このオフィーリアの魔物たちが突然に死んでいきます! おそらく……」


 「ブネに魔力を吸収されている」


 奴が下卑た目をして口を開けている。長く真っ白な歯が並び、真っ赤な舌がビラビラ動く。あの阿保面には意味があった。この洞窟中の魔物の命を奪っているのだ。


 「吾輩の配下である蝙蝠も殺された。今、洞窟の外に逃げるように言っている!」


 ダラダラと口から涎が零れる。気色の悪い怪物は徐々に筋肉質化していき、巨大化していく。じかし、知能は徐々に落ちていく気がする。言葉を話せなくなり、本能丸出しになってきた。


 「何だ……これは……頭がふらつく……」


 「うーん。あれ……身体が戻っていくよ……」


 エーデルの姿が徐々に元の女の子の姿に戻っていく。元より月光の届かない場所で変身していた。ここで変身解除されたということは、凶暴化が解け始めた。そして、途方もない疲労感が三人を襲っている。永遠に続く怒りなどない。気性の粗さを失い始めた。


 「水が……身体に……」


 スティルルに至っては身体が人形である為に、身体が水分をよく吸収する。先ほどまで飛び跳ねていたのが嘘のようだ。背中を水面に打ち付けそのまま沈んでいく。ラピアの加護が終わった。殆ど三分ほどしか持たないとは。随分と時間制限が短い。


 「ここまでですわね……」


 ラピアが前に出ようと思い、アイフルの前に出ようと歩き出した。ここでラピアが直接的に手を貸せば経験値は手に入らない、だが命には代えられない。加護は消えた時点で勝負はついたと判断した。


 いくら弱体化したとはいえ、ブネはそれでも強い。レベル35、これは復活を保証された状態のブネの強さと同じである。つまり、第一のボスに通常通り挑んでいるのと同じ。お供の三人は倒れた。今のアイフル独りでは勝てる要素がない。


 「いくらこの洞窟の魔物を喰らおうと、あんなブネには負けませんわ。私が倒します」


 「来るな! 女神が戦っちゃいけないんだろ」


 「今の貴方一人では勝てません!」


 「そう思うだろ?」


 楽しそうな笑顔で足を上下に開いた。弓を左膝に置き、右手を弦にかける。そして、静かに両拳を目の高さまで上げた。胸を大きく開いて弓を放つ。その弓は奴の腕に当たった。そのまま空中に落ちていく。甲殻に阻まれ毒が身体に回らない。


 「ぐふふふふ」


 馬鹿にするように笑う。まるで恐怖を味合わせるように、空中からアイフルのいる場所へゆっくりと近づいてきた。気色悪い笑い声をあげて。それでもアイフルは落ち着いている。


 「ラピア! お前が私より強いことなんか分かっている。だけど、ここは女神を助けに来た勇者でいさせてくれ。ようやく……自分の弱さと向き合えそうだから」


 アイフルは目の前の化け物を自分と重ねていた。傲慢で意地っ張りで我儘で、他人を平気で不快にさせる。生まれ変わる前の自分と同じに見えた。だから目を逸らさない。


 「うぶ。うぶぶ。あがが。あはぁ」


 奴の腕が飛び出して来た。花嫁を喰らう為に。温泉の中に身を潜めればその場凌ぎにはなる。奴はこの泉には近づけない。それでもアイフルは動かなかった。


 「駄目ですわ! 捕まったらもう……」


 その言葉を言い終わる前に……ブネの差し出した腕は空中に飛んで行った。そのまま湯に落ちて泡と化す。信じられないという顔でブネの目がグルグル回る。アイフルの手にはランタンフィッシュの提灯から生成した短剣があった。


 「おい、何で油断した? まだ私の凶暴化が残っているだろうが!」


 お湯の中から巨大な斧を取り出す。ブネが驚いて上空に逃げようとするも手遅れであった。刃先が奴の翼を切り付けた。凶暴化の効果をアイフルは肌で感じていた。先ほどまでの自分とは違う。感情が溢れ出してくる。


 自分が死んだという絶望、もう元の世界に戻れないという絶望、捕食されかけている絶望。これらが彼女の心を握り潰すように不安感を煽った。これが『凶暴化』。どうにもならない感情の爆発。


 戦う前から倉庫にあった武器を、あらかじめ温泉の中に隠しておいた。奴の目に見えないように。エーデルを派手に動き回らせなかったのは、足を怪我させることを予防していた。空中戦になることが分かったいたからの、この戦術だ。


 翼を折られたブネは呻き声を上げながら、片翼でフラフラと空中を飛ぶ。洞窟の壁面に激突した。ブネにもはっきりと死の恐怖が襲ってきた。自分が負けるかもしれないという不安が襲っていた。


 「時間がない。一気にいくぞ」


 ソフトボールの投球フォームで手元の武器を放り投げる。まず、大剣を放り投げた。凶暴化の影響により有り得ない速度で刃物が飛んでくる。ブネは咄嗟に残った腕で身体を防御した。しかし、その腕に大剣が突き刺さる。


 「なん……だと……」


 辛うじて声を出す。嘴で大剣を抜くと、そこから大量の血が溢れ出た。アイフルの連続投射は止まらない。狭い洞窟と折られた翼、そして今までの疲労がブネの回避を困難にする。


 古今東西、あらゆる形の刀がお湯から湧き出るように出て来た。その武器を両手で握りしめて上空へ放つ。命中率が良い訳では無い。その殆どがブネには当たらなかった。しかし、無数にも思える武器の雨霰あめあられが飛んでくる。


 「この武器たちは、お前を攻略しようと思って集まった勇者の武器だ。中には『竜殺し』の特性を持った物もある!」


 いつものブネなら簡単に回避できるのに、身体が言うことを聞かない。遂にアイフルの放った直刀がブネのもう一つの羽に直撃した。翼が破れて降下していく……。


 いつの間にかブネの顔には余裕が無くなっていた。洞窟の魔物から魔力を吸収する余裕さえない。奴が取った最後の悪足掻きは……。


 「もうやめてくれ。ここで死んだから復活出来ないんだ。お前たちの勝ちだ」


 命乞いだった。徐々にオフィーリアの泉に向かって降下していく。羽にはまだ飛行能力があるものの、それを失いかけている状態だった。このまま落ちれば消滅する。あと、一度でも攻撃を与えれば、それだけで息絶える。


 「殺さないで……死にたくない……」


 肥大化した筋肉は収縮していった。大きさは人間と変わらないサイズになる。体力も魔力も殆ど残っていない様子だ。虫の息である。呼吸が荒く涙目である。


 アイフルは凶暴化している。思考力が落ちて、感情的であり、憤怒の感情が心を支配している。……最後に矢を放った。これは奴を倒す為の一撃ではない。情けをかけたのだ。放たれた矢は明後日の方向へ飛んで行った。


 「降参するなら岩場に避難しろ。見逃してやる」


 弓を持っていた腕を降ろす。信じられない光景にラピアが叫び声をあげる。


 「何をしていますの! あと一歩で倒せるのに。まだ残弾はあるでしょう。凶暴化が残っているうちに、アイツを殺しなさい!」


 「悪い、ラピア……凶暴化は……時間切れなんだ……」


 そのままアイフルは苦しそうに腰を屈めた。三分間も重い武器を投げ続けたのだ。全身を疲労が襲っており、苦しそうに息をする。まだ武器なら落としているが、投げる気力がない。ブネはゆらゆら低速で浮遊しながらお湯のない地面に降り立つ。なんとか着水することを防いだ。


 「今日の所は引き分けってことにしてあげる……」


 「…………」


 アイフルとブネはお互いに顔を見合わせた。お互いに疲れ切った顔。しかし、ブネの顔が最後に……また、不気味に笑った。


 「そうか、そうか。疲れたか。それが人間の限界だ」


 両翼を折られた。腕を失った。皮膚に傷を負った。あのまま戦っていれば負けていただろう。しかし、もう負ける気がしない。奴の疲労感はしばらく続く。いくらオフィーリアの泉に身体を沈めていようとも、体力と魔力が回復するだけ。全身のダルさは戻らない。翻ってブネは自分の回復速度には自信があった。自分の方が早く全開の状態になると思った。


 最後の最後で奴は冷静だった。


 「勇者と魔物の戦いに引き分けなどない。お前は……負けるんだ」


 凶暴化を生かした短期決戦は唯一ブネに対抗する手段として有効だった。しかし、それが無くなればこれ以上にないくらい弱体化する。リスクを伴うパワーアップ。もう四人とも立ち上がれない。


 「あのさぁ、殺される前に質問してもいい?」


 「あぁ?」


 「元の世界に帰りたいと思う? 貴方も転生してこの世界に来たんでしょ? 前の世界で一緒に過ごしてきた人たちと、もう一度出会って、また一緒に生活したいって思う?」


 ブネは腹の底から笑った。もう何百年前の話だが覚えてもいない。前の世界のことなど覚えていない。もうすっかり忘れてしまった。


 「今更、弱々しい人間になど戻れるか」


 「私は帰りたい。出来ればもう一度やり直したい。そんなに仲の良い人がいる訳じゃないけど。きっと皆私のことを嫌いだろうけど。それでもさ、諦めたくないじゃん。もう一度やり直して、今度はもっと本気で皆と笑い合うんだ」


 ブネはその場から動かないつもりだった。身体が全回復してから、ゆっくりアイフルを捕食するつもりだった。消化をせずに永遠に身体の中に保存してやる気持ちだった。


 ブネが異変に気が付く。身体が回復しない。それどころか、皮膚の甲殻が剥がれていく。急に首を抑えて地面に転がった。全身を駆け巡る痛みが増していく。


 「これは……」


 「ごめんね。引き分けなんて嘘をついて。貴方が最後の力を振り絞って私に突進するのが怖かったの。もう本当に手札はないから。だから、都合のいい言葉で時間を稼いだだけ。貴方を許すつもりはない」


 「は……」


 オフィーリアの泉。それは以前に女神が水浴びをしていた神聖なる土地。この地に魔物は足を踏み入れられない。魔物がこの湖に沈めば身体は融けて消える。この水の全てが魔物にとっては毒だ。第一のダンジョンとして画一した後も、この場所だけは永遠に変わらなかったのだから。ラピアが入らないのは、そういう理由である。


 気が付くとシャルハ、エーデル、スティルルの三人は泉から出ていた。ラピアが手をかして、岩場へと引き上げている。彼女たちもこの泉は具合の良いものではない。だから、作戦の為にずっとお湯の中で我慢していた。


 「ここは温泉でもあり、毒の沼なんだ」


 そして毒の付着した武器を散々に浴びた。複数の傷口から毒が染み出す。体内に蓄積される。


 「お前に言う通りだよ。引き分けなんかない。お前の負けだ」


 ブネが死期を悟った。もう自分の身体が消滅していくのを感じている。叫ぶことも疲れ切っていた。うつ伏せに寝転んだまま立ち上がらない。静かな最後だ。しかし、ブネの顔にラピアが駆け寄る。ラピアは……女神のような顔をしていた。死に逝くブネの顔を抱く。アイフルには聞こえないように小さな声で話しかけた。


 「怖がる必要はありません。貴方は……また転生します」


 「あぁ……」


 「また人間に戻るのです。どこの誰として生まれ変わるか分かりませんが。次の世界に旅立つ貴方へ女神の祝福ですよ……」


 優しく頭を抱きかかえた。そして、ブネは思う。嫌だ、人間になど戻りたくないと。今更、貧弱な人間になどなりたくない。龍の姿でいる方がマシだ。しかし……身体は消えていく。


 「い……や……だ……」


 最後にそんな言葉を残してブネは消滅した。人間に戻りたいと言ったアイフルが生き残り、人間に戻りたくないと言ったブネが旅立つ。光の粉になったブネを見つめて、ラピアは皮肉な話だと思った。

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