横浜の朝
目を覚ますと、窓の外が薄い光に包まれていた。
横浜の朝は、夜の港とは違う静けさを持っている。
しばらくして、隣で寝息が聞こえた。
彼女は僕の腕に軽く触れたまま眠っていた。
髪が枕に広がり、頬にかかっている。
僕はそっと指先でその髪を撫でた。
触れた瞬間、彼女が微かに身じろぎしたが、目は開けなかった。
その仕草が、胸の奥に静かに広がった。
昨夜までの距離とは、もう違う。
説明はいらない。
ただ、この距離がすべてを物語っていた。
しばらくして、彼女がゆっくり目を開けた。
「……おはよう」
「おはよう」
彼女は眠そうに笑い、僕の肩に軽く頭を預けた。
その動きがあまりにも自然で、僕は何も言えなかった。
ベッドから起き上がると、彼女は僕の隣に座った。
距離はほとんどない。
肩が触れるほど近い。
僕が少し動くと、彼女も同じ方向へ身体を寄せた。
「学生の頃は、あなたに対しては不満がたくさんあったの」
「ん? いきなり何?」
彼女の指先が絡む。それだけで、胸の奥が静かに熱くなる。
「結構何でもできちゃうじゃない。苦しんでるとことか想像できないし」
「それは褒めてるの? けなしてるの?」
「んん……まぁとにかく、あなたは何に対しても本気になってる姿が見られなくて、
何をやるにしてもまず言い訳が先で、自分でやりたくてやったわけじゃない、
って感じに見えたの」
確かにそうだった。あの頃の僕は、そういう傾向が特に強かった。
周りの目を気にして、いつも『周囲への言い訳』が先立っていた。
本当にやりたいことをやるにも、まず大義名分の『言い訳』の存在が必要不可欠だった。
彼女は話しながら、手の甲に触れ、僕の肩にもたれた。
その重さが、言葉よりも強く胸に響いた。
「どうして、またそんな事を言うの?」
「……あの頃、あなたは魅力的で素敵な人だったけど、
そこだけがどうしても受け入れられなかった」
彼女は僕の手を握ったまま、親指でそっと僕の手の甲をなぞった。
その触れ方は、言葉よりも優しく、そして少し寂しげだった。
「あなたと一緒にいると、私は何度も新しい自分に出会えた。
それはものすごく素敵なことだったの。
でも、あなたの存在の抜け殻だけが、私にとってはどうしても許し難いものだったの」
「それで別れよう、って言ったんだね」
「そうね」
彼女は寂しそうに同意した。
そのまま僕の肩に頭を預け、手を握る力を少しだけ強めた。
「僕は一緒にいると、すごく気持ちが楽で落ち着いていた。
些細なつまらないことでも、一緒に笑いあえる相手だと思った。
逃げ出したくなるような夜に、心をつなぎ止めるように抱きしめあえる、
そんな相手だと思っていた」
僕が言うと、彼女はゆっくり顔を上げた。
その瞳は、昨夜よりも近くにあった。
「違うの。そうじゃないの」
彼女は僕の手を離さず、もう片方の手で僕の腕をそっと掴んだ。
その仕草は、言葉を探すようでもあり、何かを確かめるようでもあった。
「私はあなたにたくさんのものを与えてもらった。
私はあなたにたくさんのものをもらった。物じゃない。
あなたと一緒なら、新しいことにも、苦しいことにも、不思議と逃げずに向き合えた」
彼女は言いかけて、少しだけ息を吸った。
その瞬間、僕は自然と彼女の肩に手を回した。
彼女は驚いたように目を見開き、すぐにその肩を僕に預けた。
言葉よりも先に、身体が近づいていた。
説明はいらない。
もう、そういう距離だった。
その時、僕の携帯が鳴り響いた。
彼女は肩を預けたまま、僕の胸元に軽く額を当てた。
その仕草が、胸の奥に深く刻まれた。




