帰る場所、始まりの場所
2024年の秋、僕たちはフォール・クラシックを迎えていた。
フロリダでの奇跡の再会から数週間後、大谷翔平の活躍はさらに勢いを増し、
ドジャースはワールド・シリーズへ駒を進めた。
運命は数奇なもので、彼女の住むロサンゼルスのドジャースと、
僕の住むニューヨークのヤンキースがリーグ・チャンピオンとして戦うことになった。
「ワールド・シリーズ、どこで観る?」
彼女がそう言ったのは、ロスの海沿いのバーでのことだった。
再会したあの日と同じように隣同士に座り、僕たちは静かにグラスを傾けていた。
「ロスで観たいけど……」
僕が言うと、彼女は首を傾げた。
「でも、あなたはニューヨークの人でしょ?」
「いや、もう違うかもしれない」
その言葉は、自分でも驚くほど自然に出た。ニューヨークは僕の人生の大部分を形作った街だった。
妻と暮らし、編集者として働き、喪失と再生を繰り返した場所。
しかし、今は違った。僕の心は、彼女とともにある場所へ向かっていた。
「じゃあ……両方で観ようか」
彼女は笑った。
「第1戦、第2戦はロスで、第3戦から第5戦はニューヨーク。
あなたがヤンキースタジアムの席を手配して、私がドジャースタジアムの席を手配するの」
その提案は、妙にしっくりきた。まるで、僕たちの過去と現在をつなぐ儀式のようだった。
彼女が手配した席は、バックネット裏の絶妙な位置だった。
ドジャーブルーの波がスタジアムを埋め尽くし、大谷が打席に入るたびに歓声が地鳴りのように響いた。
「ここで観るの、夢だったの」
彼女はそう言いながら、僕の手を握った。
僕はその手を握り返しながら、1998年の横浜の夜を思い出していた。
あの時、僕たちはまだ何者でもなく、未来がどこへ向かうのかもわからなかった。
今は違う。僕たちは再び同じ場所に立っていた。
大谷の負傷というアクシデントはあったが、フリーマンの神がかった活躍でドジャースが連勝した。
スタジアムの夜空に花火が上がり、僕たちは肩を寄せ合いながらその光を見上げた。
僕が手配した席は、ヤンキースタジアムの三塁側。
ニューヨークの空気はロスとは違い、どこか冷たく、鋭かった。
しかし、彼女はその空気を楽しんでいた。
「あなたが生きてきた街を、ちゃんと見てみたかったの」
彼女はそう言った。
僕は胸の奥が少しだけ痛んだ。
妻と歩いた道、編集部へ向かう地下鉄、9.11の後に立ち尽くした場所。
それらの記憶が、彼女の存在によって静かに塗り替えられていくようだった。
ドジャースが3連勝のあと、ヤンキースが一矢を報いた。
彼女は嬉しそうに笑い、僕はその笑顔を見ながら、
「この人と生きていきたい」と強く思った。
僕の胸の中にふと、ビリー・ジョエルの「さよならハリウッド」が浮かんだ。
ロスを離れ、ニューヨークへ戻ろうとする歌。
ニューヨークとロス。不思議なめぐりあわせだった。
けれど、僕の気持ちは、その歌とは逆だった。僕はもう、ロスへ向かっていた。
松井秀喜の始球式で始まった第5戦、序盤はヤンキースがリードするものの中盤試合が動いた。
ヤンキースのミスが続き、ジャッジの落球等もあり5点を失い、ひっくり返された。
8回にドジャースが2点を勝ち越すと、僕は彼女に言った。
「ロスに移ろうと思う」
彼女は驚いたように目を見開いた。
「本当に?」
「うん。もうニューヨークにこだわる理由はない。同じ空の下で暮らしたい」
ニューヨークは、長い年月を過ごした街だった。
愛する人を失い、仕事に救われ、もう一度立ち上がることもできた。
ここでやるべきことは終えたという静かな実感だけが残っていた。
だからこそ、今度は未来を選びたかった。
「ロスは君に初めて出逢った街だから」
彼女はしばらく黙っていたが、やがて静かに笑った。
「……ありがとう」
その笑顔は、1998年の横浜で見せた笑顔と同じだった。




