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This is the "TIME"  作者: 御樹本 正輝


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12/16

西海岸と東海岸

ロサンゼルスの朝は、いつも光が強かった。

雲ひとつない空から降り注ぐ陽射しは、東北の灰色の空とはまったく違う色をしていた。

彼女はその光を浴びながら、ゆっくりと深呼吸をした。

「ここで、もう一度生き直す」

そう決めて渡米したのは、2012年の春だった。


最初の数ヶ月は、慣れない生活に戸惑うことばかりだった。

英語は話せるはずなのに、西海岸のスラングやスピードに苦戦し、スーパーで買い物をするだけでも緊張した。

夜になると、横浜や松島の海を思い出して涙がこぼれた。


それでも、彼女は少しずつ前へ進んだ。

小さなアパートの一室で英語教室を始め、近所の子どもたちが集まるようになった。

「日本の英語の先生は発音がきれいね」と言われるたび、胸の奥が少しだけ温かくなった。


生徒が増えるにつれ、彼女はコミュニティに溶け込んでいった。

保護者たちと話し、地域のイベントに参加し、週末にはサンタモニカの海岸を散歩した。

波の音は東北の海とは違い、どこか軽やかだった。


「時間って、少しずつ癒すんだね」

彼女はそう言った。

その言葉は、かつて横浜で僕に向けて言った「あなたは抜け殻みたい」という言葉とは違い、

自分自身に向けた静かな励ましだった。


ロスでの生活は、彼女をゆっくりと再生させていった。

英語教室は口コミで広がり、地域の新聞に取り上げられ、新しい友人も増えた。

彼女は40代半ばを迎える頃には、「ここが自分の居場所だ」と自然に思えるようになっていた。


しかし、夜になると、ふとした瞬間に1998年の横浜の夜を思い出すことがあった。

水上バスの乗り場で腕を組んだあの感触。

港の見える丘公園で見上げた青い空。

「あなたはどこに向かってるの?」と問いかけた自分の声。


その記憶は、痛みではなく、静かな余韻として胸の奥に残っていた。


挿絵(By みてみん)


一方の僕は、ニューヨークで再生の道を歩いていた。

妻を失った後、しばらくは何も手につかなかった。編集部に戻っても、資料を開いたままページをめくれず、コーヒーの匂いが妻の職場の記憶を呼び起こし、胸が締め付けられる日が続いた。


それでも、時間は少しずつ僕を前へ押し出した。

法律相談コーナーは読者からの反響が大きく、「あなたの記事に救われた」という手紙が届くようになった。その言葉は、僕の抜け殻のような心に、少しずつ血を通わせていった。


編集部の仲間たちは、僕をそっと支えてくれた。深夜のオフィスでジャズを流しながら作業をしていると、誰かがコーヒーを置いてくれたり、「無理すんなよ」と肩を叩いてくれたりした。


ニューヨークの街は、喪失を抱えたまま生きる人々で溢れていた。

その中で、僕は自分だけが特別な痛みを抱えているわけではないと気づいた。

それが、再生の最初の一歩だった。


40代になり、僕は編集者としての仕事に深い充実感を覚えるようになった。

若い記者を育て、新しい企画を立ち上げ、読者の声を拾い上げる。

泥臭く、地味で、派手さはないが、「言葉で人を支える」という仕事に誇りを感じていた。


週末にはセントラル・パークを歩いた。

空を見上げると、1998年に彼女と話した「ニューヨーカーは空を見ない」という言葉を思い出した。

あの頃の僕は、空を見る余裕がなかった。今は、空を見ることができる。

それが、自分が少しずつ再生している証のように思えた。


夜になると、ふとした瞬間に1998年の横浜の夜を思い出すことがあった。

あの夜の横浜は、今でも僕の中で静かに灯り続けていた。



ニューヨークとロサンゼルス。

東海岸と西海岸。

僕たちは互いを知らないまま、それぞれの人生を歩いていた。

それでよかった。

あの頃には分からなかったことを、時間が少しずつ教えてくれていたからだ。

その先で再び同じ場所に立つことになるとは、そのときの僕たちは、まだ知らなかった。



2024年9月、ニューヨークではアーロン・ジャッジの記録的な打棒に引っ張られ、

ヤンキースはア・リーグの大本命だった。

編集の後輩に「やはり日本人だから、大谷を応援するのか」と訊かれたが

「ニューヨーカーには愚問だ」とだけ答えた。

そう答えたものの、大谷翔平が歴史を変える瞬間だけは、この目で見ておきたいとも思っていた。


一方ロサンゼルスでは、

「今年のドジャースは特別ね」

と彼女がテレビに向かってつぶやいていた。


ニューヨークとロサンゼルス。

それぞれ違う街で、違うチームを見つめながら、それでも僕たちは同じ歴史の訪れを待っていた。

その歴史の一日が、僕たち自身の人生を大きく変えることになるとは、まったく想像できなかった。

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