青い空の喪失
Y2Kと呼ばれたコンピュータ・トラブルもなく無事に迎えたミレニアム。
僕の同僚ダニーの娘、アイリスが僕のサポートをすることになった。
ダニーは永らく僕のバディであり、彼の家には何度も招待された。
ハイスクールに通っていたアイリスが共に働くようになったのは、時間の流れを感じざるを得ない。
旧知のアイリスのサポートにより、僕の生活は少しずつ落ち着いていった。
週末はダニーの家で過ごすようになり、いつしかアイリスは、仕事のサポートだけではなく本当の意味で僕のパートナーとなった。
ダニーには3人の娘がいるが息子はいなかったので、
「バディのお前が息子になるとは」
と驚きと喜びが入り混じった微妙なニュアンスの乾杯をかわした。
アイリスは、活発さや派手さはないが、話すと柔らかい温度が伝わってくる女性だった。
僕が編集の仕事で疲れていると、彼女は「無理しないでね」と静かに言った。
その言葉が、当時の僕には妙に沁みた。
忙しく働く日が続いても、彼女の声を聞くと、ニューヨークの冷たい空気が少しだけ和らぐような気がした。
「あなたって、すごく優しい人だと思う」
アイリスがそう言った夜、僕は自分でも驚くほど素直に笑った。
彼女とは違う種類の温度だった。
彼女は僕を刺激し、揺さぶり、前へ進ませる力を持っていた。
アイリスは、傷ついた僕を急かすことなく包み込むような優しさを持っていた。
結婚生活は穏やかだった。
彼女は金融関係の取材担当になり、僕は編集部で法律相談の新企画を担当した。
忙しい日々の中でも必ず夕食を一緒に食べ、週末にはセントラル・パークを散歩した。
ダニーの家でのバーベキューを行うことも頻繁になった。
上機嫌のダニーと過ごすのが、僕もアイリスも楽しい時間だった。
ニューヨークの街が、初めて「帰る場所」になったように感じられた。
「ここに根を下ろして生きていこう」
僕はそう思った。結婚により念願だったグリーンカードの取得もすんなり受理された。
これからはキースという名がニックネームではなく、自分の公式の名前になった。
1998年の横浜での彼女との再会は、もう遠い記憶になりつつあった。
人生は前に進むものだと、自然に受け入れられるようになっていた。
その年の秋、アイリスと二人で新婚旅行的な意味合いを含め、オーストラリアで過ごした。
というのもワールド・シリーズが史上初のサブウェイ・シリーズとなり、全試合がニューヨークで開催されることになり、街は異様な雰囲気に包まれていたのを回避したかったからだ。
結局、僕は3年連続でワールド・シリーズを見逃すことになり、ニューヨーカーなのにヤンキースの三連覇とは縁がなかったのだ。
「来年はワールド・シリーズ、一緒に見ようね」
「今度こそ逃さないさ」
「約束だよ」
僕は初めてクリスマスを家族二人で過ごした。
ブルーノートでジャズを聴きながら、静かにグラスを合わせた。ささやかな幸せな時間だった。
そして20世紀から21世紀へと時間は流れていった。
しかし、時間は待ってくれなかった。
2001年9月11日。
快晴の火曜日。空はどこまでも青く、雲ひとつなかった。
午前8時46分。
編集部で取材資料を整理していた僕は、同僚の叫び声で顔を上げた。
「飛行機が……WTCに突っ込んだ!」
テレビ画面には、煙を上げる北棟が映っていた。
何が起きているのか理解できないまま、僕はただ画面を見つめた。
そして、午前9時03分、二機目が南棟に衝突した。
僕の心臓が止まったように感じた。
南棟――そこに、取材にいったアイリスがいた。
編集部を飛び出し、マンハッタンの街を走った。
人々が空を見上げ、叫び、泣き、電話をかけていた。
サイレンの音が街を埋め尽くし、灰が風に乗って舞っていた。
しかし、どれだけ走っても、どれだけ探しても、アイリスの姿はどこにもなかった。
何度も携帯電話に連絡した。しかし、電話は繋がらなかった。
崩落するツインタワーの映像を、僕はただ呆然と見つめるしかなかった。
世界が崩れていく音が、胸の奥に響いた。
その日、アイリスは家には戻らなかった。電話は繋がらなかった。
夜になっても、翌日になっても、アイリスの名前は安否確認のリストに現れなかった。
マンハッタンの街は瓦礫と灰に覆われ、空気は焦げた匂いと静寂で満たされていた。
僕はその中を歩きながら、昨日まで当たり前だったものが、今日はもう存在しないことを知った。
時間は、無限ではなかった。
時間は、奪う。何の前触れもなく、容赦なく、突然に。
ダニーが僕のデスクへ足を運んできた。あの陽気な男が何も発しない。
僕もバディにかける言葉が見当たらない。お互いの肩に手を掛け、二人で声を上げずに泣いた。
ダニーから贈られた「キース&アイリス」との名入りの万年筆が二本とも僕の引き出しに眠ることになった。その一本を、僕は二度と使うことができなかった。
ダニーと共に取材を兼ねてマディソン・スクエア・ガーデンでのチャリティ・コンサートに足を運んだ。ビリー・ジョエルが「マイアミ2017」を歌った。財政破綻と災害によって荒廃したニューヨークを遠くから振り返る未来の物語だった。歌い終わった彼は言った。
I wrote that song 25 years ago.
I thought it was going to be a science fiction song;
I never thought it would really happen.
「25年前にこの曲を書いた。SFの曲になると思っていた。
まさか、本当に起こるとは思わなかった」
But unlike the end of that song, we ain't going anywhere!
傷ついたニューヨーカーの心を強く揺さぶり、逃げ出すのではなく
「絶対にこの街に残る、復興させる」という強い思いの拍手に包まれた。
「朝、『行ってらっしゃい』と言えば、夜には帰ってくる。」
そんな当たり前が、永遠ではないことを、僕はこの日知った。
ニューヨークの冷たい空を見上げながら、僕はただ立ち尽くしていた。
その空は、1998年に横浜で見上げた空とはまったく違う色をしていた。
あの日、彼女に
「ニューヨーカーは空を見ない」
と笑った。
僕は、空を見ることが怖くなった。




