↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死者同士の会話は、聞いてはいけない ―午前零時十三分の町内放送―  作者: たむ
第一部 死者からの伝言

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/30

第1話 誰もいない放送室

放課後の校舎には、昼間とは違う音があります。


誰も歩いていない廊下の足音。


閉まっている教室から聞こえる椅子の音。


そして、誰もいない放送室から流れる声。


その声が自分の名前を呼んでも、返事をしてはいけません。

 放課後のチャイムが鳴り終わってから、音無透真は三十分ほど教室に残っていた。


 別に勉強をしていたわけではない。


 帰れなかったのだ。


 廊下の向こうから、ずっと足音が聞こえていた。


 ぺた。


 ぺた。


 ぺた。


 濡れた裸足で床を踏むような、妙に粘ついた音だった。


 教室の後ろの時計は、午後五時二十分を指している。


 部活動をしている生徒の声も、運動部の笛も、吹奏楽部の演奏も、少しずつ遠くなっていた。


 それなのに、その足音だけは消えない。


 ぺた。


 ぺた。


 ぺた。


「……帰ってくれないかな」


 透真は机に突っ伏したまま、小さく呟いた。


 足音が止まった。


 透真も息を止める。


 静かになった廊下で、古い蛍光灯が、じじ、と鳴った。


 次の瞬間。


 こん。


 教室の後ろの扉が叩かれた。


 透真の肩が跳ねる。


 こん。


 二回目。


「無理、無理、無理」


 透真は両手で耳を塞いだ。


 しかし、耳を塞いでも、死者の音は消えてくれない。


 それは鼓膜を通して聞こえる音ではないからだ。


 こん。


 三回目。


 透真は顔を上げた。


 三回のノック。


 祖母から、何度も言われていた。


『透真。死んだ人が三回扉を叩いても、すぐに開けちゃいけないよ』


『どうして?』


『一回目は、そこにいますか、って確認してる』


『二回目は?』


『私の声が聞こえますか、って聞いてる』


『三回目は?』


 祖母はその質問に答えなかった。


 ただ、透真の頭を撫でて、寂しそうに笑った。


 教室の後ろの扉には、細長いガラス窓がついている。


 その窓の向こうに、黒い髪が見えた。


 顔は見えない。


 俯いた少女が立っている。


 白い制服の袖から、水が滴っていた。


 ぽたり。


 ぽたり。


 ぽたり。


 床に落ちた水滴の音が、少女の言葉に変わる。


『放送室に、来て』


 透真は目を閉じた。


「嫌です」


『お願い』


「嫌です」


『妹に、伝えたいことがあるの』


「他の人に頼んでください」


『他の人には、聞こえない』


 その通りだった。


 透真には、幽霊が見える。


 幽霊と会話することもできる。


 そして、人間には聞こえない死者同士の会話まで、音に交じって聞くことができる。


 子どもの頃は、誰もが幽霊を見ていると思っていた。


 公園の滑り台の下で泣いている少年も。


 横断歩道の真ん中で立ち尽くしている老婆も。


 自宅の浴室で、毎晩、排水口を覗き込んでいた女も。


 見えているのが自分だけだと気づいたのは、小学校に入ってからだった。


 それ以来、透真はなるべく幽霊と関わらずに生きてきた。


 目を合わせない。


 声をかけない。


 話しかけられても聞こえないふりをする。


 その三つを守れば、大抵の幽霊は諦めてくれる。


 だが、困っている死者を完全に無視することはできなかった。


 怖い。


 本当に怖い。


 逃げたい。


 それでも、死者が誰にも届かない言葉を抱えて立っている姿を見ると、胸の奥が苦しくなる。


 祖母の言葉が蘇る。


『死んだ人が怖いんじゃないよ』


『じゃあ、何が怖いの?』


『誰にも届かない言葉のほうが、ずっと怖いんだ』


 透真は机の横に掛けていた鞄を持った。


「放送室に行けばいいんですね」


 少女は動かない。


『うん』


「変なことはしませんか」


『しない』


「急に顔を近づけたり」


『しない』


「後ろから追いかけたり」


『しない』


「天井を這ったり」


 少女の首が、少しだけ傾いた。


『それは、したことがない』


「これからもしないでください」


 透真は教室の前の扉から廊下に出た。


 後ろの扉から出なかったのは、少女の横を通りたくなかったからだ。


 廊下には誰もいない。


 西日が窓から斜めに差し込み、床を赤く染めている。


 足元には、濡れた足跡が続いていた。


 放送室は、特別教室棟の三階にある。


 透真は足跡を避けながら歩いた。


「妹さんに、何を伝えたいんですか」


 少女は透真の三歩ほど後ろを歩いていた。


 姿を見るのが怖いので、振り返らない。


 返事の代わりに、水滴の音が響く。


 ぽたり。


『ごめんね、って』


 ぽたり。


『私のせいじゃないって』


 ぽたり。


『一人にして、ごめんねって』


 言葉が途切れた。


 透真は少しだけ歩調を緩めた。


「妹さんは、この学校にいるんですか」


『一年生』


「名前は?」


 返事がない。


「妹さんの名前が分からないと、伝えられません」


 後ろから聞こえていた足音が止まった。


 透真も立ち止まる。


 廊下の窓ガラスに、少女の姿が映っていた。


 濡れた長い髪。


 白い顔。


 左側の頭部が、不自然に潰れている。


 透真は反射的に目を逸らした。


『名前を言うと、来るから』


「誰がですか」


『私を、放送室から出さない人』


 透真は振り返りそうになったが、どうにか耐えた。


「あなたは、放送室で亡くなったんですか」


 少女は答えなかった。


 代わりに、校舎のどこかで、マイクのスイッチが入る音がした。


 ぶつ。


 古いスピーカーに電気が通る。


 ざあああああ。


 校内放送のスピーカーから、激しい雑音が流れ始めた。


 透真は肩を竦めた。


『……さい』


 雑音の向こうで、誰かが話している。


『……なさい』


 女の声だ。


『戻りなさい』


 透真の後ろにいた少女が、息を呑んだ。


『走って』


「え?」


『早く!』


 少女が叫んだ瞬間、廊下の照明が一斉に消えた。


 西日の差していた窓も、突然、夜になったように暗くなる。


 スピーカーから、低い女の声が響く。


『放送室へお戻りください』


 廊下の向こうで、扉が開いた。


 ぎい。


 また一つ。


 ぎい。


 透真の左右に並ぶ教室の扉が、奥から順番に開いていく。


 開いた教室の中は、どこも真っ暗だった。


 その暗闇の奥から、無数の視線を感じる。


『放送を、途中でやめてはいけません』


 女の声に続いて、開いた教室の中から、同じ声が重なった。


『やめてはいけません』


『やめてはいけません』


『やめてはいけません』


 透真は走り出した。


「話が違うじゃないですか!」


『ごめんなさい!』


 少女も後ろからついてくる。


 透真は階段へ向かわず、放送室へ続く廊下を走った。


 戻れば逃げられるのかもしれない。


 だが、少女は放送室から出られないと言っていた。


 ここで逃げれば、彼女はまた一人で閉じ込められる。


「本当に、優しい性格って損だ……!」


 放送室の扉が見えた。


 扉の上にある赤いランプが点灯している。


 使用中。


 だが、部活動終了後の放送室は施錠されているはずだ。


 透真がドアノブを掴むと、あっさり回った。


 扉を開ける。


 中には誰もいなかった。


 狭い室内には、放送機器と机、マイク、壁掛け時計がある。


 時計の針は、午後五時三十三分で止まっていた。


 透真が室内へ入ると、後ろから少女も入ってきた。


 扉が勝手に閉まる。


 がちゃん。


「閉めないで!」


 透真はすぐに扉を開けようとした。


 開かない。


 少女は、部屋の中央に立っていた。


 その体から落ちる水が、床に広がっていく。


「ここで、何があったんですか」


 少女は、放送機器の前を指差した。


 古い操作卓の横に、小型の録音機が置かれている。


 学校では現在使われていない、カセットテープ式の録音機だった。


『再生して』


「これを?」


『私の声が、残ってる』


 透真は恐る恐る再生ボタンを押した。


 がちり。


 テープが回転する。


 ざあああ。


 しばらく雑音が続いた。


 やがて、少女の声が聞こえてきた。


『今日、放課後の放送を担当します、二年二組の水上美月です』


 生前の声だった。


 現在の幽霊の声より、明るい。


『下校時刻になりました。校内に残っている生徒は――』


 声が止まった。


 録音の向こうで、扉の開く音がした。


『先生?』


 足音。


 ゆっくりと、誰かが近づいてくる。


『何ですか、それ』


 美月の声が震えている。


『近づかないでください』


 がたん。


 机が倒れる音。


 短い悲鳴。


 何か硬い物が頭部に当たる、鈍い音。


 ごっ。


 透真は思わず再生を止めた。


 室内が静かになる。


「あなたは、ここで殺されたんですか」


 美月は俯いていた。


『違う』


「でも、今の音は」


『これは、私が死んだ音じゃない』


 透真は録音機を見た。


『この後、私は逃げた』


「逃げた?」


『階段を下りて、外へ出た。でも、雨が降っていた。道路を渡ろうとして、車に』


 美月の体から水が滴る理由を、透真は理解した。


 彼女は放送室で襲われた後、雨の中を逃げ、事故に遭った。


「じゃあ、ここで殴った人がいる」


『うん』


「その人を妹さんに伝えたいんですか」


 美月は首を横に振った。


『妹は、私が自殺したと思ってる』


「自殺?」


『私たち、あの日、喧嘩したの』


 ぽたり。


『妹が、私なんかいなくなればいいって言った』


 ぽたり。


『私も、嫌いって言った』


 ぽたり。


『それが、最後だった』


 透真は口を閉じた。


『妹は、自分のせいで私が死んだと思ってる』


「だから、違うと伝えたい」


『うん』


 美月が顔を上げた。


 潰れた頭部とは対照的に、その目は悲しそうだった。


『妹に、ごめんねって言いたい』


「分かりました」


 透真は頷いた。


「必ず伝えます」


 その瞬間、放送室のスピーカーが鳴った。


 ぶつ。


 ざあああああ。


 透真は凍りついた。


 操作していないマイクのランプが、赤く点灯する。


 スピーカーから、先ほどの女の声が流れた。


『伝えてはいけません』


 美月が怯えたように後ずさる。


『死者の言葉を、生者へ届けてはいけません』


 放送室の窓が、内側から曇った。


 曇ったガラスに、細い指で文字が書かれていく。


 水上美月。


 その下に、もう一つの名前。


 音無透真。


「どうして、僕の名前が」


 透真の背後で、マイクが勝手に動いた。


 ぎ、ぎ、と金属音を立て、透真の口元へ向きを変える。


 スピーカーの女が言った。


『放送を始めます』


 校内すべてのスピーカーから、チャイムが流れた。


 きん。


 こん。


 かん。


 こん。


 普段のチャイムより遅く、音程も狂っている。


 その音に交じって、複数の幽霊が囁いていた。


『新しい人だ』


『声が聞こえる人だ』


『この人なら届けてくれる』


『この人なら代わりになれる』


 透真は耳を塞いだ。


「聞こえない。何も聞こえない」


 だが、声は頭の中へ入り込んでくる。


『音無透真』


『音無透真』


『音無透真』


 死者たちが名前を繰り返す。


 一度。


 二度。


 そして三度目を口にしようとしたとき。


 美月が録音機を床へ叩きつけた。


 ばきん。


 テープが飛び出す。


 スピーカーの雑音が途切れた。


 校舎に光が戻る。


 窓の外には、夕暮れの空が広がっていた。


 放送室の時計が、再び動き始める。


 かち。


 かち。


 かち。


 午後五時三十四分。


 透真はその場に座り込んだ。


「もう、絶対に放送室には来ません」


 美月は、少しだけ笑った。


『ごめんね』


「妹さんの名前を教えてください」


 美月はしばらく黙っていた。


 やがて、消えかけた声で答える。


『水上雫』


「一年生の、水上雫さんですね」


『気をつけて』


「何をですか」


『あの人は、まだ学校にいる』


 透真の背中を、冷たい汗が伝った。


「あなたを殴った人が?」


 美月が頷く。


『妹のそばにいる』


 廊下から、足音が聞こえた。


 こつ。


 こつ。


 今度は濡れた裸足ではない。


 革靴の音だ。


 放送室へ向かって、ゆっくり近づいてくる。


 美月の姿が薄くなり始めた。


「待ってください。一人にしないでください」


『大丈夫』


「全然、大丈夫じゃないです」


『透真くん』


 美月は、初めて透真の名前を優しく呼んだ。


『妹を、お願い』


 その言葉を最後に、美月の姿は消えた。


 革靴の音が、放送室の前で止まる。


 透真は息を殺した。


 扉の向こうに、誰かが立っている。


 こん。


 一回目。


 こん。


 二回目。


 透真は口元を両手で押さえた。


 こん。


 三回目。


 扉の向こうから、男の声がした。


「音無。中にいるのか?」


 聞き覚えのある声だった。


 透真の担任教師。


 篠崎の声だ。


 透真が返事をしようとした瞬間、壊れた録音機から、美月の声が聞こえた。


『返事をしないで』


 透真は動きを止めた。


 扉の向こうで、篠崎がもう一度呼びかける。


「音無?」


 声は優しかった。


 普段と何も変わらない。


 だが、扉の下の隙間から見える篠崎の靴の周りには、赤黒い水が広がっていた。


「いるんだろう?」


 ドアノブが、ゆっくりと回り始めた。


 透真は後ずさる。


 そのとき、校内放送のスピーカーから、誰かの小さな笑い声が聞こえた。


 女の声だった。


『一人目を、見つけました』

後までお読みいただき、ありがとうございます。


透真にとって幽霊は、見慣れた存在でありながら、決して怖くなくなった存在ではありません。


怖いからこそ逃げたい。


それでも、届かない言葉を無視できない。


第2話では、透真が水上雫を捜し、美月の伝言を届けようとします。


しかし、美月の死をめぐる証言と、雫が信じている真実には大きな違いがありました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。