唾を吐き捨てろ
隅に置かれていた狩りの道具を回収し、二人は閂の間から外に飛び出す。
レドは男達を飛び越え、ヴィオレはザックの大きい体を足場にさらに高く跳んだ。
「っ!? ヴィオレ!? レド!?」
思わずロイドが声を上げる、他の者も突然飛び出した二人に今気付いた様だ。
高く跳んだヴィオレは空中で器用に蜻蛉を切りながら巨熊の頭上を飛び越える勢いだ。突然自ら飛び出してきた好物に、巨熊はヴィオレを見上げ自然と後ろ足で立ち上がるような形になった。
その熊の鼻先を矢が掠めた。ヴィオレに注意が引き付けられた隙を付いてレドが矢を放っていた。これには巨熊も流石に驚いたのか仰け反った拍子にそのまま後ろ向きに転がる事となった。
「ほら、着いてこいウスノロ」
「ぼけなすび」
二人は明らかに良い慣れてない語彙の乏しい煽り言葉と共にそのまま背後に駆けていく。
一拍遅れて態勢を戻した巨熊は目の色を変えて二人を追い始める。先程より明らかに興奮している。
「いかんっ!? 室内に戻るんだ!」
「「いやだっ!」」
普段聞き分けが良い二人の間髪入れない拒否にロイドは面食らった。
「取り敢えずコイツをここから引き離す」
「西の広場まで引き付ける」
言うなり二人は熊を引き連れ西に走り去った。
「爺さん呆けている場合じゃねぇぞ! 俺たちも行くぞ! おい親父! 適当に扉塞いで皆他の家に避難させろ!」
ザックは斧を肩に担ぎ、矢継ぎ早に指示を飛ばし走り出す。
「ザック! 駄目よ怪我してるじゃない!?」
「ガキに命掛けさせて休むなんて出来ねぇよ!」
シーラによる制止の声を振り切り男たちも後を追った。
ヴィオレとレドは何度も細かく曲がりながら西の方向へ向かっていた。直線移動だと熊の方が速いためだ。
西の広場に向かうのは村人を収納している家々から離す目的もあるが、ヒューイの家から見て西に向かうと若干下り坂なのも理由の一つだ。
熊は前足より後ろ足の方が長い構造上、登りより下りの方がバランスが取りづらいと以前ロイドに教わっていた。
家と家の間の狭い隙間に飛び込む、一拍遅れて巨熊が腕を伸ばすが自身の横幅で阻まれる。
木材の軋む音が聴こえるがこの家には今人はいない。持ち主には悪いが後で謝って修繕を手伝おうと割り切る。
距離を詰められたらこの様に距離を取る、どうせ匂いを便りに回り込んですぐ追い付いてくるのだ。脚は緩めない、二人は黙々と西に駆ける。
無事西の広場に着いた二人は巨熊の前で二手に別れた。熊はレドを追い始める。
自分に来てないことを確認したヴィオレはすぐ弓を構え、逃げるレドの支援のため牽制の矢を放ち始める。
誘導は完了した。ここからは時間稼ぎだ。
二人は自分達だけでこの巨熊を退けるのは難しい事を重々承知していた。村の男達の協力が絶対不可欠だ。
レドは持ち前の身軽さを活かし、細かく方向転換しながら緩急を駆使し熊から逃げる。いざ距離が詰まると熊の顔目掛けヴィオレが矢で狙う。
流石に顔に飛来物が向かってくるのはこの巨熊とて嫌であるらしく上手く気を削いでいる。
しつこく顔を狙っていると弓を構えるヴィオレに狙いを変更してきた。今度はヴィオレが囮になりレドがサポートに回る。ヴィオレのサポートをしつつ可能な限り矢を回収し長期戦に備える。
そうこうしている内に間も無く男達が広場に到着した。
「マジかよ……たった二人で相手取ってやがる」
「だがジリ貧だ。ジョン、サム、ヘイス、すぐに加勢するぞ! アルビン、何か罠を用意できないか?」
「獲物がデカすぎる。使えるかわからんがありったけの縄を持ってくる」
ザックが二人で巨熊を翻弄している事に驚愕している間にロイド達狩人は散開する。アルビンは道具を取りに一度離脱した。
「顔付近は嫌がるみたい! あとお尻の方が体毛が薄い気がする!」
ヴィオレのサポートをしながらレドが気づきを共有する。それぞれの射線を気にしながら巨熊を広く囲むように狩人達が陣取る。
ヴィオレを追って背中を見せた巨熊に向けジョンが矢を放つ、矢は臀部に突き立った。巨熊はビクリと震え唸り声をあげた。暴れたことにより矢は落ちたが胴体よりも深く刺さったのか僅かだが出血が確認できた。
「本当だ! 通るぞ!」
「二度と糞ができない様にしてやる」
ロイドの放った矢も臀部に刺さる。怒りの為か巨熊はロイドに向かって猛然と駆け出す。
「ぬぅ……」
ロイドはすぐに駆け出すが双子ほどの敏捷性は無いためすぐに距離が詰まる。
「任せて」
「レド!?」
ロイドとすれ違うようにレドが真正面から巨熊に向かって駆ける。狙っていた餌が突然前から近づいてきたことに興奮した巨熊は更に速度を上げた。
瞬く間に近づく距離、レドは走りながら矢を放つ、本能的に顔を反らしその矢をやり過ごした巨熊に構うことなく、レドは矢筒を外し弓と一緒に宙に放り投げてさらに加速する。
仕留めるために振るわれた前足のその更に下を、間一髪足から低く滑り込んだレドが搔い潜る。
「んっ!」
そのまま地を滑り巨熊の股間の間から裏に抜ける瞬間、ナイフを抜いたレドは地を滑りながら巨熊の後ろ足の指先にそれを思い切り突き刺した。ゴリっと骨に当たる感触が伝わる。
裏に滑り抜けたレドは手を突き態勢を整える。そのまま落ちてきた弓を掴み取り矢継ぎ早に臀部に二射打ち込みすぐに駆け出し離脱する。巨熊は痛みに悶え悲鳴を上げた。
「そうか、指先とかの末端部分は毛も肉も薄いのか……」
その光景を見ていたサムは感心したように呟くが自分が出来るか言われると無理だと悟り弓を構えなおす。
一頻り見悶えていた巨熊だが、血走った目でレドを視界に収めまた追走を再開した。
「狙うは尻! 顔! 手足の先だ!」
ジョンが全員の意識合わせを再度行い、また状況は振り出しに戻るのであった。
「くそ! あれじゃ何も手伝えねぇ」
ザックは目の前の状況に対して何も出来ない自分にイライラしていた。
状況は、女や子供に執着している巨熊の動向をヴィオレとレド が利用した硬直状態。
一方的に蹂躙されかけていた先ほどよりも余程好転しているが、ヴィオレとレドを交互に囮にすることで何とか成立している弓を使った中距離の戦いだ。
自分達が出来るのは精々武器を使った肉弾戦、巨熊相手には圧倒的に分が悪い上に狩人達の邪魔になる可能性も高い。
「縄は用意したがどうする? 投げ縄にするか?」
そこにアルビンが数人引き連れて戻ってきた。それぞれの手に村中からかき集めてきた縄を持っている。
「そうだな、出番があるか分からんが、出来ることをするしかねぇか」
ザックは苦虫を噛み潰したような顔で自分に言い聞かせるように言った。全員で縄の先端を輪の形に加工することにした。
「ヴィオレ! 射線に入るな!」
「馬鹿者! お前が動いて射線を通せ! 二人にこれ以上の負担を掛けるな!」
サムの言葉にジョンの怒号が飛ぶ、全員疲労の色が見える。
巨熊の臀部は血だらけである。後ろ足の指からも出血しており雪が積もる地面に赤い足跡を刻んでいた。
それでも尚、戦意は増すばかりで衰える兆しはなかった。
「マズいな……、やっぱり頭がイカれてる個体なのか?」
へイスが呟く、巨熊にダメージを与える事には成功しているが絶命させるには到底足りない、傷付け続ければ逃げてくれるかと期待したが依然兆候はない。
そして何よりマズいのは、この攻防の核であるヴィオレとレドの消耗が激しい事だ。
今囮を務めているヴィオレはもちろん、サポートに回っているレドですら肩で息をしている状態だ。巨熊をいなし続けた敏捷性にも陰りが出始めている。
他の狩人もその状況には気づいているが状況を打破する方法を見出せずにいた。
「一か八か……」
ヴィオレの限界を見て取りレドが再度標的を引き受けたが、もう長く持たなそうな様子を見て取り、ヘイスはある決断をする。
「ザァァァック!」
ヘイスの叫びにザックは縄の加工の手を止め弾けるように顔を上げた。
「もう二人が持たねぇ! 命掛けてくれねぇか!?」
「当たり前だ! 何をすればいい!?」
「即答かよ、シビれるぜ」
即答での了承にヘイスは苦笑した。
「何とかお前の所に誘導する! 脳天にブチかませ!」
「よし来た!」
ザックの言葉を受けヘイスは行動を開始する、レドを追う巨熊の顔付近に執拗に矢を放つ、距離を詰めつつなるべく巨熊の視界に入るように攻撃しレドから自身へ注意を移す。
「おら! こっちだこっち! 子供ばかり狙いやがって熊畜生が!」
最後についでとばかりに矢筒ごと投げつける、それが巨熊の鼻っ面に命中したところで巨熊はようやくヘイスに標的を移した。ヘイスは弓を含め走るのに少しでも邪魔な装備をすべて外す。
「そらどうした? ムカついたか? こっちは丸腰だぜ? かかってこいよ!」
ヘイスが背中を見せ駆け出したところで巨熊は襲い掛かった。ヘイスも狩人だ。熊の特性はわかっている。ジグザグに走り、遠回りをしながらもザックの元へ向かう。
「ザックがブチかましたら全員で縄を投げるぞ! 引っかかった縄を総出で引っ張る、少しでも動きを抑えるぞ!」
「「「応!」」」
アルビンを含めた他の村人達もザックの近くで準備を始めた。
「マジかよっ、あの二人、ずっとこれをやってたのか……」
ヘイスは必死に走りながら、この巨熊の標的になる事の恐ろしさを身をもって思い知っていた。追われてみると想像以上に速い、少しでも気を抜くとすぐに手が届く距離まで迫ってくる、故に細かく切り返してやり過ごすことになるが幾度となく行う方向転換は無論こちらの体力の消耗すら加速させる。
「うお!?」
常に背後を気にしていた筈だが、振り向くと眼前まで大きな手が迫ってきていた。咄嗟に横っ飛びで回避する。
なんとか避けたが、自身では長く持たないことを悟る、ヴィオレとレドの類い稀な機転と敏捷性を身をもって知ることとなった。
かなり勢いがついていたところをいなしたはずだが、異常な膂力で慣性を捻じ伏せすぐに肉薄してくる、常に死を背負って走っている様な感覚は正直これ以上感じたい物ではなかったがヘイスはこれを喜んで背負おうと決めた。
成人もしていない子供が村を守るためにたった二人でこれを背負っていた事実がへイスを奮い立たせる。
顔を上げると斧を構えたザックと目が合う。
「胴体は駄目だ! 肉と皮の薄い眉間を狙え!」
叫びながらへイスは走る。ザックが狙いやすいようにここからは一直線だ。
巨熊の後からは後詰めの為他の狩人も追ってきている。
全員が感じている、ここが正念場だ。
「頼む!」
巨熊の気配を間近に感じつつ、へイスはザックのすぐ横を通り過ぎた。
全員の思いを込めたザックの一撃、現時点でホビロ村の最高威力を誇る一撃が振り下ろされた。




