第9話
朝、目が覚めた。
起き上がって、廊下へ出ようとして——今日は途中で気づいた。
台所には行かなくていい。
結局まだ、仕事のことをヴァルナード様に相談出来ていない。
わたしの仕事はなんだろう。
窓の外を見ると、まだ薄暗かった。でも昨日より空が明るい気がした。冬の朝は遅いけれど、少しずつ夜明けが早くなっている。
庭へ出た。
霜の降りた草を踏みながら、花壇の前に来た。綺麗な石組みなのに土しかなくて、気になっていた場所だ。
しゃがんで、土を触ってみた。
冷たかった。固かった。でも悪い土じゃないと思った。あの人が言っていた。いい土は黒くてふかふかしている、と。これはそこまでじゃないけれど、手入れすれば花が咲くかもしれない。
どうしてそんなことを覚えているのか、わからなかった。
ほんの一瞬しかいなかったし、あの人の顔はもう思い出せないのに。
「エリア様、こんな朝早くからまた庭に」
グレアムさんの声がした。
「すみません」
「謝らないでください。寒いのではないかと心配しているだけですよ」
「大丈夫です」
男爵家はずっと寒かったから、寒いのは慣れてる。
「花壇が気になりますか?」
「ここだけ土だったので……何か、お花を植えられないかなと思って……」
言ってから、余計なことを言ったと思った。勝手なことを言ってはいけない。怒られるかもしれない。
「お花でございますか」
「……はい……勝手なことを言ってすみません」
「いいえ、もちろん可能でございます。何の花をご所望ですか」
何の花。考えたことがなかった。
「……春に咲く花がいいです」
「かしこまりました。庭師のセバスチャンに聞いてみましょう」
グレアムさんが屋敷に戻っていった。
しゃがんだまま、土を見ていた。
なぜ花を植えたいと思ったのか、うまく説明できなかった。
ただ、春になったら咲くかどうか、見てみたかった。
それだけだった。
でも、春までに追い出されるかもしれない。
咲いたところは見られないかもしれない。
でも、どうせ追い出されるなら、せめて花だけでも残れば。花はわたしがいなくなっても、春になったら咲くだろうから。
グレアムさんが、帽子をかぶったおじいさんと一緒に戻ってきた。
「セバスチャンと申します。このお屋敷の庭の面倒を見ております。エリア様」
「はじめまして」
セバスチャンさんは、小さな袋を持っていた。
「ノワフロールの球根でございます。寒さに強く、春一番に咲きます」
「……ありがとうございます」
袋を受け取った。小さな球根が5個入っていた。
「ちょうど、そこに植えようと思っていたんでございます。
朝ごはんを食べたら植えますか?
この時間じゃまだ寒すぎまさぁ」
セバスチャンさんは独特の喋り方をした。
「はい」
早く植えたくてたまらなくなった。
朝ごはんを食べてる間もずっとノワフロールのことを考えていた。
「どうした」
ヴァルナード様から声をかけられた。
「……どうもしません」
「今日は食べ進まないじゃないか。
具合でも悪いのか」
「具合は悪くありません」
「ならば、何故そんなにぼーっとしている」
そんなにぼんやりしていたんだろうか。
「なんでもありません」
「……。
グレアム、医者を呼んでおけ」
「ヴァルナード様」
グレアムさんがヴァルナード様に耳打ちした。
「なるほど。
花を植えるのか」
「だめでしょうか……」
「駄目とは言ってない。
まずは、ちゃんと食べろ」
「はい……」
ヴァルナード様は食事に戻った。
しばらくして、
「何を植えるんだ?」
と聞いた。
「ええと、ノワフロールです」
「どんな花だ」
「春一番に……咲く花です」
「色は」
「わかりません……」
さっき聞いた”寒さに強く、春一番に咲く”以外の情報はわたしにはなかった。
「そうか」
ヴァルナード様はそれ以上質問をしなかったので、わたしも黙っていた。
朝ごはんの後、ヴァルナード様が出かけて行った。
セバスチャンさんと合流してノワフロールを植えた。
土を掘って、球根を置いて、土をかぶせた。
それだけだった。たったそれだけのことだったのに、なんだか胸がじんわりした。
「水をやりましょうか」
「……自分でやります」
じょうろを借りて、水をやった。冷たい土に、水が染み込んでいった。
春になったら、ここに白い花が咲く。
咲いたとき、わたしはまだここにいるだろうか。
「この花は毎年咲きますで、エリア様の花が毎年見られますな」
セバスチャンさんは嬉しそうに言った。
「毎年……」
わたしがいなくなったら、セバスチャンさんはわたしを思い出してくれるだろうか。
おやつの時間になった。
リナさんが焼き菓子と紅茶を持ってきた。
紅茶のポットからカップに紅茶を注ぎながら
「今日はお花を植えたそうですね」
と言った。
「はい。ノワフロールです」
「どんなお花ですか」
「……寒さに強くて、春一番に咲きます」
「じゃあ咲いたら見せてくださいね」
「はい」
リナさんも毎年思い出してくれるだろうか。
それとも私のことを嫌いになってしまうだろうか。
魔力が暴走しませんように、と思った。
おやつの後、ひとりでまた庭に出た。
花壇の前にしゃがんで、土を見た。
何も変わってなかった。
当たり前だ。
でも、確かめたかった。
「いつ咲くかな……」
土をそっと触った。
「春一番だろ」
誰もいないと思っていたのに、返事が返ってきてびっくりした。
「ヴァルナード様」
隣にヴァルナード様が立っていた。
しゃがんだところから見るといつもより大きく感じる。
「ここに植えたのか」
「はい」
「お前は、花に詳しいのか?」
「いえ……」
あの人は詳しかった気がするけど、わたしはあまり知らない。
花を見ながら教えてもらった気もするけど忘れてしまった。
「……。
来い」
ヴァルナード様が踵を返して、お屋敷に歩いて行った。
慌ててついて行った。
ヴァルナード様は足が速くて、わたしは走らないと追いつかない。
着いたのは図書室だ。
きょろきょろしていると、ヴァルナード様が大きくて厚い本を持ってきた。
丸い机に置いて座った。
「座れ」
ヴァルナード様が隣の椅子を引いたので、椅子に座った。
「これは植物図鑑だ。
索引順に並んでいる」
そう言いながらパラパラと本をめくる。
「これだな」
そう言って、わたしの前に開いた本を置いた。
指で示すところを見ると、緑の細い茎に鈴のような形の垂れた白い花の絵があった。
「これがノワフロールだ」
「これが……」
よく見ようと首を伸ばした。
図書室の丸い机は、食堂の机より高くて、本が厚くて見にくかった。
するとヴァルナード様が本を縦に持って、目の前で見やすいようにしてくれた。
「ありがとうございます」
「丈夫だが、肥料をやるといいと書いてあるな」
「わかりました」
「字は読めるのか?」
「簡単な言葉なら……」
「肥料は明日、セバスチャンに頼んでみろ」
「はい!」
思ったより大きな声が出た。
自分でもびっくりしたので、手で口を覆った。
「ふ……」
ヴァルナード様が少し笑った。
「すみません」
「なんで謝る」
「大きな声を出してしまって……」
「それだけその花に夢中ということだな」
「……」
「この本を部屋に持っていけ。持てるか」
「はい」
椅子から降りて本を抱えたら、思ったより重かった。
「部屋に行くぞ」
ひょいと取り上げられた。
ヴァルナード様が軽々と持って、部屋に向かった。
部屋に着くと、暖炉の前の絵本の隣に置いた。
「ちょっと待ってろ」
部屋から出て、すぐに戻ってきた。
「お前に図書室の鍵を渡しておく。なくすなよ」
革ひものネックレスのようなものを首にかけられた。
ネックレスの先には鍵が結ばれていた。
「ありがとうございます」
わたしの頭の上に、大きな手のひらをぽんと乗せて、去っていった。
夕方、夕食前にまた庭に出た。
花壇の前にしゃがんで、土を見た。
「……春になったら、白い花が咲くかな」
誰にでもなく、つぶやいた。
風が吹いた。枯れた草が揺れた。
答えはなかった。
でもなんだか、大丈夫な気がした。




