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第10話

 だんだんと眠れなくなっていった。

 男爵の家にいた時は、一日が終わるとすぐ眠れた。

 あっという間に朝になった。

 なのにここに来てから、毎日眠れなくなっていく。

 体はとても楽になったのに、余計なことばかり考えてしまうようになった。

 暖炉の火を見つめた。

 絨毯の上で膝を抱えていると、いろいろなことが浮かんでくる。

 振り払って、絵本を読んだ。

 すぐ読み終わってしまったので植物図鑑を開いた。

 絵や文字を見ていたら少し眠くなってきた。

 目を閉じた。


 目を閉じると夢のかけらが浮かんだ。

 あたたかい部屋。本の匂い。誰かの声。

「エリア、ここを見てごらん」

 声だけ聞こえた。顔は見えなかった。手だけが見えた。大きくて、やわらかで、わたしの手をそっと包んだ手。

 目を開けた。

 部屋には誰もいなかった。

 頬が濡れていた。

 泣いていた。


 どこにいても泣かないようにしていた。

 泣いたら魔力が暴れてしまう。

 じっと涙を止めようとしたが、止められなかった。

 部屋の中を裸足で歩き回った。

 少しましになったが、まだ止まらなかった。


 そっと扉を開けて廊下に出た。

 部屋よりもひんやりとして気持ちがよかった。

 お屋敷の人を起こさないように、そっと足音を立てないように静かに歩いた。

 

 廊下を進んでバルコニーの前に来た。

 外の冷たい空気を吸いたかった。

 このお屋敷はあたたかすぎる。


 そっと扉を開けてバルコニーに出た。

 冷たい冬の空気で涙が止まった。

 裸足の足の熱が、冷たい床にどんどん奪われていった。

 真っ暗な庭を見た。

 あの人の声が、まだ耳の中に残っていた。

「エリア、ここを見てごらん――」

 どこを見ればよかったんだろう。もう一度声が聞きたかった。


「何をしている」

 はっと振り返ると、ヴァルナード様がいた。

「も……申し訳ありません」

 どんな場所でも夜中に出歩いていると怒られたし、必要のないところにいてはいけなかった。

 それに裸足だ。

 とんでもないことをしてしまった。


「何をしていると聞いた」

 ヴァルナード様は逆光で、どんな表情か全くわからない。

 ただ怒っていることはわかった。

「……部屋が暑かったので外に出ました」


 ヴァルナード様はため息をつきながら、こちらに歩いてきた。

 近づいてわたしの顔を見た。それから足を見た。

 そして手を上げた。

 殴られる――。

 わたしはとっさに目を閉じ、頭をかばった。


 数秒待っても、痛みは来なかった。

 おそるおそる目を開けると、ヴァルナード様は着ていたガウンを脱いでわたしの肩にかけた。

 そしてガウンごとわたしを持ち上げた。

「暴れるなよ」

 そのまま毛布にくるまれた猫のように台所まで運ばれた。


 台所でわたしを椅子に降ろしたあと、ヴァルナード様は竈に火を起こした。

「屋敷の者を起こしたくないから、静かにしてろ」

 わたしがやっていたような薪で火を起こすのとは違う、何かよくわからないもので火をあっという間につけていた。


 そして小さな鍋にミルクを入れふつふつとしてきたところにはちみつと香辛料を入れた。

「意外か?騎士だからな、野宿も慣れている」

 わたしの驚きを別の意味に受け取っていた。


「飲め」

 大きなマグカップを渡された。

 熱々だったので、息を吹きかけて冷ましていると、ヴァルナード様がわたしをじっと見ていた。

 じっと見つめ返した。


 しばらく見つめあっていると、ヴァルナード様が目を逸らした。

「アルベルトなら――」

 突然の懐かしい名前に胸がぎゅっとなった。

「あいつなら、正しいことを正しい声で言えたな」

「あの人のことを知っているんですか」

「あいつは親友だった」

「親友――」


「お前を引き取ったのもあいつの頼みだからだ」

「――!」

 男爵家で聞いた遺言というのは、あの人の遺言のことだったんだ。

「遺言で……わたしをここに」

「そうだ。3年、探した」

「……」

「アルベルトはお前のことを大切に思っていた。

 本当ならすぐここへ来るはずだった」


 何を言ったらいいかわからなくて、マグカップのミルクを飲み干した。

「すまなかった」

「いえ」

 首を振った。

「大変だっただろう」

「わかりません……。

 こことは全然違いました。

 でも大丈夫です」

 実際に、慣れていた。

 

 ミルクでお腹がふくれて、竈の火で体があたたまると気持ちが落ち着いてきた。

 椅子から降りた。

「戻るか?」

 うなずいた。


 また抱き上げようとしてくれたが、歩きたいと思い断った。

 ガウンを返そうとしたら「着ていろ」と言われた。

 そのまま部屋までヴァルナード様がついてきてくれた。

 

 部屋の入口で、

 「温かくして寝ろよ」

 と、言った。

 「はい。ありがとうございます」


 暖炉の前に座って、足を温めながら、聞いたことをずっと考えていた。

 あの人の遺言でヴァルナード様はわたしを引き取った。

 ヴァルナード様はあの人の親友だった。


 遺言で、仕方なく引き取ったのかもしれない。

 なぜあの人は、ヴァルナード様にわたしを預けたんだろう。

 そもそもなぜ、引き取ったんだろう。

 悪い人ではなかったし、にこにこしてたけど、暮らしたのはほんの一瞬だった。

 研究というのが忙しくて旅に出ていることが多かったから、よくわからない。

 いろいろなことがいっぺんに押し寄せて、頭がぐるぐるしてきた。

 でも涙は止まったし、全然眠くはなかった。

 もうすぐ朝になる。


 ふと、ガウンがまだあたたかいことに気づいた。

 ヴァルナード様のぬくもりが、まだ残っていた。

 ぎゅっと抱きしめた。

 仕方なく引き取ったのかもしれない。それでも3年間、探してくれた。

 それは本当のことだ。

 それに、夜中、バルコニーに裸足で出ていても怒らなかった。

 ホットミルクを作ってくれた。

 ガウンをかけてくれた。

 そんな人は今までいなかった。



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