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第7話

 目が覚めた。

 起き上がって、蝋燭に火をつけて、廊下へ出ようとした。台所へ行かなければ。朝食の準備をしなければ。火をおこして、井戸へ水を汲みに——

 廊下を歩いて台所を探し当てた。


 台所の方から、いい匂いがしていた。

 パンを焼く匂い。スープの匂い。誰かがもう準備をしている匂い。

「おはようございます」

 挨拶をして入った。

「エリア様!おはようございます。よく眠れましたか?」

 台所にいた女性が答えた。


 エリア様と呼ばれるのは、むずがゆい。

「はい、よく眠れました」

「それはようございました。

 朝食はまだですが、温めたミルクでも召し上がりますか?」

「朝食を作りに来たんです」

「ご自身で作られるのですか?」

 とても驚いていた。

 まだ小さいので何も出来ないと思われたのかもしれない。

「はい。私の仕事を教えてください。

 前のお家では、調理、洗濯、掃除、繕いもしました」

 女性はとても悲しそうな顔になった。

 足りないのかもしれない。

「まあまあ。お気持ちはとても嬉しいのですけど、ここは私たちにやらせてくださいな。

 お部屋に戻ってもう少し、寝ていていいですよ」


「それではここに来た意味がありません」

 何もしなかったら、追い出されてしまうと思った。

「エリア様にそんなことをさせたらヴァルナード様に叱られてしまいます」

 驚いたように言われてしまった。

 ライゼン公爵は、お前は食べるだけでいいと言っていたけど、食べるだけでいいなんてことがあるだろうか。

「何かさせてください。お役に立ちます」

「まあまあまあエリア様……どうしてもとおっしゃるならヴァルナード様に相談しないといけません。今日のところはお部屋にお戻りください」

 

 台所から追い出されてしまった。

 困った。

 

 部屋に戻ればいいのだろうか。でも部屋に戻って何をすればいいのかわからない。ベッドはまだ怖くて使えない。絨毯の上に座っていても、何もしていない自分が申し訳なかった。

 とりあえず、歩くことにした。

 廊下を歩いた。突き当たりまで行って、戻った。また歩いた。

 

 使用人とすれ違うたびに、ぺこりと頭を下げた。使用人たちも頭を下げてくれた。男爵家の老夫婦と違って、逃げなかった。でもそれがまた、よくわからなかった。

 広い廊下だった。磨かれた石の床に、自分の足音だけが響いた。

 扉。扉。扉。どれも立派な扉だった。どこも、わたしが入っていい場所なのかわからなかった。

 

 窓の外に、庭が見えた。

 冬の朝の庭は、しんと静かだった。霜が降りていて、草が白くなっていた。噴水は止まっていて、木々は葉を落としていた。でも、手入れされた庭は清潔で、なんだか落ち着いた。

 

 外に出てみることにした。

 裏口から庭に出ると、冷たい空気が頬を刺した。でも男爵家の裏庭とは違った。井戸もなかった。霜の降りた草を踏みながら、庭の端まで歩いた。

 庭の隅に、小さな花壇があった。

 今は冬で何も咲いていなかったけれど、春になったら花が咲くのだろうと思った。どんな花が咲くのだろう。


「エリア様」

 グレアムさんの声がした。振り返ると、裏口の前に立っていた。

「こんな朝早くから庭におられたのですか。寒くはございませんか」

「……大丈夫です。

 朝食を作ろうとしたんですが……断られてしまいました」

「エリア様は何もなさらなくていいんですよ。

 本日は仕立て屋が参ります。朝食の後、応接間へお越しください」

「……わかりました」

 

 屋敷の中に戻った。

 廊下を歩きながら、思った。

 何もしなくていい、と言われても、何をしていいかわからない。仕事がないと、自分がここにいていい理由がわからない。

 やっかいものは、役に立たなければいけない。ずっとそう思ってきたから。

 廊下を歩いていると、侍女が急いでやって来て温かいストールをかけてくれた。

 とてもあたたかかった。

「お屋敷のお散歩ですか?」

「……することがなくて……困りました」

「後でお屋敷をご案内しますね」

 にっこりと笑う姿に少しほっとした。


 朝食の後、応接間に通されると、小柄な女性が待っていた。くるくるした赤い髪に、大きな布の鞄を抱えている。わたしを見ると、ぱっと顔をほころばせた。

「まあ、かわいらしいお嬢さん!はじめまして、仕立て屋のマリエと申します」

「……エリアです」

「エリアちゃんね。よろしくね」

 ちゃん、と呼ばれたのは初めてだった。なんだかむずがゆかった。

 マリエさんはてきぱきと準備を始めた。巻き尺を取り出して、わたしの肩幅を測り、腕の長さを測り、胴回りを測った。

「ちょっと細すぎるわねえ」

 マリエさんがつぶやいた。独り言のようだったけれど、聞こえてしまった。

「エリアちゃんは何色が好き?」

「……いろ、ですか」

 好きな色。考えたことがなかった。シャルロット様はピンクや水色が好きで、そのドレスの繕いをよくやらされた。わたし自身が何色を好きかなんて、誰にも聞かれたことがなかった。

「わからないです」

「そっか。じゃあいくつか布を見せるから、好きなのを選んでね」

 マリエさんは鞄から色とりどりの布地を取り出した。深い青、やわらかい緑、淡い紫、温かみのある白。

「…どれを選んでもいいんですか」

「もちろんよ。全部エリアちゃんのお洋服になるの」

「これを全部、わたしのために作るんですか?」

 思わず聞いていた。

 全部、わたしの。

「そうよ、冬物と春物と、それから部屋着も寝巻きも。靴も新しいのを頼みましょうね」

「……どれがいいか、わからないです」 

 頭がついていかなかった。

 これはきっと何かの間違いだ。こんなにたくさんの服が、やっかいもののわたしに与えられるはずがない。

 でもマリエさんはもう鼻歌を歌いながら布地を広げ始めていた。


 マリエさんが帰ったあとは、また一人で昼食を取った。

 やっぱり静かだった。

 侍女が、午後はお屋敷を案内してくれると言ったので、ついていった。


 書斎、客間、図書室、ヴァルナ―ド様の部屋、サロン、遊戯室、使用人たちの部屋、浴室、食堂、洗濯室、色々な部屋があった。

 今朝歩き回った甲斐があって、一気にお屋敷の地図が頭の中に出来た。

「本はお好きですか?」

「…わかりません」

 温かい手のあの人と暮らしていたほんの少しの間、字を教わった。

 魔法の制御も帰ったら教えると言っていた。

 そして帰って来なかった。

「今後お勉強されるようになったら、図書室に出入り出来るように頼みましょうね」

 お勉強……。

 シャルロット様が嫌っていたやつだ。

「……がんばります」

「ふふ、エリア様ならすぐ覚えられそうですね」

「……そうでしょうか」

 自信がなくてうつむいた。


「あ、あの……」

「はい」

「お名前を……聞いてませんでした。すみません」

「まあ、申し遅れました。リナと申します」

「ありがとう……ございます」

「よろしくお願いいたしますね」

 リナさんはにっこりと笑った。

 心のつっかえがひとつ取れた。


 部屋に戻ると服がベッドに置いてあった。

「仕立てるのには数日かかりますから、ヴァルナードさまがとりあえず着られるものを、と。マリエ様に頼んでご用意くださったのですよ」

 ワンピース、ブラウス、スカート、寝間着、靴下、靴が並んでいた。

 どれもとても繊細な作りになっていて、布の色も綺麗で、上等なのだろうと思った。


「せっかくですし、おやつの前に着替えてみませんか」

 こんな豪華な服に袖を通すのは気が引けたが、自分の服装がぼろぼろ過ぎてこのお屋敷にふさわしくないこともわかっていた。

 今はここのルールに従うことにした。

 いつまた出て行ってもいいように、慣れてしまうのだけは避けなければいけない。

 あの人も急にいなくなった。

 いいことは長く続かない。

「はい、着ます」


 どれを着るか聞かれて困っていたら、この深い青にしましょう、と決めてくれた。

 リナさんは親切だ。優しく服を着せてくれた。

 でもわたしの力を知ったら、また男爵家の老夫婦みたいに避けるかもしれない。


「まあ、とてもよくお似合いですよ」

 鏡の前に立った。知らない子がいた。

 すると、

「よく似合っている」

 低く落ち着いた声がした。

 振り向くとライゼン様が立っていた。


 わたしをじっと見ている。

 落ち着かなかった。

「まあ、ヴァルナード様。

 今日はお早いお戻りですね」

 リナさんがそう言ったら、ライゼン様が急に咳払いをした。

「早く仕事が片付いた。

 こっちでやることも色々ある」

「そうでございましたか」

 リナさんは、にこにこしながらすぐ視線をこちらに戻してリボンを結び直した。


「ヴァルナード様、エリア様の髪と目の色に、こちらの青はよくお似合いになりますね。

 マリエさんの見立ては素晴らしいですね」

「青なら似合うだろうと思った」

「まあ、ではヴァルナード様のお見立てなのですね」

 リナさんは嬉しそうだった。


 ライゼン様は、急にむすっとした顔をして「あとは頼む」と言って出て行った。

「ライゼン様……怒りましたか……?」

「まあ、ふふふ。違いますよ。照れただけですよ」

 ライゼン様が怒ったと思って、わたしは暗い気持ちになったのに、リナさんは嬉しそうだった。

 このお屋敷はよくわからない。



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