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第2話

 シャルロット様のお部屋は、いつも甘い香りがした。

 薔薇の香水、上等な石鹸、おやつに出した焼き菓子の残り香。

 淡いピンクでそろえられたカーテンや調度品が、とてもかわいらしかった。


 繕い終えたドレスを両手に抱えて扉をノックすると、「どうぞ」という声が飛んできた。

 シャルロット様は鏡台の前に座って、年老いた通いの侍女マーサに髪を結わせていた。十六歳、男爵家の一人娘。夫人そっくりの金髪を巻いて、いつも自信に満ちた青い目をしている。


 シャルロット様はおしゃれで着飾ることが大好きだった。

 そこも男爵夫人と似ていた。

 社交界デビューしたばかりで、母娘そろって張り切ってお相手を見つけようとしていた。

 といっても、それほどたくさんのドレスがあるわけではなかったので、夫人や親戚から譲ってもらったドレスのデザインとサイズを直したりしていた。

 シャルロット様はこだわりが強く、リボンやフリルが大好きで、一切の妥協を許さなかった。


「繕いが終わりました」


 ドレスを差し出すと、シャルロット様はちらりと一瞥した。それだけで顔が歪んだ。


「……なにこれ」


「えっ」


「ここ、縫い目が曲がってるじゃない。見てよ、ここ。こんなの着られないわ」


 縫い目を確かめた。真っ直ぐだった。少なくとも、わたしには曲がって見えなかった。でも何も言わなかった。言い返せば、もっと怒られる。


「ちょっと!繕いもまともに出来ないの?」


 シャルロット様の罵声が飛んだ。


「申し訳ございません。縫い直します」


「縫い直すですって?

 今日のパーティで着るつもりだったのに!

 あなたって本当に使えないわね。

 やっかいものの上に仕事もできないなんて、うちに置いてもらえてるだけ感謝しなさいよ」


「……はい」


「ちょっと、ちゃんと聞いてるの?!」


 シャルロット様が立ち上がった。

 わたしの声が小さすぎて、聞こえなかったらしい。


「返事はどうしたの、返事は!

 謝りなさいよ、もっとちゃんと!

 あなたって本当に——」


 怒りをあらわに、シャルロット様が立ち上がりつかつかと歩いてきた。

 そして、いきなり髪をぐいっと引っ張ったのだ。

 驚いた。

 頭皮が痛んで、思わず息をのんだ。


 その瞬間だった。


 胸の奥で、何かがぐらりと動いた。いつもは固く押さえ込んでいるものが、一気に溢れ出すような感覚。

「っ……やめ——」

 あっいけない――

 そう思う暇もなく。


 体中が痛くなって、何かが溢れた。


 シャルロット様の悲鳴が上がった。


「何よ、その目!!」


 わたしは自分の目が今どんな色をしているか、わかっていた。金色。炎みたいに、爛々と光っている。暴走するといつもそうなるのだ。自分では止められなかった。


 部屋の窓が、ひとりでに開いた。カーテンが激しくはためいた。鏡台の上の香水瓶が揺れて、床に落ちて割れた。

 強風が部屋のなかを駆け巡り、禍々しい力が吹き荒れていた。


「いやーーーー!!殺されるーーーー!!!」


 シャルロット様が壁際まで後退して叫んだ。侍女も廊下へ飛び出した。


 わたしはうずくまって、両手で自分の胸を押さえた。深呼吸を繰り返した。何も感じない、何も感じない、何も感じない——。


 少しずつ、魔力が引いて痛みも引いていった。

 瞳の金色が、また淡い灰色に戻っていく。

 部屋が静かになった。割れた香水瓶から、むせるような甘い匂いが広がっていた。


「……お…お前…なんなのよ…」


 震える声でシャルロット様が言った。


「お父様!お母様…!!

 はやく来て!!!」


 わたしは立ち上がって、ドレスを床から拾い上げた。

 繕い直さねばならない。

 そこへ男爵夫妻がバタバタと大慌てでやってきた。


「な、なにごとだ!」


「お父様、お母様…

 こいつは化け物よ!!

 金色に目が光ったの!

 しかも部屋の中が嵐になってめちゃくちゃよ!

 おかしな魔法を使ったんだわ!」


「なんだって…⁉」

 男爵は太った体を汗まみれにしながら驚いた表情で言った。



「やっぱり…

 何かあるんじゃないかと思ってたのよ」

 男爵夫人はそれみたことかという顔で、私に侮蔑の視線を投げた。


 ああ、こうなるともう駄目だ。

 ここに居たいとも思わなかったが、ここから出ていく日が来たのは分かった。


 その後、シャルロット様が両親に連れられて部屋を出ていった。


 わたしは一人で部屋に残された。

 割れた香水瓶の破片を拾い集めて、床に広がった液体を布で拭いた。

 甘ったるい匂いがきつくて、息が苦しかった。

 ある程度匂いが抜けていったところで窓を閉めて、倒れた椅子を起こして、乱れた鏡台の上を整えた。

 まだ心臓がバクバクしていた。

 本当は誰もいない物置に行って静かにしたかった。

 でも片付けないと、またわたしのせいにされる。


 廊下から、ヒソヒソと押し殺した声が聞こえてきた。

「あの子、やっぱり危ないんじゃないか」

 男爵の声だった。

「わかってるわよ。遺言があるから——」

「いつ何をするかわからない。早めに手を打った方が——」

 声が遠ざかっていった。


 わたしは手を止めなかった。驚かなかった。そうなるだろうと思っていたから。

 遺言、という言葉だけが、頭の隅に引っかかった。死んだ人の残した言葉。それが誰のものなのか、何なのか、わたしは知らなかった。


 繕い直すドレスを抱えて部屋を出ると、廊下でマーサさんとすれ違った。彼女はわたしを見た瞬間、小さく悲鳴を上げて反対方向へ早足で去っていった。

 仕方ないと思った。これも慣れている。


 台所へ戻って、石の床の簡素な木の腰掛けに座って、ドレスの繕いを続けた。

 針を刺して、糸を引いて、また針を刺す。繰り返しているうちに、さっきのことがどんどん遠くなっていく気がした。怒りも、悲しみも、感じなかった。感じないようにしていた。感情が動くと、魔力が暴れるから。

 窓の外で、鳥が鳴いた。

 昼の光は冷たい台所を少し温めていた。


 針を刺しながら、ぼんやりと思い出した。

 最初の村では怒られて泣くたびに窓が割れてしまい、さらに怒鳴られた。

 施設では夜中に眠れずにいると次々と物が壊れるので、外へ追い出された。

 その次の家では、魔力が暴れるたびに頬を叩かれた。どこへ行っても同じだった。

 怖がられて、憎まれて、追い出された。

 こんな力、なければよかったのにといつも思った。

 でも仕方ない。自分は化け物なのだ。

 人間の中に一緒に暮らせるだけでありがたいと思わないといけない。そう言われてきたから、そう思っていた。


 そんなことを思いながら繕いを終えると、窓の外はもう夕暮れになっていた 。

 マーサさんがやってきたが、完全にわたしを無視している。

 夕食の準備を始めた。

 繕いを置いて、石の床に座ったまま、窓の外を見た。


 夕暮れの空は赤くて、綺麗だった。

 綺麗、と思ったのはいつぶりだろう。男爵家にいると、そんなことを考える余裕もなかった。空を見上げる暇もなかった。

 なんだか疲れた。

 明日、またここで同じことをするのだろうか。

 それとも明日こそ、追い出されるのだろうか。

 追い出されるような気がした。


 どちらでも、仕方ない。

 ただ今日も、一日が終わった。


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