第16話
王宮からの招待状が届いたのは、エリアが公爵家に来て一ヶ月ほど経った頃だった。
国王陛下主催の舞踏会。
ライゼリア王国の主要貴族が一堂に会する、年に一度の正式な場だ。
ヴァルナードは招待状を見て、眉をひそめた。
エリアも連れてこいと書いてある。
例年通りならヴァルナードが招待されるのは問題ない。
だが今年はタイミングが悪い。
公爵家への不審者侵入事件と、エリアの魔力暴走。
社交界の噂好き達の前に出ていきたくなかった。ましてやエリアは特に連れて行きたくなかった。
ネズミに餌を与えるようなものだ。
だが、強大な魔力を持ったものは必然的に注目を集める。
国王が興味を持った、ということだ。
グレアムを呼んだ。
「エリアのドレスを用意しろ。舞踏会に連れて行く」
「エリア様をですか?」
「国王陛下のお達しだ」
招待状をちらつかせた。
「かしこまりました。マリエ様に急ぎお願いいたします」
舞踏会当日、エリアは深い紺色のドレスを着ていた。
白銀の髪を丁寧に結い上げて、細いリボンで飾ってある。リナが腕によりをかけた仕上がりだった。
「エリア、よく似合っている」
「……ありがとうございます」
エリアは鏡の前で小さくなっていた。
緊張しているのが、背中を見ているだけでわかった。
馬車の中でも、エリアはずっと膝の上で手を握りしめていた。
「怖いか」
ヴァルナードが聞いた。
「……少し」
「普通に立っていればいい。余計なことを言う必要はない。何かあれば俺がいる」
エリアが小さくうなずいた。
王宮の大広間は、煌びやかな光に満ちていた。
扉を開けた瞬間、音楽と香水の甘い匂いが一気に押し寄せた。
シャンデリアの灯りが、踊る貴族たちのドレスや宝石を照らしていた。
エリアが足を止めた。
「……きれい」
小さくつぶやいた。目が丸くなっていた。色とりどりのドレスを着た人たちが、音楽に合わせて優雅に踊っている。男爵家では絶対に見られなかった光景だった。
ヴァルナードがエリアを連れて入った瞬間、空気が変わった。
「ライゼン公爵だ」
「隣にいるのは誰だ」
「引き取った子供だそうだ」
「じゃああの子が誘拐されそうになったっていう……」
「でも綺麗な銀髪ね……」
「絵になるわ……」
ざわめきが広がった。エリアの白銀の髪が、シャンデリアの光を受けてきらきらと輝いていた。
エリアは気づいていないようだったが、視線を集めていた。
ヴァルナードはエリアの隣に立ったまま、周囲を静かに見回した。近づいてくる者には目で牽制した。黒竜と呼ばれる男の眼光に、誰もが足を止めた。
そんな中、睨みをもろともせず寄ってくる者がいた。
グリムハルト・フォン・ドゥンケル侯爵。
ライゼリア王国の宰相、つまり一番偉い文官だった。
名前のわりには、小さくてずんぐりとした、一見すると無害そうな男だ。
「素晴らしいお嬢さんをお連れですな、ライゼン騎士団長閣下」
愛想よく話しかけてくるが、目が笑っていない。
「お褒めにあずかり光栄です。ドゥンケル宰相閣下」
いつもこういった上っ面のやりとりになる。
だが、実際は腹の探り合いになるので、とても疲れる。
「近々、我が邸にてご一緒に食事でもいかがでしょうかな。国のためにも、ぜひお話したいことがありますし――。
それに、そのお嬢さんにも歳の近い遊び相手が必要でしょう」
そこからは、孫自慢が始まってしまった。
ドゥンケル宰相からようやく逃れた。
ヴァルナードはエリアを連れて、ライゼリア国王夫妻に挨拶に行った。
「陛下、お招きありがとうございます。
こちらがエリアです」
「おお、よく来た」
国王は人がいいが、ちょっと気弱なところがある。
先程の、宰相たち一派に操られている感は否めない。
今日も遠慮がちに笑っていた。
だが、エリアを見た瞬間、一瞬顔を引きつらせたのをヴァルナードは見逃さなかった。
しかし、すぐ笑顔に戻り
「可愛らしいお嬢さんだ」
と取り繕った。
「本当に、綺麗な銀髪と瞳ね。
こんなに可愛かったら将来が心配ね、ヴァルナード」
王妃は無邪気に笑った。
エリアはとても緊張しており、付け焼刃のお辞儀をすることだけで頭がいっぱいのようだった。
だがそれ故、国王の変化にも気付かなかった。
国王は最後に、
「素晴らしい魔法の才能の持ち主と聞いている。
将来、王宮魔法院で働いてくれるのを楽しみにしている」
と、言った。
国王への挨拶が終わったので、今日の任務はもう終わりだとヴァルナードが告げると、エリアの表情がようやく戻った。
飲み物と食べ物を楽しみ、雰囲気をもう少し味わっていくかと言うと、はにかみながらうなずいた。
問題が起きたのは、しばらく経った頃だった。
「ヴァルナード様!まあ、お久しぶりですわ!」
甲高い声がした。
振り返ると、クレイン男爵家の三人が立っていた。
男爵夫人が満面の笑みでこちらへ歩いてきた。男爵はその後ろで曖昧な顔をしていた。そしてシャルロットが——ヴァルナードを見た瞬間、目を輝かせた。
エリアの手が、ドレスをかすかに握りしめた。
「ヴァルナード様、ご機嫌うるわしゅう。エリアのことをずっと心配しておりましたのよ。あの子を大切に育てましたもの、まるで我が子のように——」
「大切に」
ヴァルナードが静かに繰り返した。
「はい、それはもう——」
「クレイン男爵夫人」
ヴァルナードは夫人の言葉を遮った。
「その子は私の屋敷に来たとき、床で眠ることに慣れていた。腹いっぱい食べることを知らなかった。人に手を上げられることを、当たり前だと思っていた」
夫人の顔が引きつった。
「そ、それは——」
「大切に育てた、とはそういうことか」
静かな声だった。怒鳴っていなかった。でも周囲の空気が凍りついた。
夫人が言葉を失った。
シャルロットが割って入った。
「ヴァルナード様、エリアとはとても仲良くしておりましたのよ!妹のように——」
「シャルロット嬢」
ヴァルナードがシャルロットを見た。シャルロットがぱっと頬を染めた。名前を呼ばれただけで舞い上がっているのが見てわかった。
「妹のようにというのは、暴力を振るうことか」
シャルロットの顔が青くなった。
「そ、それは——」
「二度とこの子に近づくな」
それだけだった。クレイン男爵家の三人が、すごすごと引き下がっていった。
しばらくして、音楽が変わった。
ゆったりとした、優雅な曲だった。
エリアがまた踊っている人たちを見ていた。じっと、食い入るように。
「踊れるか」
ヴァルナードが聞いた。
「……踊り方がわかりません」
「教えてやる」
エリアが目を丸くした。
ヴァルナードはエリアを抱き上げた。エリアの足がヴァルナードの足の上に乗った。
「落ちるなよ」
「は、はい」
ゆっくりと、音楽に合わせて動き始めた。
エリアがきょろきょろと周りを見た。シャンデリアの光が、上から降り注いでいた。音楽が体に響いた。
「……すごい」
小さくつぶやいた。
ヴァルナードは何も言わなかった。ただ、音楽に合わせて踊り続けた。
周囲がざわめいていた。黒竜と呼ばれる公爵が、小さな子供を抱き上げて踊っている。誰も見たことのない光景だった。
遠くで、シャルロットが唇をかみしめているのが見えた。
帰りの馬車の中で、エリアはずっと窓の外を見ていた。
「怖かったか」
ヴァルナードが聞いた。
エリアが少し考えた。
「……はい…でも」
振り返って、微笑んだ。
「ヴァルナード様が、いてくれたので」
初めて見る笑顔だった。
「そうか」
ヴァルナードは、窓の外を向いた。
夜の街が、流れていった。




