第一章 (6)知らぬが仏
「私よりお前のほうが、よっぽど性格が直っていないと思う」
テーブルに並べられた書類を確認しながら、私の百倍は口の悪い側近に反論する。
やれやれといった感じで、ロランが目の前の書類を片付け始めた。
「あ、何するんだ。まだ見ているだろう」
思わず睨みつけると、ロランは自分の額を指差し、底意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
「おそらくご自身が思っているより腫れていますよ。魔女様に診てもらってはいかがですか?」
ハッとして額に触れる。少し熱を持って腫れているのがわかった。指先で押すと鈍い痛みが走る。急にひどく気が滅入ってきた。
仕事を少しでも減らそうと再び書類に目をやるが、いくら読んでも文字が上滑りしてしまう。全く内容が入ってこない。
「……少し、行ってくる」
そう言って私は執務室を後にした。背後で「プハッ」と吹き出す声が聞こえる。本当にムカつく奴だ。
☆☆☆
魔女の仕事場には、すでに西日が差し込んでオレンジ色に染まっていた。
この時間に私が訪ねることは滅多にないので、魔女は驚いたようにパタパタと駆け寄ってくる。
「どうされました? 体調がすぐれませんか?」
魔女は顔を近づけて私を観察する。成長期を経て、私が彼女より頭一つ分大きくなったせいか、少し見えづらそうだ。
下からの真っ直ぐな視線に、どうにも居心地が悪くなる。
魔女はじーっと見つめたまま手を伸ばし、そっと私の額にのせた。ひんやりと冷たくて心地よい。
魔女は「あれ?」と首を傾げると、今度は私の顔を両手で挟み、あらゆる角度に動かし始めた。まったく躊躇がない。
「テオ様、おでこが腫れていませんか?」
西日の反射のせいか腫れがよく見えないらしく、何度も向きを変えられる。
「あぁ……うん。少しぶつけてな」
魔女は目を丸くすると、そのまま手を引いて私を椅子へと連れて行く。
子どもじゃないんだから……と思いつつも、繋がれた手を離せない自分がいる。
私を座らせると、魔女は部屋の中を忙しなく動き回った。
引き出しから真っ白な布を取り出し、切れ味の良いハサミでチョキチョキと切る。
それを木のトレイに載せ、さらに薬棚へと移動した。
「お一人で来たんですか? 気持ち悪くなったり、めまいはありませんか?」
「大丈夫だ。押すと少し痛む程度だから」
魔女は棚から薬壺を取り出し、ヘラで少し掬って小さな布に真っ黒な軟膏を塗りつけた。嫌な予感がする。
「その薬は、まさか打ち身のときに塗っていたやつか?」
幼い頃、剣術の訓練で怪我をするたびに塗られていた薬の匂いが漂ってくる。最近は怪我も減っていたので、この匂いを嗅ぐのは久しぶりだ。
「その薬、匂いもキツイし、布を剥がすと皮膚が黒く染まる気がするんだが……いったい何が原料なんだ?」
子どもの頃は大人しく塗られていたが、急に正体が気になってきた。
私は今まで何を塗られていたんだ。
「匂いは確かに難点ですけど……でも、効きますよね。夜には腫れが引きますし、顔を洗えば黒いのは落ちますから。あ、材料は秘伝なので教えません」
何を言うか。王宮の薬師たちもこの軟膏を使っているのを私は知っている。
騎士団でも重宝されていて、この匂いが漂う日は「今日の鍛錬はきつかったんだな」と推測できるほどだ。
軟膏は初代魔女直伝の基本のレシピがあり、それを歴代の魔女たちが独自にアレンジしているらしい。
薬の傾向には魔女の性格が出るようで、先代の魔女は「香りにも癒しの効果がある」と良い香りの薬を作っていたそうだ。
しかし、今代の魔女は効果に全振りしている。見た目や匂いの悪さなんて二の次、効果至上主義の精神である。
しかも、秘伝というほど秘密でもない。なぜなら、私の慰問先である病院や孤児院でも、この薬はレシピと共に配られている。この匂いで効かないはずがない、とさえ思われている。
それにしても、今まで中身の確認を怠っていたのが悔やまれる。
「知らぬが仏、ということもありますし……」
魔女が小さく呟く。その言葉、私も知ってるからな。
……どんどん顔に貼るのを阻止したくなってきた。
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【テオドール・ド・クレマン(テオ様)】
ラペデュール王国の第一王子。17歳。ダークブロンドに緑色の瞳。
【魔女】
ラペデュール王国に仕える魔女。黒髪に琥珀色の瞳。
薬の調合が得意。
知らぬが仏【しらぬがほとけ】……知れば腹が立ったり悩んだりするようなことも、知らなければ平穏な心でいられる(仏のようにいられる)という意味。




