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東の魔女は魔法が使えない~逃げたい魔女と一途な王子~  作者: けん


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第一章 (5)売り言葉に買い言葉

 執務室に向かう廊下を、うつむきながら早足で歩く。


 王妃のあの悲しげな表情を見たのは、幼い日以来だった。

 嫌なことを思い出してしまったせいか、胸が苦しい。


 何が彼女にとってそれほどのショックだったのかはわからないが、完全に私の失言だ。


 過去の罪まで引きずり出されたような重苦しさが、足取りを鈍らせる。


 執務室のドアの前でしばらく立ち止まっていると、不意にドアが内側から勢いよく開いた。反応が遅れた私は、額を思い切りドアにぶつけてしまう。

 


「……っ!!」



 あまりの痛さに声も出せずうずくまっていると、頭上から呆れたような声が降ってきた。



「テオドール様、ドアの前に突っ立っているのは危ないですよ。それでなくても殿下は不意打ちに弱いんですから」



 主を心配する素振りもなく、ロランが声を掛けてくる。



「うるさい、余計なお世話だ。ドアは静かに丁寧に開けると習わなかったのか」



 額をさすりながら室内に入り、どかりとソファに座る。ロランは肩をすくめ、私の向かいに腰を下ろした。



「麗しの王子様が聞いて呆れますね。……それで、王妃殿下と何かあったんですか?」


「…………」


「婚約者探しの件ですか?」


「……泣かせた」


「はい?」


「王妃を、泣かせたんだ……」



 ロランが目を見開き、あからさまに軽蔑の視線を送ってくる。本当に不敬な奴だ。



「別に、わざと泣かせようとしたわけじゃない。……オスカーを国王にすればいいと言っただけで……」



 ロランの目がすっと細まる。



「本心じゃない。婚約者探しを急かしたいなら、オスカーの相手を先に選べばいいと言ったんだ。そしたら、話の流れでつい……あんなことを言って……しまって……」



 後半は自分でも驚くほど声が小さくなった。ロランの顔を正視できない。


 ロランが「はぁ……」と深い溜め息を吐いた。



「『売り言葉に買い言葉』……でしたっけ。ダメだ、と昔叱られたでしょう?」


「え?」


「魔女様が、幼い私たちの喧嘩を仲裁してくれたときに言っていたじゃないですか。忘れたわけじゃないでしょう?」




☆☆☆




 魔女が身をかがめ、目線を合わせながら私を見つめている。

 十歳の私の目には涙が溜まっていて、魔女の姿が歪んで見える。


「ロランが先に『そんなんじゃ立派な国王にはなれないな』って言ったんだ!」



 ロランは魔女の後方でそっぽを向き、不機嫌そうに黙り込んでいる。



「だ、だから『ロランみたいに意地悪な側近なんて、僕はいらない』って……!」



 言い終えると、なんだか胸と鼻の奥がツンと痛くなった。堰を切ったように涙が溢れる。

 


「も~、売り言葉に買い言葉ですね」



 困ったように眉尻を下げた魔女は、真っ白なハンカチで私の涙を優しく拭ってくれる。意味がわからず、きょとんとしている私の頭を撫でながら、魔女は続けた。



「東の国の言葉です。簡単に言うと、悪口に悪口で返すこと。どんどんお互い悪口を言い合うことになって、最終的に『あ〜もう最悪!』ってなってしまうことです」


「でも、嫌なこと言われたから……」



 魔女はロランの手を引いて、私の前に連れてきた。ロランはすでに魔女と同じくらいの背丈があった。少し羨ましいな、とぼんやり思う。



「ロラン、なぜそんなことを言ったのですか?」


「テオ様が、勉強を中断してぼーっとしていたから……」


「心配して言ってしまったのですか?」


「……そうです」


「だそうですよ、テオ様」


「でも、あんな言い方ひどいよ」


「そうですね。言葉には魂が宿るそうです。言ったことが本当になってしまうこともあるんですよ」


「「えっ!!」」



 二人して魔女を見る。魔女が言うと妙な信憑性があって、怖くなった。



「ですから、カチンときたときは、グッとこらえて深呼吸して、十数えます」



 魔女がお手本のように深呼吸をしてから、一、二と数え始める。



「それで怒らないでいられるの?」


「それで収まるなら、その程度の怒りだったということです。……まぁ、十数えても収まらない怒りも少なくないでしょうけれどね」


「じゃあ……どうすればいいんですか?」



 ロランが不満そうに問う。



「そうですねぇ……十数える間に、私なら『どうしたら相手に的確にダメージを与えられるか』を考えます」



 急に物騒な話になった。魔女は人差し指を顎に当て思案する。そしてパッと閃いた顔でロランを見つめる。ロランが軽く怯えている。


 魔女はすぅと目を細め、少し低めの声でゆっくりと言い放った。



「……アンヌに言いつけてやる」


「なっ!!」



 ロランは目を見開いて固まった。

 ロランの最大の弱点は、母アンヌだ。普段は温厚だが、怒るとこの世の終わりほど怖い。


 何より、ロランの不敬を知ればアンヌが悲しむのは目に見えていた。ロランが激しく動揺している。



「でも、そんなこと聞いたらアンヌが悲しむよ!」


 ロランが可哀想になり、私は必死に魔女の密告を阻止しようとする。

 すると、魔女は目を輝かせてパンッと手を叩いた。



「そうですテオ様! アンヌはきっと悲しむでしょうね。……だから、言葉は大事に使わなくてはならないのです。言葉は人に良い感情も悪い感情も与えるんですよ。それは言葉を投げかけられた人だけでなく、多くの人に影響することもありますから」


「「……はい」」



 私とロランは揃って返事をした。



「それに、怒りがすべて悪とも限りません。怒りが原動力になることもありますし」



 そう言いながら、魔女は私とロランの手を取った。



「それではテオ様、私に続いて言ってみましょう。『僕はロランのことが大好き!』はいっ!」


「え、あ、えっと、僕はロランのことが大好き……?」


「次にロラン!『俺はテオ様が可愛くて仕方ない!』はいっ!」


「えっ?! な、なんで……」


「『俺はテオ様が可愛くて仕方ない!』はいっ!」


「俺はテオ様が……可愛くて仕方ない……」



 ロランの声が消え入りそうだ。魔女は満足そうにニコニコと頷いている。

 変な儀式が終わったと安心した瞬間、魔女が私たちをガバッと抱きしめた。



「テオ様とロランが大好きです!!」



 私もロランも、魔女に顔を見られないよう互いにそっぽを向きながら叫んだ。



「「魔女のことが、大好きです!!」」




―――――




【テオドール・ド・クレマン(テオ様)】


ラペデュール王国の第一王子。17歳。ダークブロンドに緑色の瞳。



【魔女】


ラペデュール王国に仕える魔女。黒髪に琥珀色の瞳。



【ロラン】


テオドールの側近。六歳から王宮で暮らす。

売り言葉に買い言葉【うりことばにかいことば】……相手の暴言や挑発的な態度(売り言葉)に対して、こちらも感情的になって同等の悪口や反論(買い言葉)で言い返してしまうこと。

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