第五章 (6)一日逢わねば千秋
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「……エステル」
部屋の灯りをすべて消した暗闇の中、エステルは黒いローブに身を包んでそっと窓の外の様子を伺っていた。
「っ! ……びっくり……しました。レミ様……ですね? 驚かせないでください」
月に照らされてうっすら見える彼女は、胸に手を当てて呼吸を整えていた。
「ごめん……。今日、王宮を去るの?」
「……はい」
「行く当てはあるの?」
「……あの……そうですね……レミ様のお陰で薬の知識もありますし、星詠みというか、昔みたいにちょっと街の片隅で――」
「ねえ……なんで僕をもっと頼らないの?」
エステルが言い終える前に、耐えきれず質問してしまう。
「……でも、レミ様は――」
――僕はエステルの手を取り、共に魔塔に転移した。
久し振りに対面したエステルは相変わらず美しいままだった。おそらく年齢は出会った頃から逆算すると三十歳は過ぎていると思う。
自分だけが幼いままのような気がして嫌気が差した。
「……部屋もまだそのままだし、ここにいればいいよ」
「しかし、ご迷惑なのでは?」
「迷惑じゃない、今までだってそんなこと思ったことない。それに、今一人でいたらあの男に連れ戻されるだけだよ」
自分でも滅茶苦茶なことを言っているのがわかる。
「ヴィクターがそんなことするでしょうか? 私を厄介払いしたくてあの家に閉じ込めていたんですよ?」
さっきも家の周りは見張りの騎士ばかりだった。エステルがどこにも行かないように、ヴィクターが監禁を指示していたのだろう。
「……ここが一番安全だよ……」
エステルは逡巡する風だったが、観念したように微笑みを浮かべた。
「……それではお言葉に甘えさせてもらいますね」
☆☆☆
それからまたエステルは昔のように魔塔で働き出した。
彼女を知らない魔塔の連中もいたけれど、皆、すぐに慣れたようだった。
僕の干上がっていた心は忽ち潤いに満ちていく感覚がした。
僕が幸せであるということは、当然あの男は絶望を味わっている……その事実は意外にも僕の心に影を落とす。
僕の気持ちを見透かすように、ある日、ベアトリスから連絡が入った。
『……魔塔主様! 魔塔主様!』
「どうしたの?」
『どうしたっていうか、国王の様子がだいぶ変なんだよ』
「変? どんな風に?」
『うーん。簡単に言うと荒れてる感じ?』
「君は大丈夫?」
『私は大丈夫……たぶん国王に嫌われてるけど』
――その日の夜、僕はベアトリスの身の安全を強化した後、ヴィクターに会いに行った。
部屋を見渡すと随分と荒れている。メイドも部屋に入れない状態なのか。
彼は僕と目が合うとゆっくりと口を開いた。
「魔塔主、お前が裏で手を引いてるのはわかっているんだぞ」
彼はベッドの上で足を投げ出し、気怠げに座っていた。
僕を見る目つきだけは、相変わらず鋭いままだった。
何のこと?という表情で彼を見る。
「ねえ、新しい魔女は気に入った? 黒髪が好みのようだから、ずっとそれだけは守ってあげようと思ったんだけど」
そう言いながら僕が笑うと、ヴィクターはベッドの横に飾ってあった剣をこちらに向かって投げてきた。
剣先が触れるか触れないかの瞬間、僕はそのまま魔塔に転移する。
しん……と静まり返る部屋の中でうずくまる。ドッドッと、速くなった鼓動が聞こえる。
――ヴィクターの姿は過去の自分を見ているようで強い吐き気が襲ってきた。
☆☆☆
エステルが朝から一生懸命、黒いローブを繕っている。
「ねえ……それ、もう新しいの作ってあげるから捨てたら?」
「なぜですか? 繕えばまだ着られますよ」
「……そもそもローブはもう必要ないし」
「必要ですよ! 一番魔女様っぽさの出るアイテムなんですから」
彼女はローブを広げ、ほつれた部分を指差しながら「ちょっと年季が入ってるほうが説得力が増すんですよ」と得意げに言う
「そうじゃなくて……あ、そうだ! ワンピースとかドレスとか! エステルもそういうの欲しいでしょ? 指輪なんかも良いね! 僕が買ってあげるよ!」
エステルが手を止めてこちらを見る。
「……レミ様、こちらに座ってください」
エステルが眉間にシワを寄せながら、自分の隣の席をトントンと叩き、着席を促す。
「え、あ……うん」
「レミ様、人がお金を稼ぐということはとても大変なことです」
「……そうだね」
「いくら魔塔の皆様が優秀とはいえ、寝る間も惜しんで研究し、苦労して得たお金なんですよ?」
あれ? もしかしなくても僕は説教されているのか?
「いくらレミ様とはいえ、そんな無駄遣いは良くないと思います」
エステルは会わない間にだいぶしっかりした金銭感覚を身に付けたようだった……。
☆☆☆
エステルが魔塔での生活に戻り、再び馴染み始めた頃――
『魔塔主様! 魔塔主様! 大変です!』
ベアトリスの声がまたしても聞こえてきた。
「そんなに慌てて、今度はどうしたの?」
『あのさ、国王の体調がすごく悪いんだよ。王子の様子を見てたら可哀想になっちゃって、何とかならないの?』
以前会ったときは荒んだ生活をしていたが、体調が悪そうには見えなかった。
病気か何かだろうか……。
「……わかった。様子だけ見てくるよ……」
僕はどこか憂鬱な気分のまま王宮に転移した。
ヴィクターは豪華なソファに体を預けるように座っていた。
「……随分と体調が悪そうだね、大丈夫?」
「ふっ、言葉とは裏腹に……顔が笑っているぞ」
ヴィクターは以前と比べ痩せていた。
本人は笑っているつもりだろうが、顔を引き攣らせているように見える。
僕が不老不死ではなかったら、きっとこの姿は自分に降り掛かっていたはず。
笑ってしまうのは歓喜か恐怖か。
「別に……僕はいつもこういう顔だよ」
きっと剣やグラスを投げつける力もないのだろう。ヴィクターは鼻で笑うだけだった。
「なあ、魔塔主よ……俺と取り引きしないか?」
あまりに急な話で、思わず怪訝な顔をしてしまう。
「取り引き?」
「俺に一度だけ……魔法を使わせて欲しい。……まぁ……その魔法も……お前にとって難しいものでは……ないだろう」
――何を企んでいる
「それで? 見返りは?」
「……そうだな、この国が続く限り……魔塔に資金援助をする……血の……っ、契約を、しよう。……どうだ……悪くない話だろ? 金の亡者の……魔塔主様」
一言発するごとに、彼の胸が痛々しく上下する。
息も絶え絶えに話すこの男は今、目の前のことしか見えていない。
くだらないと思いつつも話を聞く。
「それで? 魔法の内容は?」
ヴィクターは焦点が合っていないような目で天井を仰ぐ。
「……簡単さ、魔女が……俺を強く望んだとき……俺の元に転移してくる……それだけだ」
「なんだって……?」
「嫌がっている彼女を……強制的に呼び寄せるわけでは……ないんだ。……おや? まさか怖いのか?」
ヴィクターの視線だけがこちらを向く。
「自暴自棄も甚だしいな」
「悪い話では……ないだろう? 俺の息子はなかなかの……賢王になりそう……だ……お前が寄越した女が……懸命に……育てている。臣下も……忠誠を誓う者ばかりだ。この国からの……援助は……大きいぞ」
ベアトリスが王子に大きく関わっているのか、これは脅しか?――
「血の契約になると準備が必要だ。次に会うときに契約内容も擦り合わせをする」
「そうか……俺には時間がない。……準備は急いでくれよ?」
そう言ってヴィクターは目を閉じた。
静かな寝息が聞こえる……。
暫く僕は、ヴィクターからの提案が無かったことにならないかと、無駄に時間を過ごしていた。
しかし、逃げれば逃げるほど『卑怯者』だと言われているようで、僕はすべてを諦めるしかなかった。
「……なんだと? この魔法の有効期限をお前の死後も続くようにするだって?」
「……そうだ」
ヴィクターはベッドに寝たきりのようになっていた。声にも覇気がない。
「何のために? 魔女も道連れにするつもり?」
「……」
答えないつもりなのか、答える気力がないのかわからない。
しかし、エステルがこの男を望むなら止める資格は僕にはない。
結局、魔法は――
『魔女がヴィクターを強く望んだときに、ヴィクターの元に転移する。それはヴィクターの死後も有効とする』
『魔法が起動する、しないに関わらずラペデュール王国が存在する限り、魔塔に資金援助をする』
このように決まり、お互い契約書に血を垂らす。
吸い込まれるように広がった血液は光を放って消えた。
「……で? 今王宮にいる……魔女を名乗る女……は、お前が……引き取るのか?」
「……この国が潰れたら意味ないからね、これからも王宮にいてもらうつもりだよ」
エステルの望みは、ラペデュール王国の繁栄の継続。僕が彼女の希望を聞かない理由がない。
「まぁ……いいだろう。……好きにしろ、俺には……関係のない……ことだ」
「随分と余裕なんだね」
「……余裕ね。そうだな……お前と俺はよく似ている。……お前はきっと……間違えるだろうからな」
「間違える?」
「……契約は終わったんだろ? ……さっさと帰れ」
ヴィクターはそれ以上、何も語らなかった。
一日逢わねば千秋【いちにちあわねばせんしゅう】……愛する人に一日会えないだけで、まるで千年も経ったかのように待ち遠しく感じることのたとえ。




