第五章 (3)会うは別れの始め
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――夜、魔塔の最上階
「これは何ですか?」
「星詠みの道具で、これはアストロラーベ。あとはこの分厚い天文暦の本を使うんだ」
エステルは僕が切り揃えた黒髪を耳に掛けながら尋ねた。少年のようだった髪型は、肩に付くほどまで伸びた。
「キレイな道具ですね」
エステルがアストロラーベにそっと触れながら言う。
「これさえあれば、広大な砂漠や、見渡す限りの大海原でも迷うことはないよ」
「……すごい」
「星詠みをするなら、命の次に大切にしなきゃダメだよ。『天空を掌に収める宝器』だからね。」
「難しそうですね」
「慣れればどうってことはないよ。はい、やってみるよ」
窓を開け、強く輝く星に狙いを定める。僕はエステルの後ろにまわり、抱え込むように立ちながら使い方を教える。
「……こうすると、まずはあの星の『高度』つまり高さがわかるんだ」
エステルは真剣な表情で頷く。
「ここからが腕の見せ所だよ、これをひっくり返して、表側の定規を……」
アストロラーベを見つめる横顔に、言葉にならない愛しさがこみ上げる。
「……で、高度の線にぴったりと重ね合わせる。ほら!」
定規を合わせた瞬間、盤面に星図が浮かび上がる。
「今この瞬間の星空がここに再現されているだろ?……どう? すごいでしょ?」
「……わあ、すごい!」
エステルが突然こちらを振り返る。笑顔の美しさに僕の時間が止まる。
「っ! ……こ、ここの数字が、今の正確な時間というわけ。わかった?」
「はい! では、これを星詠みに応用するんですか?」
僕はそっとエステルから離れる。
「うん。占う相手の生まれた月日と時刻を合わせて、浮かび上がった天体を天文暦の本も使って詠んだり、未来に日付を合わせて好機を導いたりするんだよ」
「なるほど。 ……でも私、薬の勉強の他にこの勉強もするんですか?」
エステルは露骨に不満げな表情をする。
しかし彼女は、教えたことは乾いた大地に雨が吸い込むように、何でも覚えた。薬学のみならず、あらゆる言語まで。
「薬が作れれば街の薬屋になれるし、星詠みができれば計算も得意になる。場合によっては貴族のお抱え占い師だって務まるかもしれないからね」
「魔塔はそんなにお金に困っているんですか? そんな風には見えないですけど」
僕はエステルに『僕が死ぬ魔法』の研究をしていることを伝えていなかった。
この魔法はもちろん僕にしか適用されない、いわば『金にならない魔法』だった。いくら研究したところで何も生み出さない。そのくせ研究費は嵩む。
だからといって、魔塔が困窮しているわけではない。魔塔はどこの国にも属していない。いわばすべての人間が顧客だ。多くの人間が夢と欲のために魔法を頼る。
「エステルにいつまでもタダ飯を食べさせるわけにはいかないんだ。ほら、だから勉強するよ」
「ちゃんと働いてるもん」とエステルは頬を膨らます。しかし、少し考えて納得したのか「はーい」と言った。
エステルに金を稼いで欲しかったわけではないが、魔塔を出て彼女が一人で生きていくためには知識や技術が必要だった。
この頃から僕は段々とエステルを手放すことが怖くなっていた。
長く生き過ぎて、すべてを諦めていた僕の人生。それを一瞬にして彩りのあるものにしてしまった彼女も、いつかは永遠の眠りにつく。
彼女とこのまま一緒にいて、『永遠の別れ』を前にしたら僕はきっと理性を失って壊れてしまう。
狂った不老不死の魔塔主なんて笑うに笑えない。
……僕の理性が彼女との決別を急かした。
☆☆☆
「じゃあ、これは僕からのプレゼント。今日から星詠み頑張るんだよ」
エステルに『黒いローブ』と装飾された『簡易星詠み表』をプレゼントする。
「わあ! 本当の魔女様みたいですね!」
ローブに袖を通し、エステルがくるくると回る。ローブの裾がふわりと上がる。
「それなら黒髪も目立たなくていいでしょ? 前にジロジロ見られるの嫌だって言ってたし」
「そうですね、これなら目も合わせなくて済みそうです!」
エステルはすっぽりとフードを被る。
彼女は魔塔の連中にはどんどん話し掛けるが、街にいるような普通の人間が苦手だ。
目を引く黒髪に加え、彼女はその美しさを隠せなくなってきていた。
嫌でも視線を集める。
「あとは、街で星詠みをするときは『魔女』だって言い張るんだよ」
「それって……騙すってことですか?」
「魔塔主直伝の星詠みをするんだ。それくらい言っても構わない。それに、魔塔主の僕が良いって言ってるんだからいいの」
「そういうものですか……」
「うん。……あとはこれ、日記帳」
「日記帳? どうしてですか?」
「エステルの文章は普段の話し方よりぶっきらぼうなんだよ。もう少し表現力をつけないと、星詠みの鑑定書を作るようになったら大変だよ。だから、練習」
「……まさか、読まないですよね」
「っ! 読まないよ! 僕はそんな下品なことはしない! そんなに心配なら誰も知らない言語で書くんだな!」
「ふーん。そうですか。……レミ様が知らない言語なんてあったかな」
まったく信用していない表情でエステルがブツブツ文句を言った。
僕は気を取り直してエステルがいつも身につけているネックレスを指差す。
「それ、街で変な奴に絡まれたりしたら、僕と通信できるようになってるから」
「どうやって使うんですか?」
「どうやって? えーと……普通に僕に話し掛ければいいだけ」
エステルが暫く考える。
「ネックレスに『レミ様』って呼び掛ければ良いんですか?」
「あー……うん。そう」
急に恥ずかしくなる。頬が赤くなっているのがわかったので、別の作業をする。
「わかりました、ありがとうございます。……それにしても過保護ですね」
「か、かっ……過保護じゃないよ! エステルが世間知らずで変な奴に絡まれて、何かあったら面倒なだけだよ!」
「わぁ……顔が真っ赤」
僕は恥ずかしさに耐えかねて、そのまま彼女を仕事先の街へと転移させた。
☆☆☆
それからエステルは薬を作って売ったり、ときどき星詠みをして金を稼いでいた。
彼女が稼いだ金は彼女のものにしてあげたかったが、建前上、何割かを受け取った。
この頃から、僕がしつこく魔塔から追い出して働かせようとしていたから、エステルは腹を立てていたように思う。
ついには「そんなに稼いで来いって言うなら、レミ様も外で仕事してみればいいんですよ!」と泣きながら言われた。
「ずっと傍にいて欲しい」と言えればどれだけ楽だろうか。僕は「忙しい」とだけ言い残して自室に籠った。
僕たちの会話は随分と減っていた。
そんなある日、彼女が星詠みから帰ってくるなり『領主の息子』の話をしてきた。
いつもは星詠みをした相手の話などしたことはなかったのに「酔っ払いで困った」と呆れている様子とは裏腹に楽しそうにしていた。
胸の奥がズキリと痛んだのがわかったが、僕はそれを見て見ぬ振りをするしかなかった。
しかし、何回目かの『領主の息子』の話題が出たときに、僕は耐えきれなくなっていた。
「ねえ……僕は君の家族じゃないんだ。そんな話されても面白くも何ともないよ!」
エステルはハッとしたような表情をした後、悲しそうに俯いた。そして小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。
ズキリと痛んだ胸の傷はジクジクと膿んで、取り返しのつかない状態だった。
――それから暫くして、エステルは魔塔に帰って来なくなった。
会うは別れの始め【あうはわかれのはじめ】……人と出会うことは、同時にいつか訪れる別れの始まりでもあるという意味。




