第五章 (2)窮鳥懐に入れば猟師も殺さず
魔塔主の過去編です!
あの日も何の変哲もない、つまらない一日になる予定だった――
「魔塔主様! 魔塔主様!」
「何? うるさいんだけど」
魔法使いが焦った様子で僕の部屋のドアをノックする。
「塔への侵入者がいます!」
「……ねぇ、寝不足で幻覚でも見てるんじゃないの? ここに入って来られる奴なんていないよ」
ドアを開けて魔法使いを睨むと「しかし、本当に……」と狼狽えている。
仕方なく、塔の最下層まで転移すると魔法使いや魔女たちが、それぞれ自分の身に結界を張りながら、一人の人間を遠巻きに見ている。
見れば、ボサボサの短い黒髪に棒のように細い手足をした小柄な人間がいた。黒髪とは珍しい。
……しかし、だいぶ異臭がする。
「こいつ何?」
近くに立つ魔法使いに尋ねるが、「さぁ……」という返事しかない。それはそうだ、わからないから僕が呼ばれた。
魔塔は僕の強力な結界を張ってある。
たまに野良の魔法使いがやって来るが、一度は結界に弾かれるのですぐに気づく。
魔塔で働きたければ招き入れ、戦いを挑む馬鹿な奴は遥か彼方へ転送して終了だ。
僕の命は永遠だが、無駄なことに時間を割くほど愚かではない。
そもそも魔塔は普通の人間には見つけることすらできない。
この人間からは、魔力を少しも感じられなかった。
それ故に、何の問題もなく魔塔内に入ってきた事実は、明らかに異様なものだった。
奴がゆっくりと一歩一歩、ゆらゆらと近づいてくる。周りの魔法使いたちもゆっくりと下がっていく。
「おい、お前何者だ」
僕が質問しても、奴は足を止めない。
異臭が酷すぎて思わず洗浄魔法をかける。
ボサボサで絡まった黒髪がすとんと落ち、サラサラと揺れる。奴は「あ……」と小さく呟く。
それでも止まらない奴は、僕にギリギリまで近づくと顔をゆっくりと上げた。
長い前髪の隙間から琥珀色の瞳が覗く。
「……あなたは偉い人?」
「……そうだけど」
そういうと、奴は膝から崩れ座り込んだ。
見下ろした先から小さな声が聞こえる。
「………いた」
「え? 何?」
僕が少し体を屈めると、漸く小さな呟きが拾えた。
「……お腹……空いた」
……こんなところにまで来て図々しい奴だ。
「……ねえ、誰かこいつの世話して」
面倒だとは思うが、魔力もない腹を空かせた人間を放り出すほど、僕は悪魔ではない。
……影で悪魔と呼ばれているのは知ってるけど。
あたりを見回すと全員が見事に目を逸らす。なんなんだよ、使えないな。
「もう、最悪だな」
僕はそう言いながら、腹ペコ人間と一緒に自室に転移した。
☆☆☆
食べ物を目の前に出すと、奴は恐ろしい勢いでそれらを食べた。
パンを噛まずにスープで流し込む。想像した通り、喉に詰まらせたようで、一瞬動きを止める。
「ねえ。ここで死なれたら迷惑だから、ゆっくり食べなよ」
無事、パンが喉を通っていったようで「ふぅ……」と小さく息を吐く。
先程は気づかなかったが、奴をよく観察するとシャツから覗く至るところに傷がある。
「その傷どうしたの?」
「何のこと?」といった表情で奴は自分の体を見て「ああ」とすぐさま納得する。
「殴られました」
「殴られた? 何で?」
「奴隷だからです」
淡々と答える様子に、思わず顔を顰める。
「何かしたの?」
「さあ? 急に奥様が『旦那に色目を使って穢らわしい』って。髪も切られました」
「え? まさか女なの?」
棒切れみたいな細い手足にシャツにズボン、短く切られた髪で完全に男……少年だと思っていた。
「ふふふ。はい。そうですよ」
男に間違われたのが面白かったのか、彼女は笑う。
「で、誰かに色目を使ったの?」
「まさか。普通に仕事をしていただけです。働かないとご飯を貰えないし」
『奥様』の八つ当たりか何かだろうか。
「虐待が……殴られるのが嫌で逃げてきたの?」
「いいえ。奥様に殴られるのはいつものことです」
「じゃあ、何でここまで来たの?」
「んー……旦那さまが急にベタベタ触ってきて気持ち悪かったんで、思わず殴っちゃったんですよね。バケツで」
最悪な男だな。
「……それは殴ってもいい」
「たぶん死んではいないと思うけど、さすがにまずいなって思って逃げてきました」
「……そう。あの……から、体は他に大丈夫なの?」
「触られただけなので、何とも。バケツが重かったから殴ったとき少し捻ったくらいです」
僕は「それならいいけど」と言いながら治癒魔法を掛ける。
彼女は「わあ」と言いながら目を輝かせる。治癒魔法特有の白い光を気に入ったのか、ずっと手首を眺めている。
「これからどうするの?」
食べ終わったら、追い出そうと思っていたのに事情を知ると言いにくい。
「どこか街まで行って、また奴隷として働こうかと」
「はあ?! 逃げ出したのにまた奴隷になるつもり?!」
僕にいきなり怒鳴られて、彼女は目を丸くした。
「でも、それしか生きる方法はないです」
奴隷として生きてきたなら、それ以外の方法が思いつかないのは当然だろう。
「……少しなら、ここに居てもいいよ」
「……でも、私は掃除、洗濯くらいしか出来ませんよ」
「掃除、洗濯をすればいい」
「え? でも魔法でできるんじゃ……」
鋭い所を突いてくる。僕は……というよりここにいる魔法使いたちは、全員が魔法で身の回りのことをする。
「うるさいな! ここに残るの? 残らないの?」
「……残ります」
そうやって、彼女との共同生活が始まった。
☆☆☆
結局、彼女がなぜ魔塔の結界を通り抜けたのかわからないままだった。
敵意や悪意がなく、気力も魔力もないので虫か何かと結界が判断したんだと、面倒なのでそう結論付けた。
実際、初めて魔塔の外へ出たときも、戻れなくなって分かりやすく狼狽えていた。だから、魔力を込めた魔石のネックレスを付けてやったのだ。
気力は回復したんだろうけど、まったく世話が焼ける。
それから彼女はする必要もない、魔塔内の掃除や洗濯をして回った。
他人との接触を苦手とする魔法使いたちは、最初こそ助けを求めるような目を僕に向けてきたが、悉く無視をした。
しばらくすると日光を浴びたシャツやローブが良い香りだと気がついた連中は、彼女に洗濯を頼むようになった。
さらには彼女が遠慮なく部屋に入ってきて、換気をする様子に慌てたりもしていたが、魔塔に吹き込む心地良い風は、行き詰まった研究の気分転換になると思ったのだろう。
彼女が侵入して来ても誰も何も言わなくなった。
☆☆☆
「ねぇ……君、名前は何ていうの?」
「名前ですか? ありません」
「え? いつもどうやって呼ばれてたの?」
「あー……『おい』とか『お前』とか?」
「……」
「あ! 魔塔の人たちは『君』とか『あなた』とか呼ぶので上品ですよね」
彼女はニコニコして答える。
「……君、今日から『エステル』ね」
「え?」
「あ、あと、他の連中に名前を教えたら、だ、だめだからね」
「なぜですか?」
「ぼ、僕が付けたって知られたら、ちょっとイメージが壊れるだろ? 僕は天才で美しい魔塔主なんだから!」
キョトンとする彼女と目が合うと、耳が熱くなっていくのを感じる。
「はあ……」
「ちゃんとわかった?! エステル、返事は?!」
「あ、はい!」
エステルは嬉しそうに笑いながら返事をした。
「では魔塔主様の名前も教えてください」
「……なんで?」
「魔塔主様にもお名前はありますよね? 知りたいからです」
もう、久しいこと誰かに名前を呼ばれていない。
名乗ることもほぼ無い生活を送ってきたのだと、今更ながら思う。
「……誰にも言わないって約束できる?」
「はい!もちろん! ……じゃあ、私も二人のときだけお名前で呼びます」
……この僕を名前で呼ぶつもりなのか。
「……レミ」
ぱぁっと花が咲いたようにエステルが目を輝かせる。なんだか急に恥ずかしくなる。
「可愛いお名前ですね!」
「ば、馬鹿にしてるだろ!」
「してませんよ! レミ様!」
いたずらっぽく名前を呼ぶと、彼女は逃げるように魔塔の階段を駆け下りて行った。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず【きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず】……追い詰められて逃げ場を失った人が救いを求めてくれば、見殺しにするわけにはいかないという意味。




