第四章 (1)泣き面に蜂
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レスト商会の応接室には父と兄、そしてテオ様とロラン、王宮からやって来た文書記録官と古文書管理官の男性が話し合いをしている。
私はというと、リュカと共にドアの近くで立って待機し、父や兄から指示があればすぐに動けるように控えていた。
つまりは男爵令嬢のオーレリアではなく、レスト商会の下っ端のオーレリアなのだ。
「下っ端なのだから、私ではなくエリーズが会議に出るべきだ」と父に訴えたが「商会の仕事は山ほどあるんだぞ」と一蹴されてしまった。
ボスのいうことは絶対である。下っ端が意見して良いものではないと一つ勉強になった。
というわけで、一週間ぶりにテオ様と顔を合わせたが、テオ様は私のこともリュカのことなども視界に入っていないかのように、ソファに腰掛けて商談を始めた。
私自身も「テオ様とは距離を取ろう」と心に誓ったはずなのに、そのあまりの露骨な態度に、少なからず衝撃を受けてしまった。
テオ様の対応は何一つ間違っていない。
今回の話し合いは「王宮の文書の偽造防止」及び「年代記や編年誌」に使用する紙についてだった。
レスト商会は他国から仕入れた技術によって紙に「透かし」を入れることができる。
この技術はとても珍しく、容易に真似することはできないため、国の重要な文書に使いたいということらしい。
また、国の歴史を纏めた「年代記」や一年の出来事を纏めた「編年誌」は、これまで非常に重い紙を使ってきたが、国王様は、より軽くて丈夫な紙を使って管理をしやすくすることも望んでいるということだった。
「リュカ、リア、倉庫にサンプルが入った木箱があるから持ってきて欲しい」
父にそう言われ、私はリュカと共に部屋を出た。
倉庫には大小のさまざまな木箱が積み上げられている。
「箱が大きくて危ないから、俺がこっちを担当する。透かしのある紙のサンプルはあっちの棚だ。小さい箱だけど上の方にあるから、気をつけるんだぞ」
無数にある木箱に貼られたラベルを読む。『金箔』『柿渋引き』『落水』など、見慣れない言葉が並ぶ。
「あった!」
『透かし』のラベルが貼られた木箱は、少し高い所にあった。
リュカを呼ぼうかと思ったが、低い踏み台を使って手を伸ばせば届きそうだった。
……そう考えた私は甘かった。小さな木箱とはいえ、中身は紙だ。意外にも重かったのだ。
無理だと思った瞬間、避けたつもりだったが、木箱は私の額の辺りを掠め、肩に当たって床へと落ちた。
「痛……」
あまりの痛さにそれ以上、声が出ない。
「リア! 大丈夫か?!」
「う、うん。大丈夫……」
言いながら額を押さえると、ぬるりとした感触が広がった。
「あ……」
リュカが「ちょっとごめん」と短く告げ、私を横抱きにする。
そのまま階段を駆け降り、大声でエリーズの名を呼んだ。
「エリーズ! リアが怪我をした! 今から医者に連れて行くから、男爵様に報告を!」
エリーズが真っ青な顔をして駆け寄ってくる。慌てた様子でハンカチを探しているようだ。
「リュカ、何事だ」
騒ぎに気づいた父が部屋から出てきた。その後ろには兄もいる。
「男爵様! リアが怪我をしました。頭から血を流しているので、急いで医者へ!」
すると、テオ様とロランも現れた。
テオ様は私を見るなり目を見開き、こちらに近づいて来る。
「リアをこちらへ」
テオ様は、驚くほど静かな声でそう言った。
「しかし……」
リュカは血だらけの私をテオ様に渡すことを躊躇った。
「ロラン、馬車を用意しろ」
「テ、テオ様。私は大丈夫です。それに、お召し物や馬車が汚れてしまいます」
額を手で押さえながら訴えたが、テオ様はそれを無視し、半ば強引に私の背中と膝裏に手を回して抱き上げた。
抱き留められた衝撃で、負傷した肩がテオ様の胸に当たり「痛……」と思わず声を漏らしてしまう。
「肩も怪我をしているのか?」
「……大丈夫です」
やり取りをしている間に、文官たちも部屋から出てきた。
私の血によって、見るからに上質なテオ様のシャツは真っ赤に染まっていく。しかし私にはどうすることもできない。
焦る私を無視するように、彼らは冷ややかに言い放った。
「……なんと不敬な」
☆☆☆
その後、病院で治療を受けた私は家に帰ってきた。
切ってしまった場所が額だったため、怪我の程度以上に出血してしまったようだ。
ベッドに潜り込みながら、先程の出来事を思い出す。
あの時、テオ様は全く文官たちの声が聞こえていないようだった。
私を抱き上げたまま、躊躇うことなく馬車に乗り、私はなぜかずっと、テオ様の膝の上に座らされ、抱き締められていた。
そしてテオ様はかつてないほどの深い溜め息を吐いた。
医者たちは見るからに高貴な身分に見える血だらけのテオ様に動揺しているようだった。挙げ句の果て、領主である父がやって来て、治療中の緊張感は異常なほどだった。
結局、帰りも王宮の馬車に乗ることになり「さすがに歩けます」と断っても無視して玄関まで横抱きにされてしまった。
双子のメイドのマロウとメリッサが包帯をぐるぐる巻きにされた私の頭を見て、目を潤ませていた。
一日の間に多くのことがあり、疲れているはずなのに、私は眠れない夜を過ごした。
☆☆☆
翌日、私と父は謝罪のため王宮の別邸へと向かった。
すると執務室に通された私たちは、衝撃的な話を聞く。
「……文官たちがレスト男爵と令嬢、そしてリュカ・ルフェーブル氏を不敬罪に訴えろと言い出した」
「え……?」
ロランがうんざりとした様子で続ける。
「彼らは元々、レスト商会の紙を王宮の書物や文書に使うことに反対していたのです。長く続けていたことを変える必要があるのかと国王様にも訴えていました」
「実物を見れば、彼らも考えが変わると思ったんだ」
言いながらテオ様が眉を顰めた。
「テオドール様が『私が指示したことだ、問題ない』と強く諫めてくださったのですが……文官たちは『それでは王族の権威に関わる』と言い募り、話を大きくしようと……」
いつも冷静沈着なロランが、言葉を詰まらせる。
「そんな……」
私の絶望は小さな呟きとなって零れ、水の波紋のように全身に広がり、そして凍らせた。
「国王様や宰相様のレスト男爵への評価が高いのも要因の一つだと思われます」
……私の所為だ……
ロランの声がどんどん遠くなり、ドクドクと自分の鼓動だけが耳元で鳴る。
「父親であるレスト男爵の投獄と、罰金。オーレリア嬢は投獄。平民であるルフェーブル氏に至っては王族を血で汚したとして最悪の場合、処刑などと――」
……私の所為で、お父さんが積み上げてきたもの、リュカの努力が水の泡になってしまう……
包帯に覆われた傷口がズキズキと脈打ち出す。体温は内側と外側で乖離していくような感覚になる。暑いのか寒いのかわからない。
私が東の魔女だと名乗れば、国王様は許してくれるだろうか?
十年間、良い関係を築けていたはず、私は投獄されたとしてもお父さんとリュカは許して貰えるかも知れない……
いや、ダメだ。私が魔女だと名乗ったら、テオ様の身に何か起こってしまう可能性がある……
指先が冷たくなっていくのがわかる。膝が震え、視界が歪む……ロランの声が途切れ始める。
どうしたら……どうしたら……
「ロラン、やめろ」
テオ様の鋭い声が響く。
息を吸っても息苦しい。呼吸の仕方がわからなくなる……
……暗闇に引きずり込まれる……
「魔女!!」
私はそのまま気を失った。
泣き面に蜂【なきつらにはち】……不運や災難が重なることや悪い状況のときに、さらに別の悪いことが起きて追い打ちをかけられることのたとえ。




