間話 喧嘩するほど仲がいい
ロランの視点になります!
{我が主は傷心につき}
三日前、東の魔女ことオーレリア・ド・レスト男爵令嬢との市場視察から帰ってきてから、俺の主君であるテオドール・ド・クレマン王子殿下は見るからに落ち込んでいる。
「落ち込んでいる」くらいなら可愛いもので、今は最早「沈み込んでいる」と言っても過言ではない。
こうなってしまうと、彼を浮上させることができるのも彼女しかいない。
☆☆☆
テオ様と出会ったのは、俺が三歳の頃だった。
ふんわり柔らかそうなダークブロンドの髪の赤ん坊を、母は大事そうに抱いて俺の部屋にやって来た。
俺は『弟ができた』と喜んだのも束の間、母から『将来あなたが支える主君になる子よ』と言われたことを鮮明に覚えている。
当時、言葉の意味はよくわからなかったが、大切にしなければならない存在ということだけはわかった。
テオ様はあまり泣かない子だった。ちょっとしたイタズラで俺がおもちゃを取り上げても特に気にする様子もなく、別のおもちゃで遊び出した。
そんな赤ん坊のテオ様が『ロン』と俺を呼んでくれた日は嬉しかった。
俺はその日から名前をちゃんと呼んでもらえるように『ロ・ラ・ン』と何度も教えた。
平和な日々が流れていたある日、俺の父が事故で亡くなった。
当時六歳だった俺は、父に二度と会えないことを最初はイマイチ理解できていなかったと思う。
葬儀の間は気丈に振る舞っていた母が、葬儀後にテオ様と三人になった途端、はらはらと涙をこぼした。
その様子を見たせいか、俺も悲しみが込み上げてきて涙が止まらなくなった。
俺は状況をよくわかっていない様子のテオ様をギュッと抱き締めた。
テオ様は『いい子だね、ロラン』と亡くなった父の口調を真似ながら、その小さな手で私の頭を撫でた。
そしてすぐ、王宮からテオ様の迎えの使者がやって来た。
俺は前日まで母に『テオ様とずっと一緒に暮らせないの?』と我儘を言っていた。
父が亡くなり、テオ様までいなくなってしまう生活など想像できなかったのだ。
王宮への馬車に乗り込む瞬間、テオ様は俺と目が合うとみるみるうちに顔を歪めた。
かつてテオ様がこんなに声を上げて泣いたところを母も俺も見たことがなかった。
ただならぬ雰囲気に、俺は馬車に駆け寄りたい衝動を抑えるのに必死だった。
このままだとテオ様が死んでしまうのではないかと走り出そうとした瞬間、テオ様を抱いた使者が降りてきた。
テオ様は使者の腕の中で暴れ、解放されると母と俺の元へ一目散に走ってきた。
そのときのテオ様の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は、今思い出しても笑ってしまうほど酷かった。
たぶん俺も同じ顔をしていたと思う。
その後、三人揃って王宮で暮らし始めたが、テオ様の表情はだんだんと暗いものになっていった。
そんなある日「新しい魔女様がやって来た」という報告がきた。
魔女様は国王様との謁見から数日後、テオ様の部屋を訪問してきた。
魔女様は「東の魔女でございます。どうぞお見知りおきを」と形式的な挨拶をしたあと、テオ様に近づいた。
『あなたがテオドール様ね。よろしくね』
そう言いながら、ごく自然にテオ様の頭を撫でた。
その後、魔女様はハッとして『王子殿下の頭を撫でてしまった……』と青くなったが、テオ様は『良いよ、大丈夫』と顔を真っ赤にしていた。
俺はその日、人が恋に落ちる瞬間を初めて見たんだと思う。
テオ様の霞んだように暗くなっていたグリーンの瞳は宝石のごとく輝き出し、魔女様を見つめていた。
平和なラペデュール王国といえども、少なからず王宮の中には、人の悪意や損得勘定が日常的に蠢いていた。
王宮の中にこれだけ大勢の人間がいるのに、テオ様が心を許せるのは母と俺しかいなかった。
厳密に言えば、テオ様は我々以外の人間に何の感情も抱いていなかった。好きも嫌いもなく、いわばどうでもよい存在がほとんどだった。
そんな中、魔女というにはあまりにも普通の少女が目の前に現れた。
自分より幼い人間には優しく、大人には敬意を払って接する。
世の中の常識が、王宮では異端なものであり、眩しかった。
そんな彼女が、テオ様にとってかけがえのない存在になるのに、時間は掛からなかった。
それからというものの、テオ様の中で人間は三種類に分けられるようになった。
一つは魔女様と俺と母。一つは大多数を占めるどうでもよい存在。そして、魔女様に近づく存在。
品行方正で知られているテオ様だが、舞踏会等でチラリとでも下心を感じさせる目で魔女を見た人間は忘れず、射抜くような鋭い視線で睨みつける。
舞踏会の一回分だけでも、テオ様の舌打ちは心の中で百回を優に超えているだろう。
周りを徹底的に牽制し、文字通り温室育ちにしてしまった代償として、魔女様は恋愛面において致命的なほど鈍感になってしまった。
彼女は元来、薬草や薬学の本ばかりを読んでいた。最近になって漸く令嬢たちに勧められた恋愛小説を数冊読み始めたばかりだ。
その恋愛小説ですら「なるほど」とまるで研究対象のように呟いていたので、彼女の恋愛面での情操教育に役立ったか疑わしい。
ちなみに、どこで仕入れたか知らないが、俺とテオ様がモデルになった『秘密の小説』を手にしていたときは、思わず「この本は検閲対象です」と読み始める前に没収した。
魔女様がこれに影響を受けて「あ……そうだったんだ」などとあらぬ誤解を深めてしまう未来が容易に想像できた。
推測するに初恋すら怪しい彼女を振り切った方向に成長させるわけにはいかない。誰が渡したんだ、まったく。
そんな恋愛能力五歳児の魔女を、テオ様は今、必死になって口説こうとしている。涙ぐましい努力だが、完全に自業自得だ。
鉄壁の守りを敷いているテオ様の隙を掻い潜っているのが、北・西・南の魔女たちだ。
存在そのものが怪しいだけではなく、彼女たちは揃いも揃ってテオ様を煽る。
成長するにつれ、テオ様のできなくなった『自ら魔女に触れる』という行為をこれ見よがしにしては、鼻で笑う。
相当いい性格をしているんだと思う。
ちなみに、この地味な煽りは毎回行われているので俺の中ではある意味『恒例行事』『様式美』だと思っている。
『くそっ、アイツらいつか出禁にしてやる!』
テオ様が私室に戻るまでの間、不機嫌に悪態を吐き続けるのが一連の流れだ。
☆☆☆
底なし沼に沈み込んで浮上させることは難しそうだなと思いながら、テオ様に声をかける。
「ついに魔女様に振られましたか」
冗談で言ったつもりが核心をついてしまったようで冷え切った声で「今すぐ出ていけ」と言われてしまった。
こう見えて、俺の主は国王の風格もちゃんと持ち合わせているのだ。
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【ロラン】
ロラン・ル・ボン伯爵令息。母が伯爵位を授かったので伯爵令息なのだが、いまだに慣れていない。顔良し、頭良し、スタイル良し、に加え身分まで高くなってしまったので理想の結婚相手、不動のナンバー1を誇る。しかし、恋愛面では秘密が多く、近くにいるテオドールですらまったく把握できていない。
喧嘩するほど仲がいい【けんかするほどなかがいい】……互いに遠慮がなく本音でぶつかり合えるため、結果的に絆が深く仲の良い関係であることを指す。




