第二章 (7)噂をすれば影が射す
今回はオーレリアのターンになっております。
レスト領・丘の上の孤児院にて――。
『無駄飯食い』や『徒食者』という響きも嫌だけれど、一番恐怖を感じるのは『穀潰し』
……なんなのよ『穀潰し』って響きが怖すぎる。人に言われたら二度と立ち直れる気がしないわ。
私は魔女の家で学んだ東の言葉を急に思い出しながら、慰問先の孤児院で子どもたちに勉強を教えていた。
目の前の子どもたちは、懸命に計算を解いている。
彼らは学ぶことが楽しいようで瞳をキラキラと輝かせながら私の話を聞いてくれる。
とても素直で可愛い。
「パンが五個ありました。お昼に二個食べたら残りは何個でしょう?」
そんな例題を作ってしまったことで、余計なことがチラチラと頭をかすめていく。
そして密かに『穀潰し』からの脱却を目指す。
実家に戻って来てから、私は両親、兄家族、従者……とにかく私を知るすべての人たちに過保護なほどに労られる状況になってしまった。
両親は兄から連絡をもらうと、社交シーズンだというのにすべての予定を中止して領地に帰ってきた。
そして王都から戻るや否や、「妖精に攫われた娘が帰ってきた」と領地内で発表したのだ。
その設定を突き通すことに私は驚いたけれど、「嘘は増えるとボロが出るからな」とウインク付きで言い切った父に反論することはできなかった。
おそらく私を『親戚の娘』にすることは、父の中の選択肢にはなかったのだと思う。
清廉潔白な父が、私のために多くの人に嘘を吐く。その事実にいたたまれない気分になったけれど「誰かが傷つく嘘ではないから大丈夫だよ」と笑う父の言葉は優しかった。
本当の意味で家族の元に戻れたことが、心の底から嬉しかった。
父は「これが広まってまた娘が攫われるようなことがあっては困るから、口外しないでほしい」と口止めすることも忘れなかった。
そうして、私が妖精に攫われて戻ってきた話は、領地内の公然の秘密となった。
平和そのもののレスト領。何者かにお嬢様が攫われるかもしれないという話は、謎に皆の団結力を高めていった。
……一体、誰に攫われるというのか?
結果、私は周りからひたすら守られる対象――簡単に言えば、ほぼ軟禁状態になってしまったのだ。
寝て、起きて、食事をし、散歩をし、本を読み、そしてまた寝る。
最初の一週間は(まぁ……それも仕方ない)と思っていたけれど、令嬢の嗜みである刺繍をしていたとき、針で連続七回も自分の指を刺してしまった直後、私は父に直談判した。
「仕事をください」
父は「まだ身体を休めても良いんじゃないか?」と言っていたけれど、私は休むことを断固拒否した。
「せんせい! できました!」
一人の活発そうな女の子が手を挙げる。
「みんなもそろそろ出来たかしら? 答え合わせをするわよー」
ここにある筆記用具は、すべて父の寄付で賄われていた。
子どもが使うには高級すぎるものばかりだが、「良い物は良い」という父の理論に基づいている。
「良い物を幼い頃から見ておくのは大事なんだ。子どもたちが将来仕事をするときにも役に立つ」ということらしい。
孤児院のシスターたちは毎回のように「お勉強の道具は大事に使いましょう」と授業の前に子どもたちに伝えていた。
普段の優しい表情とは違う、笑顔で隠しきれない圧のある雰囲気に子どもたちは真剣に「うんうん」と頷いていた。
たぶんシスターたちは筆記用具の値段を知っているんだと思う。
問題の答えを告げていくと、あちこちから「やったぁ」「あ〜ちがった」と声が上がる。その姿に、幼い頃のテオ様の様子が重なる。
最近の私は、ことあるごとにテオ様を思い出していた。
父は王都にいたとき『第一王子殿下が体調を崩された』という話を耳にしたと言っていた。
しかし、その後の詳細はわからず、かと言って事実を確認する勇気も出ないまま、時間だけが過ぎていった。
昼間は自分の出来る仕事を請け負い、領地を見て回った。忙しくすれば、テオ様のことを考えなくても済むと思っていた。
……なのに、ふとした瞬間に不安が押し寄せてくる。
あれから二ヶ月。王宮が魔女を探しているという話は聞かない。
勝手なことをした私を、テオ様は怒っているのだろうか。それともまだ体調が悪いのだろうか。
……そもそも、私のことなど、どうでもいいのかもしれない。「ねえ、魔女」と優しく呼びかけてくれた日々が遠く感じる。
自分が何を恐れているのかだんだんとわからなくなり、次から次へと変化する自分勝手な感情に、疲弊する日々が続いていた。
「みんな、よくできました! 次はすこーし難しい問題ですよ」
気持ちを切り替えるように声を張り上げた、その時。
バタバタと足音が響き、コンコンと急いだ様子でドアをノックされた。
いつも孤児院まで連れてきてくれる御者が、そこに立っていた。
「お嬢様! 領主様より至急戻られるようにとのことです!」
ただならぬ雰囲気に、私は子どもたちとシスターに詫びて孤児院をあとにした。
☆☆☆
家に戻ると、メイドたちに忙しなく指示を出している母とすれ違った。不安が膨らむ。急いで父の執務室に向かうと、そこには兄もいた。
「お父さん、何かあったの?」
「リア、驚かせて済まない。少し大変なことになってな」
「大変なこと?」
「……第一王子殿下が、急にこちらに視察に来ることになった」
「……し、しさつ……え!! 視察!?」
「さっき宰相様からの連絡が届いた。順調にいけば、明日訪問されるとのことだ」
「あ、明日? なんで急に……」
宰相様の性格を考えると、ここまで急な申し出は何か意図があるように思える。
私たちに準備をさせないような、この急ぎ方……。
「手紙には、アンヌ・ル・ボン女伯爵の結婚式に必要なものを探しに来ると書いてあった」
「アンヌ・ル・ボン……え! アンヌ結婚するの!! どうしよう、お祝いしなくちゃ!」
「リア、少し落ち着くんだ」
兄に諭され、はたと気づく。今の私は存在すら公になっていない男爵令嬢。アンヌの結婚を祝う立場ではない。
そもそも、今はそんなことを悩んでいる余裕はない。
そしてまたもや、忙しなくノックする音が響いた。
いつもは穏やかな老齢の家令が、早口で告げた。
「旦那様、テオドール王子殿下がお見えになりました」
―――――
【オーレリア・ド・レスト(東の魔女)】
ラペデュール王国に仕える魔女だった。実際は26歳だが見た目は16歳のまま。帰ってきたら男爵令嬢になっていた。
噂をすれば影が射す【うわさをすればかげがさす】……人の噂をしていると、ちょうどその本人が現れるという意味。




