第一章 (1)学問に王道なし
王宮の広大な庭園の片隅にある、ガラス張りの温室。
その温室の東側に建つ、田舎にあるような真っ白な外壁にオレンジ色の瓦屋根を載せた家の一室。
「魔女、読んだ本の内容が覚えられる薬を作れないかな?」
黒いローブ、口元を隠す黒い四角い不透明なヴェール、見えるのはまっすぐに切り揃えられた黒い前髪と、少し覗く黒い太眉、そして琥珀色の瞳だけだ。
魔女はゆっくりとティーポットに湯を注ぎながら、重苦しい溜め息を吐いた。
「それは、どういった理由でご所望ですか?」
少し目を細めているときは、却下される可能性が高い。嘘を吐いてバレたら、三日は口を利いてくれないだろう。
本当のことを言って同情を誘うのが得策か――いや、すでに機嫌を損ねている。私にはわかる。
「えぇと、過去の裁判例を参考に、どういう判決を下すべきかまとめる課題なんだ。法律の講師に提出しなくてはならなくて……」
ラペデュール王国の国王、つまり私の父はやたらと勉強家で、ありとあらゆる分野の学者を招いては講義をさせている。
その煽りで、私の教育もいつまで経っても終わりが見えない。たぶん王位を継いでも、ずっと勉強することになるだろう。
そう、きっと永遠に。
「それはいつ出された課題なのですか?」
この国の第一王子であり、ゆくゆくは国王になる私に対しても、魔女の視線には全く遠慮がない。『私は呆れています』というメッセージ性がやたらと強い視線だ。
「に……二週間ほど前に……」
「はい?」
琥珀色の瞳がギラリと光る。
「いや、三週間ほど前だったかな……?」
私は視線をゆっくりと窓の外へ逸らし、満開の黄色い花を見つめながら言い訳を考える。
「法律の本ってさ、分厚いだろ? さらにどこに何が書いてあったか思い出しつつ、事案の概要を理解して、論点も整理してさ、さらに――」
「お言葉ですがテオドール殿下――」
魔女は目の前の砂時計をひっくり返し、私の言葉を遮った。
不敬だと咎められても仕方がない行動だが、魔女にはそれが許されている。
「三週間もの期限があったのであれば、きちんと計画を立てて取り組むべきだったのでは?お忙しいのは承知しております。しかし、毎日こちらに足を運ぶ『健康観察』という名目の休憩を削れば――」
まるで乳母のアンヌのような小言が、スルスルと流れるように出てくる。
三分の砂時計がもう一度ひっくり返された。
いったい何分抽出するつもりだろうかと、私は不安になる。
「ここで休む時間が無くなるのは嫌だ」
十七歳にもなって我ながら子どもっぽいと反省しつつ、砂が落ちる様子をぼんやりと眺める。
六分が経過したところで、およそハーブティーとは思えないほど毒々しく真っ黒な液体がティーカップに注がれた。
ハーブティーの定義を一度問い詰めたい。
「西の魔女様直伝のマテとローズマリーとルイボスのブレンドティーです。薬ではありませんが、脳の血行を良くして記憶力を高める効果があるそうですよ。眠気を妨げるので寝る前にはおすすめしませんが、お昼過ぎの今なら最適でしょう」
「……ありがとう」
魔女は眉尻を少し下げる。『さぁ飲みなさい』という圧が強い。
私はティーカップに視線を落とし、意を決して一口飲んでみた。
――濃すぎて、舌が驚いた。
舌だけではない。あまりの不味さに思考そのものが停止した。
ちらりと魔女を窺うと、微笑んでいるようだが目の奥が全然笑っていない。
「濃く抽出するほど、効果も早く実感できるそうですので」
「濃いというか、濃すぎ……」
「西の魔女様のレシピですので」
「……」
「学問に王道なし、ですよ。殿下」
このままでは説教の第二幕が始まってしまう。回避するためには何か言わなくては。
「こ、このハーブティーは……味わうとなかなか、個性的で美味しいな!」
味の破壊力が強すぎて、全く方向転換できていない。
ハーブティーにここまで意識を占領されるとは。頭がすっきりするどころか、もう何も考えられない。
「あら! 本当ですか? だいぶ前に教わったのですが、成長期だったテオ様には睡眠を妨げるお茶は避けていたんです。ようやく出番がやってきて嬉しいです」
魔女の瞳に、パッと光が入ったように輝く。よかった、機嫌が直った。
それにしても今まで一度も淹れたことがない茶葉を私で試したのか。
好奇心旺盛というか開拓者精神というか……。
いずれにせよ、普通は王子を実験台にしないと思うが。
「これで課題も仕事も頑張れそうだ」
「お役に立てて何よりです」
魔女が嬉しいなら、それでいい。
私はぐったりしながら、心底そう思ったのだった。
―――――
【テオドール・ド・クレマン(テオ様)】
ラペデュール王国の第一王子。17歳。
【魔女】
ラペデュール王国に仕える魔女。黒髪に琥珀色の瞳。
学問に王道なし【がくもんにおうどうなし】……学問を修めるのに、楽な近道(王道)など存在しないという意味。




