第一章 (14)魚心あれば水心
「……それは……なぜ……?」
「彼女はオスカーが生まれたあと、そのままソフィー付きの侍女として王宮に残った。エマのことを娘のように大事にしていた人間だったから、オスカーを見守りたかったのだろう」
「オスカーを王太子にしたかったということでしょうか?」
「そうとも言えるが、侍女はそれ以前に私とソフィーに悪感情を抱いていたようだ」
「悪感情ですか? オスカーを引き取ったのに?」
「そもそも私はエマと結婚すると思われていたんだ。しかし、私はソフィーを選んだ。そこからエマの人生に影が差し始めたと侍女は叫んでいたよ。だから私たちの一番大事なものを奪ってやろうと思っていた、と……」
国王はギュッと眉根を寄せる。尋問の際、侍女に他にも何か言われたのであろう。
私は王妃の傍らにいて、常に冷たい表情を浮かべていた侍女を思い出す。
「ソフィーは以前から侍女の気持ちには気づいていたようだ。だからあえて侍女を監視するために傍に置き、オスカーを可愛がってお前を遠ざけることで、お前に害が及ばないようにしていたらしい」
「そんな……」
今までの王妃の態度の理由を知り、驚愕する。
「来年にはお前を王太子にする話もあってな。成長していくお前に、ソフィーも母親として何かしたい気持ちが出てきてしまった。それが、お前の婚約者選びというわけだ」
私はハッとして顔を上げる。
「ソフィーは『テオドールが王太子になって魔女の魔法を知ったらどうすると思う? 決断しなくてはならないときに、魔女を解放できるかしら?』と言っていたぞ」
だから、結婚を急かしたのか。私が間違った決断をしないように。魔女をちゃんと解放できるように。
「返す言葉もありません……」
「ソフィーは侍女の前では『テオドールの婚約者が決まらないとオスカーの婚約者を決められない』などと言っていたが、熱心に選ぶ様子に想いを隠しきれていなかったんだろうな。アンヌの叙爵の件もあったし、まあ……今回の件が決め手になって、侍女は行動に移したんだろうな」
しばらく沈黙が続いた。
「侍女はどうなったんですか?」
「すでに処刑されたよ……。ロランが志願して、内密に刑を執行した」
「……」
「ソフィーはロランに侍女のことを以前から伝えてあったようだ。逃げようとしていたところを捕らえたから王宮の封鎖も一時的だったし、貴族はお前が体調不良になった程度にしか思っていない」
「そうですか……何もわかっていなかったのは、私だけだったんですね」
「お前はすぐに顔に出るからな。親としてはその素直さは可愛いが、将来を考えると努力が必要だな」
「……はい。申し訳ありません」
「まぁ……今はまだ身体を休めなさい」
「ありがとうございます。あの……母上とオスカーは大丈夫でしょうか?」
「ソフィーは体調を戻しつつあるが、オスカーは部屋に閉じ籠ったままだ。私たちの言葉を聞き入れるには、まだ時間がかかるかもしれないな」
☆☆☆
私はそのまま、王妃の部屋を訪ねた。
「母上、テオドールです。失礼してもよろしいですか?」
メイドがドアを開ける。
「王妃様が中に入ってお待ちくださいとのことです」
促されたまま中へ入ると、寝室の方からガタンと音がした。「大丈夫ですか?」とメイドたちの慌てる声が聞こえる。不審に思った私はドア越しに声をかけた。
「母上、大丈夫ですか? 入りますよ」
すると、メイドたちに身体を支えられている王妃が目に入る。私は慌てて駆け寄り、その身体を支えた。すると王妃は私の頬に手を伸ばし、そっと触れた。
「テオドール……無事で良かった……」
王妃の頬には涙が流れていた。驚いて固まっていると、頭を引き寄せられ、抱きしめられた。
「ご、ご心配おかけしました。母上のお加減はいかがですか?」
「私は大丈夫よ」
どうしていいかわからず、手が所在なさげに彷徨う。しばらくして王妃は身体を離すと躊躇いがちに言った。
「今まで、本当にごめんなさい。結局、こんなことになってしまって……」
「……事情はすべて聞きました。なので……私は大丈夫です」
王妃は私の手をギュッと掴んで、そして優しく微笑んだ。初めて私に向けられた笑顔は、国民が知る完璧な王妃の微笑みとは、まったく違うものだった。
☆☆☆
翌日、私はオスカーを訪ねた。
一晩考えても自分が何を伝えたいのかさっぱりわからなかった。オスカーは私に会いたくもないだろうと思ったが、周りの心配をよそに閉じ籠ったままの状態を、どうにかしなくてはと思ったのだ。
メイドが、手をつけられた様子のない食事を下げている。
「オスカーの様子は?」
「一日に一度程度の食事は取ってくださっていますが、誰にも会いたくないとおっしゃっています」
私は軽く溜め息を吐き、ドアをノックする。
返事がない。仕方なく部屋に入り、そのまま寝室のドアの前に立つ。
「オスカー、私だ。入るぞ」
薄暗い部屋の中に入るといきなりクッションを投げつけられた。
「勝手に入らないでください!」
クッションを拾い、オスカーを探す。
ソファーの陰に隠れて床に座っているオスカーを見つけた。
「兄上と話すことは、何もありません」
オスカーに近づき見下ろすと、ずっと泣いていたのか目元がひどく腫れているのがわかる。
「父上も母上もお前を心配している。食事くらいちゃんと取るんだ」
「……本当の子どもじゃない僕を、笑いに来たんですか?」
「何?」
「同情で育てられた僕を笑いに来たのですか! 本当は愛されていたのは兄上で、僕は兄上を守るためだけに存在していたんだ! 父上も母上も僕のことなんて本当は必要なかった――痛っ」
私は手に持っていたクッションを、オスカーの顔に投げつけていた。
「オスカー……本気で言ってるのか?」
オスカーは俯いて何も答えない。あまりの言い草に、腹が立つ。
「……そうだな、同情だろうな」
オスカーがバッと顔を上げて睨んでくる。
「そうやって言えば、お前は満足するんだろう?何度だって言ってやるよ」
オスカーが飛びかかってきて、私の胸ぐらをつかむ。
「うるさい!……兄上に何がわかる」
「そうだな、人の心なんて誰にもわからないよ。お前は私の気持ちがわかるのか? わからないだろう。だけど、せめて父上と母上の気持ちを汲み取るくらいはしろ!」
オスカーは手を離すと、力なく座り込む。
「今までのことを思い出して、父上と母上に愛情がなかったとお前が思うなら、そうなんだろうよ。結局受け取った側の気持ち次第だからな……。だが、お前自身が大切にされていたと感じるならば……早めに二人に会いに行くんだな」
オスカーは鼻をすすっている。私はぽんぽんと、オスカーの頭を叩いた。
「あ、兄上は……僕のこと、嫌いでしょう……?」
まだそんなことを言うか。今まで特に考えたこともなかったことを問われ、私はしばし考える。
最近は生意気になったなとは思うが、昨日まで弟だと思っていた相手に『好き』や『嫌い』の感情があっただろうか。
「私は……えーと、あれだ。『魚心あれば水心』だな」
オスカーは意味がわからず、きょとんとしている。ムカつくことを言われたお返しに、少し意地悪して答えた。
「結局は、お前次第ということだ」
それだけ言い残して、オスカーの部屋を後にした。
―――――
【テオドール・ド・クレマン】
ラペデュール王国の第一王子。17歳。ダークブロンドの髪に緑色の瞳。
【マリユス・ド・クレマン(国王)】
ラペデュール王国の国王。テオドールは国王に似ている。
【ソフィー・ド・クレマン(王妃)】
ラペデュール王国の王妃。ブロンドに青い瞳。
【オスカー・ド・クレマン】
ラペデュール王国の第二王子。
王妃の姉・エマの子どもだが、王妃に育てられた。
魚心あれば水心【うおごころあればみずごころ】……相手が好意を示せば、こちらもそれに応じて好意を持って対応するという意味。




