第一章 (12)時の用には鼻を削げ
私は舞踏会の二日後の夕方に目を覚ました。
傍らには、アンヌが付き添っていた。
アンヌは私が目を覚ましたことに気づくと、急いでロランを呼びに行った。
その後、王宮の医師による診察を受け、国王が部屋にやって来た。王妃は心労で寝込んでしまったそうだ。
その翌日にはオスカーまでもが私の好きな蜂蜜ジンジャークッキーを持って見舞いに来た。
身体は問題がなかったが、何かをすることも、何かを考えることも億劫になり、その後一週間はほぼベッドの上で過ごした。
しかし、その間に魔女がやって来ることはなかった。
この状況で魔女が来ないことに、何かしらの理由があることは明白だった。
なのに私はそれを誰かに尋ねる勇気もなく、皆が魔女について触れないことに怯え、自分の弱さに自嘲的になっていた。
事件から半月ほど経ち、周囲が少しずつ日常を取り戻そうとしていたとき、ロランが重い口を開いた。
「魔女様のことで、国王様からお話があるそうです。体調が良ければ、本日の午後に時間を取って欲しいとのことです」
「……わかった」
☆☆☆
王の執務室を訪ねると、部屋は完全に人払いがされており、国王しかいない異様な光景だった。
国王に促されるままソファに腰を下ろすと、何を告げられるのか怖くなって手が震え始めた。
「体調は大丈夫か?」
「はい」
「そうか……」
国王が呟くと、しばし沈黙が続いた。
「お前が一番気になっているであろう魔女のことだが……実のところ、行方はわからない。安否も不明だ」
「………私はあの日、ロランに運ばれたあたりから記憶がありません。魔女に何かあったのですか?」
「……魔女はおそらく、お前の命を救ってそのまま消えた」
「命を救って消えた? 王宮を去ったのですか?」
「いや、文字通り消えたんだ」
「それは……どういう……」
「そうだな……。いろいろ伝えなければならないことがあるんだが……長くなるから、体が辛かったら言うのだぞ」
「はい……」
「お前は先代の魔女が去った頃、国がどんな状況だったか知っているか?」
☆☆☆
今から約十年前。その年、王国は天候不良が続いていた。異常な大雨と日照不足で作物は育たず、食料不足となった。
国王は以前から食料不足対策には力を入れていたため、物価は上がるがなんとか乗り切れると判断していた。
しかし、今まででは考えられない雨量により土砂災害が各地で発生した。災害が起きると、当然のように疫病も蔓延し始めた。
ラペデュール王国の不安定な状況は国外にも伝わっていった。
周辺国とは良好な関係を築いていたが、国力が弱まれば、いつ態度が変化するかはわからなかった。
☆☆☆
「そこで私は、先代魔女に願いを叶えてもらうことにしたのだ」
「願いを叶える……?」
「そう。初代国王の直系のみ、一生に一度。自分に関することなら、魔女は望みを叶えてくれる」
「……魔女はそんなことができるんですか? 父上は何を願ったのですか?」
国王は困ったように笑う。
「願いは他言してはいけない約束になっているんだ。まぁ……いろいろと考えたよ。雨を止めるべきか、災害を防ぐべきか……しかし『自分に関すること』でなければならない条件があるから、なかなか難しかったよ」
「自分に関する願い……」
「そう。だから、魔女がお前を救ったというのは推測だがな。どうにか願いを言わせて、魔法を発動させたんだろう」
「直系の人間が願いを言えば、魔法は発動するんですか?」
「そうだな。願いと魔女の名前を言うことで発動される」
「魔女の名前?」
「私たちも人間だからな、時々血迷ったような願いを口にすることがある。結局は魔女が同意しないと叶わないようになっているんだ」
「……私は願いも、魔女の名前も記憶にないです……」
「だろうな。覚えていたら、真っ先に名前を呼んで探し回るだろう?」
「……そう……ですね……。それでは、魔女が消えてしまうというのは?」
「魔女は願いを一度叶えたら、役割を終える。解放される、といったほうが良いかも知れないな。願いを叶えるまで、彼女たちは王宮から出ることもできないからな」
そういえば、魔女が王宮から出たところを見たことがない。
「本当に消えるように去ってしまうから、何代か前から、願いを叶えてもらう際に報酬を持たせることになったんだ。先立つものもないまま外に放り出されるなんて酷だろう?」
「それは、そうですね」
「先代魔女にはトランク二つ分の報酬を持たせようとしたんだけどな。『重いしどこに飛ばされるかわからないのに野盗に襲われたらどうするんだ!』と叱られたよ」
「先代魔女の居場所はわかっているのですか?」
「ああ。しばらくしたら手紙が来てな。生まれ故郷で薬屋を営んでいるそうだ。しかし、知り合いはほとんど亡くなっていたそうだ。二十五年もの年月は、町の景色を変えてしまうからな……申し訳ないことをしたと思う」
「あの……魔女はやはり、歳をとらないんですか?」
「おそらく王宮にいる間だけ、歳をとらないようだ。最近の先代魔女の手紙には、足腰が弱ってきたと書いてあったよ……だから王宮に呼び寄せようとしたけれど、『年寄り扱いするな』と返事が来た。心配させるようなことを書いておきながらな」
国王は寂しそうに言う。
「そうなんですね……。魔女は私の願いを……。
それでは、次はオスカーの願いを叶える別の魔女が来るのですね」
国王はしばらく沈黙して、告げた。
「いいや、魔女は来ない」
「来ない? なぜです?」
国王は目を伏せ、軽く溜め息を吐いてから言った。
「……オスカーは私と王妃の子ではないからな」
―――――
【テオドール・ド・クレマン】
ラペデュール王国の第一王子。17歳。ダークブロンドの髪に緑色の瞳。
【マリユス・ド・クレマン(国王」)】
ラペデュール王国の国王。テオドールは国王に似ている。
時の用には鼻を削げ【ときのようにははなをそげ】……急を要する重要な場面では、手段を選ばず、たとえ自分の鼻を削ぎ落すような犠牲を払ってでも目的を達成すべきだという意味。




