Sub Episode: とある父親の半生 ※だから『クロエ・ユキテル大勝利! 笑顔の明日へレディ・ゴー!!』だっつってんだろ!
■□■
「なに? また盗っ人が出たのか」
シャイン伯爵家の跡取り息子が額の汗を拭うと、手にした修練用の木剣を担ぎ、脱ぎ捨てていた上着を背に羽織る。
「――よし。私自ら捕まえてみせよう」
「お待ち下さい坊ちゃま!」
ウキウキと飛び出そうとする彼を、執事の老人が慌てて呼び止める。
「止めてくれるなよ爺や。こう見えて時折、お忍びで冒険者活動をしているのだ。……聞いて驚け? この前、ついにC級へ上がったのだ。ソロ活動でこれは凄くないか?」
「いまここでカミングアウトする坊ちゃまの胆力が凄うございます」
屋敷に並み居る警備の目を盗み、伯爵家の嫡男が、よもや冒険者として中堅のランクまで活動していたとは――。
執事がショックで目眩を起こした瞬間、好奇と見た彼は、素早く屋敷の門を飛び越える。
「私はいずれS級冒険者となり、世界中の迷宮の財宝を手に入れるのだよ! はーっはっはー!」
「坊ちゃま! ……はあ、まったく」
そのまま走り去る彼を、執事は心労の絶えない様子で見守るしかなかった。
「――驚いた。まだ子供じゃないか。君、名前は?」
「……名前なんかねぇよ」
――夜。
自身の父が治める街の路地裏で、伯爵の息子は巷を騒がせていた盗っ人を追い詰めた。
……かなり手強い相手であった。
どこへ隠し持っていたのやら、懐から様々なガラクタ――おそらくそこらに廃棄されていたであろう物品――を暗器のように投げては撹乱。
壁際に追い込んだと思えば、軽やかな跳躍で瞬く間に駆け上り。
やむなく手荒に気絶させようと木剣を振るうも、盗っ人の子供はその場その場にあるものでこれらをしのぎ続けた。
――これは素晴らしい才能だ。
冒険者として必要なものが、目の前の子供に備わっている。
だからこそ、盗む事でしか生きる方法を知らない事はあまりにも惜しい。
「……よし。君、行く宛がないなら私のところへ来い。そろそろお忍びの冒険者活動にも一人では限界を感じていてな。普段は私の屋敷で面倒を見てやる。給金もやろう。その能力を、世のため人のため……あと私のS級冒険者への夢のために活かすつもりはないか?」
目をキラキラさせながら問うと、その子供は感情の薄い瞳でおぼろげに見上げる。
「……食えるんなら、なんでもいいぜ。まえいた場所は、追い出されたからな」
まるで死人のように、抑揚のない声。
生きる目的はなく、さりとて死ぬ勇気もないその子供は。
しかしながら、生きようとする意思を、——生きる目的を、探しているようにも感じられた。
「……決まりだな。さっそくだが、君に名前をつけようと思う。そうだな……では、エーテル教の聖典に記されてある、邪を払う魔法の武器の素材にあやかって――」
シャイン伯爵家は、代々敬虔なエーテル教徒として、領地を治めている。
無論、この青年も同様であり、恐らく自らの子供も、エーテル教徒としての道を歩むであろう。
「――決めた。君の名前は、シルヴァだ。共にS級冒険者を目指して、邁進しようじゃないか」
シルヴァ。
そう名付けられた盗っ人の子供は、差し出された手のひらを、無表情のまま見つめていた。
「――おい新領主サマ。せっかくA級に上がったってのに、冒険者を辞めるって、どういうこった」
屋敷の窓から音もなく飛び入り、シルヴァは無表情のまま部屋の絨毯を踏みしめる。
この数年で、彼は大きく背を伸ばしており。
シルヴァを見上げる形で、部屋の主は重苦しく口を開いた。
「……すまないな、シルヴァ。先日、婚姻の話が纏まった。父ももう年だ。この頃の乱心は目に余る。決して良い領主ではなかったろうが、私にとっては大切な家族。家督を継いで、これ以上悪政者としての名を残さぬようにしなければ」
心労によるものか、年の割に老けてゆく恩人の顔を見て、シルヴァは感情の薄い瞳に影を落とす。
「……おれは、どうすればいい?」
「私の事は気にせず自由に生きてくれ。……と、言いたい所だが、お前は納得してくれるのだろうか……」
「今更、冒険者以外の生き方なんて知るかよ。あんたがこの道に引きずり込んだんだぜ。おれ一人残して抜けるつもりか? S級になるっつう目標からよ」
シルヴァの中では、あの日差し出された手を取った時から、生きる目的は決まっていた。
虚ろな彼にとって、かつて目の前の男が語った夢は、自分の生きる理由にもなっていた。
「……S級という夢を叶えられず、心苦しい。だが、いよいよ私も大人にならなければならぬ時が来てしまったようだ」
「……おれ達の冒険者活動は、子供の遊びだったって言いてぇのか? ……おれはまだやめねぇぞ。S級になるっつぅアンタの夢を、おれは呪いとして背負っていく。……それしか、からっぽのおれは生きる目的がないんだよ」
「シルヴァ……。――すまない。そんなつもりでは――いや、これでは言い訳になってしまうな。……せめて、領主としてお前の活動を全面的に支援しよう。私達はこれからもずっと仲間で、マブ達だ。酒場のツケくらい、いつでも払ってやるからな」
「んなもん自分で払うわバーカ」
シルヴァは人形のような貌を僅かに綻ばせ、開け放たれた窓から静かに飛び降りた。
「……シルヴァ。いつかお前に。本当の生きる目的が、見つかってくれればいいのだが――」
「……なんだ女。こっち見んじゃねぇよ」
宛もなく街をぶらついていると、路地裏から物乞いの女がこちらを見つめてくる。
新領主となって街の景気は回復しつつあったが、この手の輩がまだ残っていたとは……。
「…………」
「だから何のようだ、女」
シルヴァはその場で立ち止まると、ゆっくりと女の方へ振り返る。
薄汚れた外套から覗く、闇色の髪。
フードの影から妖しく光る、茜色の瞳。
年はシルヴァより少し上だろうか。
あちこちを旅した後なのか、ボロボロの素足で、シルヴァの元までペタペタと歩いてくると。
「うっふん」
女はその場で大きな胸を張り、なんだかせくすぃーなポーズでウインクを投げてきた。
「…………」
「あっ! ちょっとぉ! 無視しないでよぉ!」
シルヴァはただでさえ薄い表情を無にすると、そのままガン無視で通り過ぎた。
慌てて追いかけて来る、物乞いの女。
「お願いよおおおお! お姉さんここ数日なんにも食べてないのおおお!」
「おいやめろ、引っ付くな。うざ絡みすんなこのクソビッチが。……分かったよ、飯を食わせりゃいいんだろ」
ギャンギャン泣きながらしがみつく女に対し、シルヴァは無表情ながらもどこか嫌そうな目をしながら、街の酒場へと引きずっていった。
「……好きなだけ食えよ。ここの領主サマが後でいくらでも肩代わりしてくれっからな。……けっ」
――まさかこんな形で、アイツに頼る事になるなんて。
シルヴァは小さくため息をついた後、一心不乱に食事へがぶり付く女にジト目を送る。
「……で、お前は誰だ。なんであんなとこで物乞いなんかやってた?」
「ふぉむひょふぉふ」
「飲み込んでから喋れや」
……ごくん。
女は水を流し込んだ後、大きな胸をえっへんと張りながら。
「ユテ。それがお姉さんの名前よん」
そのまま茜色の瞳を細めて、うっふんと腰をくねらせた。
――チッ、こいつ超うぜぇな。
シルヴァはゴミを見るような無表情でユテを眺め、……このまま置いていってやろうと思い、席を立とうとした。
その瞬間――。
「――! ……おい、女。ユテとか言ったな。今から走れるか?」
「食べてるから無理」
「走れアホ! 何があったか知らんが、お前、何者かに狙われてんぞ!」
そのままユテの手を強引に掴み、無理矢理立たせて店を飛び出す。
「シルヴァさぁん! まだお代いただいてませんよぉ!?」
「領主のアホにツケとけ!」
背後から投げかけられる店員の声に叫び返し、ユテの手を引きながら大通りへ飛び出した!
「――3、4、5……チッ。数が多いな。しかも只物の気配じゃねぇ――人間に擬態した魔物だ」
そう言えば先日、魔物除けの結界に小さな異常が一瞬現れたという話があった。
まだ実用化されたばかりで粗も多いため、その場は一時的な不具合という事にされていたが――。
「肝心の魔物の侵入を防げねぇなんて、意味のない欠陥品じゃねぇか。信用ならねぇ結界だな――!」
走りながら気配を探ると、シルヴァはモタモタと走るユテに痺れを切らし、その場で勢いよく抱きかかえた。
「じっとしてろ! ここで戦うと市民を巻き込む。このまま人気のない場所へ逃げ込むぞ」
「きゃっ! 大胆……ぽっ」
「このまま放り捨ててやろうか」
【跳躍】のスキルで足先に魔力を走らせ、シルヴァは上空へ一息に飛び上がる。
一拍遅れて数人の追手が反応し、屋根伝いにシルヴァ達を追ってきた。
「――『軽光魔弾』!」
振り返り様に魔弾を数発放つが、どれも致命打にはなり得ない。
流石に無理矢理街へ侵入した魔物だけの事はあり――正直、かなり手強い。
1、2発食らった程度では倒せない相手が、何体も徒党を組んで追ってきている。
「――なんでこんなに街の中に魔物がいやがるんだ? ユテ。どう考えてもてめぇを狙ってるようだが……チッ、また数が増えやがった……! 敵の数なんざ数えても楽しかねぇぜ」
「――そうよね。どうせ数えるなら、楽しい方がいいものね」
「ああ?」
敵の攻撃を躱しながら路地裏に追い込まれた彼等を――擬態を解いた魔物たちが包囲する。
やがて、その中の数体が、おぞましい声で宣告した。
「冒険者の男よ。大人しくその女を差し出せば、貴様の命は助けてやろう」
「その女がどうなろうと、貴様には関係あるまい?」
「“呪いの血族”――その身柄、我らが貰い受ける」
「呪いの血族……だと?」
シルヴァがそう呟いた途端――彼の腕から、ユテが無言で降り立った。
そのまま何かを覚悟したように、魔物たちの方へ歩き出す。
「――おい。まさか本当に行くつもりか?」
「あら、心配してくれるの? お姉さん嬉しい。……でもね」
彼女はフードをぱさりと外し――闇色の髪を靡かせながら、冗談めかして笑いかける。
「……食べれるんなら、なんでもいいの。まえいた場所は、追い出されたから」
――そこでシルヴァは、初めて気がついた。
おちゃらけた口調でいる彼女の瞳は……少しも、楽しそうな色を浮かべていない事に。
その茜色が――夕暮れの静けさのように、寂しげな感情を……帯びている事に。
「ユテ。……てめぇは」
……きっと、これまでの間も。
彼女はずっと、表面上だけ、笑顔を張り付けて――、
「――なるほどな。おれと同じ、からっぽって訳か」
生きる目的はなく。さりとて死ぬ勇気もない。
ならば、生きようとする意思を、――生きる目的を、たとえ呪いでも、与えなければならない。
かつて自分が……そうだったように。
「……“呪いの血族”ってのは、そんなに人気があんのか? 随分と魔物たちに好かれんてんじゃねぇか」
「……?」
「魔物にやるくらいなら――おれが貰ってやる。……おれと来いよ、ユテ」
「え!?」
なにやらユテが頬を赤らめるが、たぶん、シルヴァはそんなつもりでは言ってない。
「ほう……? 我々と戦う? たった一人で?」
「人間とは愚かだな。ついさっき会ったばかりの女の為に、よもや死ぬつもりだとは」
臨戦態勢をとる魔物たちを前に、シルヴァは無言で“魔銃”を構える。
もちろん、死ぬつもりは――毛頭ない。
「ちょ……ちょっと待ってよ! なにもわたしのためにそこまで――」
「口調、崩れてんぞ」
シルヴァは魔銃に魔力を装填し、銃口の先に6つの模様を備えた魔法陣が出現する。
「どうせ数えるなら、楽しい方が良いんだろ? だったら数えておけよ。今からおれが刻む、6つのカウント――」
――勝利への、カウントダウンを。
「さあ、今から手品を始めます。楽しい事を6つ数えると……あら不思議」
冗談めかしてそう告げるシルヴァを……ユテは、息を呑んで見つめていた――。
「――ぜんぜん6つで終わらなかったじゃない!?」
大量に積み上がった魔物たちの死骸を前にして、ユテは素っ頓狂な声をあげる。
「うるせぇな。勝ったからいいだろうが」
シルヴァは最後に残った魔物を素手で締め上げながら、地に倒れ伏したそいつを、乱雑に積み上げた。
「……しっかし、正直やばかったな。ユテ。てめぇが“呪いの血族”とやらの力で援護してくれなきゃ、コイツらは倒せなかった。大口叩いた割に情けねぇ。……ありがとよ」
「それは……でも……」
ユテは再びフードを被り直し、茜色の瞳に影を落としながら、シルヴァに問う。
「……どうして、助けてくれたの?」
「てめぇが、おれと同じだと思ったからだ」
「同じ?」
「からっぽで……生きる理由が欲しいって事だ」
そのまま茜色に染まる空を、なんとはなしに見上げる。
「おれはガキの頃、とある暗殺ギルドで生まれ育った。しかしギルドのカリキュラムである『心を殺す』過程に耐えられず――使えねぇガキとして廃棄された。あとに残ったのは、中途半端に心の死んだ、無表情の死にかけのガキって訳だ。
だが死ぬ勇気の無かったおれは、そのまま死にきれず。盗みを繰り返しながら、生きてんだか死んでんだかよく分からねぇ日々を過ごし――あのアホに、拾われた」
「あのアホ?」
「おれに……夢を与えたアホだ」
シルヴァの脳裏に、マブダチとの冒険の日々が思い起こされる。
「――そいつは夢からは脱落しちまったが、きっといつか、別の幸せを見つけるんだろう。世界中の迷宮の財宝を手にしたいとか言っていたが、案外、たった一つのかけがえのない宝でも手に入れりゃあ、それだけで満足するんじゃねぇか?」
そう言うと、今度はユテの方へと向き直り――。
「ユテ……てめぇは、夢を見たいか?」
真っ直ぐな瞳で、虚ろな目をして笑っていた彼女を見据える。
「おれはあのアホから与えられた、S級冒険者になるという夢を追っている。そして、世界中の迷宮の財宝――と言うより、人生の全てを賭けてでも手に入れたいと思うような――価値のある“宝”を、おれは見つけたい。
ユテ、てめぇはなんかねぇのか?」
「……夢。……わたし、夢なんて……考えた事もなかったな……」
ポツリと漏らした彼女は、自分の表情を隠すように、フードを目深に被り直す。
「……ううん。ちがう。忘れていただけで、小さい頃は……お父さんと暮らしていた幸せな頃は……、わたしにも夢はあった」
「へぇ、どんなのだ?」
「かっこいい男の子6人くらいにクソデカ感情を向けられて取り合いされながら、勝ち残った一人の腕の中で死にたい夢」
「お、おう……」
何かとんでもない性癖を暴露された気がするが、……まあ、夢があるのは良いことだろう。
「……でもね。夢って、形を変えるものだと思うの。小さい頃はたくさんあればいいって考えてたけど、かっこいい男の子が6人もいなくたって……最高にかっこいい1人がいれば、その人が6人分のクソデカ感情を向けてくれる。そしたら、取り合いが起きないから死ななくてもいいじゃない?」
「よく分からねぇが……」
フードの中で笑みを浮かべるユテに対し、シルヴァはわずかに目を細める。
「……じゃあその、6人分のかっこい男ってのを見つけるのが、てめぇの夢になるのか?」
「うーん。ちょっと違うかなぁ」
彼女はフードを持ち上げ、意味深に笑いながら、つつい、と詰め寄って――、
「……そう言えば、まだあなたの名前を聞いてなかったわぁ」
初めて会った時のように、おちゃらけた様子でせくすぃーなポーズを決めた。
「……シルヴァだ。――チッ、やっぱこいつ超うぜぇな」
「えぇー!? なんでよう! お姉さん超ショック!」
口ではそう言いつつも……。
シルヴァの中には、どこか『楽しい』という思いが、芽生え始めていた。
「――ここなら安全だろう。領主のアホに用意させた」
……あの後、魔物の後始末を街の衛兵に任せたシルヴァは、ユテを連れて領主のアホを訪ねた。
事情を話して彼女を匿ってもらう事になり、シャイン伯爵家が管理している、魔物の手の届かぬ秘境に、彼女の暮らす隠れ家が設けられた。
「……本当にいいの? わたし、迷惑なんじゃ……」
「んな事一々気にすんじゃねぇよ。これもあのアホの仕事のうちだ。行く先々で狙われる位なら、安全な場所で隠れ住んどけ」
言いながらシルヴァは、泉で汲んできた水を樽の中へ移す。
外には作物を育てられる畑もあり、自給自足の生活ができるだろう。
「――にしても“呪いの血族”……か。領主のアホは腰抜かしてたぜ。まさか『呪剣アダマス』で男神を殺した剣士の――末裔がいたとはな」
同じく汲んできた水を軽そうに運ぶユテを、シルヴァは横目で眺める。
シルヴァはエーテル教に詳しくないが、『呪剣アダマス』の名は聞いたことがある。
なんでも女神様が統治される前の主神――男の神を滅した呪剣だとか。
元は聖剣であったようだが、神の血を浴びた事で、強い呪いを帯びてしまった。
具体的には旧王国の時代にその剣を使用していたとされる“ブランカ・リリィベル”という女騎士が有名なので、そこから知ったという程度の知識だが――。
「……確かに聖剣が反転するほどの返り血を、使用者本人も浴びたって不思議じゃねぇよな。それほど強力な呪いなら、子孫にも影響が出て当然か」
「ねぇシルヴァちゃん知ってる? あれね、おつぃんつぃんを斬り落とした時の血らしいのよぉ」
「言わんでいいクソビッチが」
とにかく、これでユテの身の安全はひとまず確保された。
父と二人で暮らしていた頃は、羊の飼育や畑仕事を手伝って生計を立てていたと言っており、生活能力に関しても問題ないだろう。
「おれにも冒険者としての仕事があるから、これで失礼するぜ。……ま。たまには様子を見に来てやるよ」
「うん……本当にいろいろありがとう。――ねえ、シルヴァちゃん。次はいつ……会いに来てくれる……?」
「気が向いた時だ」
そう言いつつも、シルヴァは翌日の早朝に顔を出すことになる。
「――やあやあシルヴァちゃん! よく来たわねぇ! 美味しい×6の焼きたてのパンはいかが?」
「6回も言わんでいいだろうが。……まあ、もらうけど」
ある時はよく晴れた朝。
「――やあやあシルヴァちゃん! よく来たわねぇ! 美味しい×6美味しい×6、焼きたてのパンはいかが?」
「しつけぇな。前より増えてんじゃねぇか」
ある時は照りつける日差しの昼。
「おかえりシルヴァちゃん! よく来たわねぇ! 美味しい×6美味しい×6美味しい×6、焼きたてのパンはいかが?」
「……おい。俺が戻ってくる度に増えるのか、それ」
「だって数えるなら、楽しい方がいいじゃない」
「もっと別のもんがあんだろうが!!」
ある時は色鮮やかな景色の夕方。
「――来年、S級冒険者の認定試験を受けるつもりだ。合格すりゃあ、俺は晴れてS級冒険者。……今以上にあちこちを飛び回らなきゃならねぇ。忙しくて、てめぇのアホ面を見に来ずによくなるぜ」
「へー。がんばってね」
「軽くねぇか!?」
ある時は雪が降りしきる夜。
――シルヴァは、冒険から帰る度にユテを尋ね、いつしか彼女のいる場所が、シルヴァの帰る場所となっていた。
「だって……なんだかんだ理由つけて、また会いに来てくれるんでしょ? お姉さん、シルヴァちゃんと話すのがほんっとうに楽しくて――」
茜色の瞳を感慨深そうに細め、ユテはシルヴァをじっと見つめる。
暖炉の火が、パチパチと音をたてて、見つめ合うふたりに奇妙な沈黙を生み出していた。
「…………ねえ、シルヴァちゃん」
ユテは静かな口調で俯き、……何か、意を決したようにシルヴァへ話しかける。
「…………シルヴァちゃんが大手を振って会いに来る理由、作ってもいい?」
「……既に会いに来てんだろ。なんだかんだ理由付けてよ」
「そっか。じゃあ、理由なんて関係なく――」
「ああ。生きる目的も――もう、探す必要はねぇ……」
生きる目的のなかったふたりはもうどこにもおらず。
互いに身を寄せ合い、生きていく――。
「おー。こいつも大きくなったな」
「んもう! 駄目よシルヴァちゃん。自分のかわいい娘を“こいつ”呼びだなんて。
ねー?」
「ねー」
いつものように仕事から戻るシルヴァを、ユテともう一人、小さな女の子が出迎えてくれる。
「……お前らはホントに、よく笑うよな。おれはあんまり笑うようなタイプじゃねぇから……子供がお前に似てよかったぜ、ユテ」
「んー……でも、時々ズバッと辛辣な事を言ってわたしを泣かせてくるのはシルヴァちゃんそっくりなのよねぇ。性格はお父さん似かしらぁ」
「だってママ、たまに『チッ、こいつ超うぜぇな』ってなります」
「えぇーっ!? おかあさん超ショック……」
「ははは! 良いこと言うじゃねぇかこいつめ」
そのまま娘の頭を不器用になでる。
くしゃくしゃとかきなでられた彼女は、くすぐったそうに笑った。
「そういや以前、依頼で立ち寄った街での護衛中、『喜劇の勇者』っつー、大衆向けの演目を見たんだけどよ」
「あ。わたしもそれ知ってる。おじいちゃんがよく語り聞かせてくれたの。この子にも教えてあげましょう。えっとねぇ……」
魔王とは、恐怖である。
魔王とは、絶望である。
魔王とは、人類を脅かす絶対の災厄に与えられる称号であり、
“人を滅ぼす魔法”の擬人化である。
こんなものに対抗するには……、
……それこそ、喜劇の世界の住人のような、ふざけた存在でもない限り不可能だ。
我々はただ、滅びを待つしかないのである。
――それじゃあ、喜劇の世界から勇者を呼び寄せちゃいましょう。
女神様がそんな事を言い出して――、このお話は、いまからぐっちゃぐちゃになるのです。
「……おっと、そういや今日はプレゼントを持って来たんだった。この間、S級冒険者としての派遣先で買ってきたもんでよ」
シルヴァは懐からペンダントを取り出すと、ユテと子供がよく見えるよう、テーブルの上へ置いた。
有名な細工師が手掛けた物らしく、娘は緋色の瞳をキラキラと輝かせる。
「わぁ……すごいです」
「ね! すごく綺麗。こうなると、これに入れる立派な絵が欲しいわねぇ。できれば一家団欒の笑顔のやつで!」
「領主のアホに頼んで、画家を呼ばせるか? 『呪いの血族』云々は隠しておけば、ちょっとくらい大丈夫だろう。ここじゃ駄目なら、いったんアイツの屋敷にお邪魔して――どうした? ユテ」
「いやぁ、なんだか幸せだなあって」
ユテはにへら~とだらしない笑みを浮かべると、シルヴァと娘を抱き寄せ、戸惑う彼らに頬をすり寄せる。
「明日も明後日もその先も。ずっとずっと、笑顔でありますように――」
暖炉で燃ゆる薪が、パキン――と、崩れ落ちた。
□■□
「――ユテ……?」
これは“おれ”が、……笑顔を亡くした物語。
――最初に感じたのは、命の脈動が途絶える静寂。
“あの子”を力いっぱい抱きしめたその女性は、安らかな笑みをたたえたまま、静かに、眠るように事切れていた。
――次に聴こえたのは、何かが灼けて崩れ落ちる脆音。
成人女性と未成熟な子供。そして……たまに訪れる不器用な父親。
たった小さな、慎ましやかに暮らしていたと思われる母屋は、思い出ごと焼却するかのようにがらがらと無情に崩れ去る。
――最後に目に映ったのは、虚空の瞳で空を見上げる、一人の少女。
「――スカーレット! しっかりしろ! 襲撃者は追い払えた! いったいお前達に何があった!?」
ユテとの間に生まれた子の名を叫び、シルヴァは激しく慟哭する。
――燃え上がる空の色。
それと同じ色をした瞳の少女は――感情の失った貌で、おぼろげにシルヴァを視界に入れて――。
「――おじさん、……だれ?」
「――ッ」
スカーレットは……娘は、記憶を失っていた。
理由は――明白だ。
この惨状は襲撃者によるものではなく、スカーレットの暴走した“呪いの血族”の力によって、引き起こされたものだった。
理性を失い、膨大な魔力によって災厄を引き起こす彼女を――ユテが、身を挺して止めてくれた。
その命を代償として。
自身の暴走。それを止めてこと切れる母親を見て、スカーレットは自分が母親を殺してしまったという現実に直面し――。
「この人……わたしの、おかあさん、なの……?」
……その事実に幼い心が耐えきれず、彼女の防衛本能が自らの記憶に蓋をしたのだ。
「わからない――わたし……すかーれっと、って言うの?」
かつての自分のように、虚ろな貌で空を見上げる娘に、シルヴァは何を言えば良いか分からなくなって……。
「おじさんが……ころしたの……?」
……自分の無力さが招いた事態に、否定する言葉も浮かばなかった。
「お……おれ…………おじさんはね、通りすがりの冒険者さ……」
……何かの拍子に、ユテを殺した記憶を思い出さないように。
自分が父親だという言葉はぐっと飲み込んだ。
――都合よく、ユテの落としたペンダントの絵画は、シルヴァの描かれた箇所だけ、焼け落ちている。
「――お母さんを助けられなくてごめんね。“おれ”の事なんか忘れて、幸せになりなよ……」
精神の疲弊により気を失うスカーレットを抱きかかえながら。
シルヴァは、静かに緋色に燃ゆる空を見上げて――涙を、流した。
□■□
「――ふふ。ふふはははは!! 滑稽です! 実に滑稽ですよ! シルヴァさん!! くだらない低俗な茶番劇も、ここまでくれば大した演目です!」
「はぁ……はぁ……てめぇ、何をした……」
豹変したエリク教祭父――“灰塵”のファントムを前にして。
シルヴァは傷口を抑えながら、フラフラと立ち上がる。
「おやおや。うさん臭い中年冒険者という、あなたの被っていた仮面が剥がれておりますよ? 無意識に誰かの性格を真似ていたように思えますが、実に粗雑で、品のない人形のような男。それがあなたの本性のようですね」
「誰が何と言おうとおれは――おれの“宝”を、守るだけだ……!」
地面に赤色の染みを作りながら魔銃を構えるシルヴァを、ファントムは仮面の奥で笑みを浮かべながら嘲笑する。
「いいでしょう。来なさい、シルヴァさん。あなたの指が引き金を引くのが速いか。……私の鉤爪が、“あなたの娘”を引き裂くのが速いか」
「…………っ」
ファントムは虚ろな眼をしたユノリアを抱き込み、そのか細い首筋に、自身の鋭利な鉤爪を這わせている。
それを見たシルヴァは、奥歯を割れんばかりに噛み締める事しかできない。
「ふふふ。おかしいですねぇ。わたしの目にはなぁーんにも映らないのですが、シルヴァさんには何かが見えているようですよ? 本当に不思議な事もあったものです」
「ふざ……けるな……! おれの娘を……スカーレットを……盾にしやがって……!!」
「スカーレット……ああ。そうでしたね。そういう名前でした。シスター・ユノリア……あなたの娘さんの本名。ふふ、いやなに、本当になんでこんな場所にいるんでしょうねぇ、スカーレットさんは」
まるでこの場にシルヴァの娘がいる事が不自然であるかのように、ファントムは可笑しそうに笑ってみせる。
シルヴァは震える手で魔銃を握りしめ――。
「…………ぐっ」
……やがて、力なく武器を下ろした。
「おや。辞めてしまわれるのですか? 困りましたねぇ。これでは私は人質をとって勝ち誇るだけの小物に見えてしまうではありませんか。
娘の命を諦め、涙をのんで戦うあなたを圧倒的な力の差でねじ伏せてこそ、私好みのよい悲劇を演出できましたのに――」
ファントムは嘆息すると、鉤爪を這わせて、錫杖を握るユノリアの腕をゆっくりと上げさせる。
「……まあ、このような演出でもよいでしょう。ではシスター・ユノリア、おやりなさい? 聖光砲撃・攻撃魔法です」
「ガフッ……」
シルヴァの腹部を魔の砲撃が撃ち抜き、大量の鮮血を吐き出した。
「どれ。どのような死に顔をなされるか、すこし拝見いたしましょうか」
……そのまま頭から地に倒れ込む彼を、ファントムはユノリアを置いて覗き込みに行き――、
「――『銀光魔弾』!」
その仮面に包まれた顔面を、倒れたままのシルヴァが、血まみれの魔銃で撃ち抜いた!
頭部が灰と化して塵となるファントムは、そのまま微動だにせず……。
――数秒後、何事もなかったかのように再生した。
「はぁ……はぁ……くそっ……」
「――あぁ。いいですねぇ、その表情。せっかく力尽きたフリをしてまで油断した私の頭部を撃ち抜いたのに、この通り、あなたの攻撃では傷一つ残りませんでした」
仮面の奥で瞳を歪め、ファントムはシルヴァの腹部を蹴り上げる。
「……ッ!!」
「おやまぁ。悲鳴をあげないのはご立派です。それとも、痛そうにしておられるのは演技で、またまた私の油断を誘ってます?
――まあ、どちらにせよ私には支障ありませんが」
全身から血液が失われてゆく中、かすむ思考で、シルヴァは必死に反撃の糸口を探る。
――超越級悪魔。“灰塵”のファントム。
確かに目の前の悪魔はそう名乗った。
一連の悪魔憑き事件を主導していたのは、悪魔を召喚した人間の狂信者であると考えられていた。
狂信者さえ倒せば、悪魔は見切りをつけて、その地からは一旦、手を引く。
これまではそうだった。
だが教会の内部に、悪魔そのものが人間のフリをして潜伏していた等と――。
「……ありえない……っ」
自身の娘――ユノリア=スカーレットを人質に取られている。
その虚ろな瞳は、悪魔憑きによって操られていると見て間違いない。
……だが問題は、いつ手中に収めていたかだ。
少なくとも彼女は、悪魔憑き特有の特徴は見られなかった。
父親としてずっと影ながら見守ってきたシルヴァにとって、それは断言できる。
ならば今日、彼女と別れている間に何かがあったはずだ。
しかし何時?
――エリク教祭父……ファントムに呼びだされた段階で、ユノリアはまだクロエ達と共にいた。
その後に彼等と別れたとしても、シルヴァがファントムの元へ行くまでのごくわずかな時間で、シスターである彼女に悪魔を憑かせる事など不可能に近い。
――いや。何より自分とユノリアの関係を知る者は限られている。
いくらファントムが教祭父として彼女の傍に居ようと、ユノリア自身が知らない情報をファントムが知る道理など――、
「……これでも私は超越級悪魔です。人の心の機敏……ああいえ、率直に申し上げましょう。……あなた方のような安っぽい――親子の愛? などという茶番は見飽きておりまして――」
そのままニタリと目元を細め、城郭都市のある方向へ視線を向ける。
「ユノリアさん……勘付いておられましたよ? シルヴァさんは私財をなげうって教会の孤児たちを支援しておられたようですが、……なぁぜか、ユノリアさんが教会に引き取られてからずぅっと続けておりましたからねぇ」
そのまま小さく笑いながら、再度、横たわるシルヴァを蹴り上げた。
「ぐ……あ……」
「かつてはS級であったあなたも、今ではこのありさま。年による衰えか。それとも自信を喪失した事による精神的な弱体化か。……いずれにせよ、この状況では関係ありませんがね。
――脆い、実に脆いですね。人間……それも、子を持つ親というものは。そんなものがあるから、私に傷一つ付ける事無く敗けるのです」
冷淡な瞳で見下ろすと、ファントムは場の空気を変えるように、大仰に両手を広げて見せる。
「さあ、気を取り直していまから面白いゲームを始めましょう。我々の手勢は、既にあの街の大半を掌握し、潜んでいる。……この意味が分かりますか?」
「悪魔憑き……ッ!!」
そのまま規則正しい歩様で二〜三下がると、まるで舞台上で挨拶をする演者のように、大仰に礼をしてみせた。
「今宵、悲劇の幕が上がります。大丈夫。すぐに殺したりはしません。1人ずつ捕らえ、悪魔憑きとなった大切な者に、順番に街の広場で殺させる。かつて我々の先代が行ったという、“スタールの悲劇”のように!!」
始まりの街スタール。
その悲劇の物語は、この国で知らぬ者はいない。
魔王軍の襲撃を受け、街の防衛隊長であった女騎士ブランカ・リリィベルを筆頭に抵抗をするも、人々は占拠された街中で一人ずつ無残に処刑された。
長きにわたる籠城の末に、王国からの救援はなく。見捨てられた彼等は世を呪い、不死者の肉塊となって街を徘徊している。
世間ではそう伝えられているだろう。
――あの勇名を馳せた最強の女騎士……ブランカ・リリィベルをも、悪魔憑きで操った身近な者に毒を仕込ませ、最後は戦わずして捕らえて処刑した……!
「『力だけで人の心は救えない』とは、よく言ったものです。ブランカ・リリィベル個人が強くとも、永遠に続く籠城の中、人の心は確実に弱みへと蝕まれてゆく。
嗚呼、哀れなりスタールの者達! 王女殿下に人の心がないばかりに、彼等は国から見捨てられたのです!」
「……それもてめぇらが仕組んだ事だろうが……! 人を……命を……! 弄んで……!!」
「……はて。我々にも命はあります。人間だけが特別ではありません。ただ文化が、価値観が、違うだけですので。
……まあいいでしょう。ではシルヴァさん。そろそろ――死になさい」
「ガッ――」
かろうじて起き上がろうとするシルヴァの腹部を――ファントムの腕が貫通し。
シルヴァは致命の一撃をその身に浴びた。
「これにてあなたの生涯は閉幕ですかね、シルヴァさん。祝いに血の華を咲かせてあげました。あなたの娘――スカーレットさんには、ぜひとも今宵の悲劇のヒロインとなってもらいます。
――呪いの血族。その力、存分に高めて、我々魔王軍が、確かにいただきましょう」
壊れた人形のように動けなくなる彼を、ファントムは愉快に踏みにじる。
やがて、何かを思い出すかのように、不意に嘆息した。
「……残念ですよ。シルヴァさん。あなたは我々が用意した悲劇のシナリオ……娘の手によって実の父親を殺させるという、最高の演出になくてはならぬ存在でしたのに」
……?
この場にスカーレットがいる筈なのに、なぜ――。
――考えを巡らせようとも、シルヴァの弱まりつつある命の鼓動が、思考を奪う。
「代わりに……そうですね。教会で預かっている子供達でも殺させましょうか。いやはや、何人目で心が壊れるか予想でもして楽しみましょう」
そう言って、ファントムの足元に黒い魔法陣が蠢き、その場から姿を消した。
「スカ……レッ……ト……」
残されたシルヴァは、消え入りそうな声で、娘の名を呟く。
……血が、止まらない。
呼吸が、くるしい。
身体は思うように動かず――ただ、地に沁み広がってゆく己の命の残量を眺めることしかできず。
――否。それすらも、かすむ視界ではままならない。
「ユ……テ……おれ……は……」
闇に染まりゆく思考の中……気づけば、愛する人の声が聞こえてくる。
『――シルヴァちゃん。どうせ数えるなら、楽しい方がいいじゃない?』
生きる目的はなく。さりとて死ぬ勇気もなかったかつての子供。
そんな彼は大きな出会いを経て、人生の全てを賭けてでも手に入れたいと思うような――価値のある“宝”をいつの間にか見つけて――、
『――見てみて! シルヴァちゃんの真似! さあ、今から手品を始めます。楽しい事を6つ数えると、あら不思議!』
……すべてを理不尽に奪われても尚、不思議と心は安らかだった。
「――、――」
――だってよ、ユテ。
いまから、むっつかぞえると、ほんとうに、きせきが、おきそうな……。
「――」
微かに笑みを浮かべたと同時に。
……伸ばした手のひらが――静かに、地面へとしなだれた。
…………冷たい風が、制止した人体をそっと撫で上げる。
――血だまりの中。
とある父親の生涯に、こうして幕が下ろされた。
――ねぇ。まだ、数え終わってないわよ。
――はやく起きなきゃ、シルヴァちゃん!
――すぐそこに、“喜劇”の主役がいるんだから!
「……おい! どうしたんだよシルヴァのおっちゃん! いったいここで何があった!!」
――制止したはずの指先が、弱弱しくも、小さく鼓動を刻んだ。
沈殿し、消失したはずの意識が、まるで海底より引上げられるかのように浮上する。
「――ま、魔物使い……?」
……ユテの幻聴と共に。
シルヴァの瞳に、失ったはずの光が呼び戻される。
血の息を吸いながらも、彼は復活した視界で声の主の姿を捉えていた。
「しっかりしろ、シルヴァ殿。……まさかクロエくんのドジが、重症人の発見に繋がるとはな――」
「ブランさん。おっちゃんの後でいいから俺の事も助けてくれ」
――なぜか目の前の少年は、頭から地面に突き刺さっていた。
帯同している女騎士は、それを片手間で雑に救出しながら、重症を負うシルヴァへ適切な処置をこなしてゆく。
――クロエ・ユキテル。
突然この街へやって来ていた、なんかその……こう……変な、魔物使い。
そんな少年のこの痴態は、本当に、喜劇の世界から飛び出してきたような……。
――先程聞こえた幻聴を真に受けるとするならば。下ろされた幕を引きちぎり、喜劇の主役がやって来たとでも言うのだろうか。
「…………ユテ。本当に……奇跡が起きるって言うのか……?」
その呟きに、答えてくれる声はない。
『――ね、シルヴァちゃん。明日も明後日もその先も。わたしの分まで、笑顔でいてね』
……代わりにそんなユテの幻聴が聞こえて――。
シルヴァは、力強く緋色に輝く空を見上げて――涙を、流した。
――さあ、席についてお楽しみを。
『喜劇の勇者』に習うなら……このお話は、いまからぐっちゃぐちゃになるのです。




