第三話 腐食の夜
「そこにある杖を、とって貰えるかしら」
寝室へと移動する際、マルグリットは食堂の脇を指し、そう言った。
「はい、こちらでしょうか」
「ありがとう。アナ姉様」
杖を受け取ったマルグリットは、それを左の脇の下に挟み、残った右足と共に歩き出した。
「マルーは、まだ歩けたのですね」
「実は、ね。さっきまでは貴女に甘えたくて、隠していたの。アナ姉様には色々として貰うこともあるから、短い距離ならこうやって、自分で進むわ」
「マルーは強いのですね。いつでも甘えてください。そのお姿では何も持てないでしょうし、必要なものは全て私が持ちます」
アナスタシアの見立て通りであった。
マルグリットが杖で進む時、健在な左腕は杖に添えられるため、手首までしかない右腕では、何も持てなかった。
「ええ、ありがとう。もう少し考えて順番を決めれば良かったと、少し後悔しているの。でも、アナ姉様に甘える理由になって丁度いいかもしれないわね?」
つるんとした右手首を口元に添え、マルグリットはくすくす笑った。
「順番、ですか。そういえば、手首も、膝も、お綺麗ですね。あの甘い香りは、魔瘴気でマルーが削られていく匂いだと思っていました」
「アナ姉様は勘が良いのね。詳しくはこの後、寝室で。案内するわ」
「はい。わかりました」
アナスタシアはマルグリットの指示に従い、水差しを持ち、後をついていった。
「さて、と。アナ、水差しはベッドの脇に。コップもあるから。私が水を飲みたいと言ったら渡してね」
マルグリットはベッドへと腰掛けながら、アナスタシアへと指示を出した。呼び方は、アナ姉様からアナへと変わっており、本日の姉妹ごっこはおしまいのようだった。
「はい、わかりました。夜にお水を飲まれるのですね。妹達には、あまり寝る前に水を飲み過ぎてはいけませんよと、教えていましたが」
失礼だっただろうかと、アナスタシアは発言を後悔したが、マルグリットは全く気にしていないようだった。
「そうね。恥ずかしい思いをするかもしれないから、きっと本当はその方がいいのだけれど、夜は喉が渇くの。ねぇアナ、隣に座って」
「はい、マルー」
アナスタシアは、マルグリットの隣に腰かけた。ベッドは柔らかく、小屋の固い寝台とは大違いであった。
「少し長い話になるのだけれど、我ら王家の血は、魔瘴気を吸う時、それを溜める場所を選ぶことが出来るの」
「それがマルーの言っていた、順番、ということでしょうか」
「ええ。そう。最初はまず耳にしたの。怖かったから。けれど、歴代の手記には、目と耳、それに口は後にした方が良いと書かれていて、右手を選んだの。足があれば歩き回れるし、利き手の左腕があればしばらくは持つって思って」
アナスタシアには何も言えなかった。相槌を打ちながら、ただ聞くことしかできなかった。
「魔瘴気を集める部位が、身体の中央に近づくと、どんどん痛みが増していくの。それで私、耐えきれなくなっちゃって、左足に変えたの。今思えば、どうせいつか痛い思いをするのはわかり切っていたのだから、右手、左足って、全部ちゃんと使い切っていけば良かったのに。馬鹿なことしちゃった」
「マルー。人が痛みを避けるのは当然のことです。耐えきれない痛みではなく、耐えられる痛みを選んだのですね。これからはわたくしも一緒です。共に腐りましょう」
アナスタシアはマルグリットを強く抱きしめ、そう言った。どの道を選んでも地獄と絶望が待っている。迷いや葛藤があるのは当然だと思った。
「ありがとうアナ。それで、次はアナがどうなっていくか、説明するわね」
「はい。お願いします」
「魔瘴気を吸った私の身体からは、魔瘴気とはまた違った毒が出ているようなの。歴代の聖女の手記からすると、広範囲に渡るみたい」
アナスタシアは、ごくりとのどを鳴らした。
マルグリットは話を続ける。
「これを浴びると、私と同じように、夜に身体が腐るの。だから、被害を最小限に抑えるために、付き人は原則一人。別に二人でもいいと思うんだけど、他にも理屈があるみたいで、軍部の聖女管理局の規定ではそういう話になっているみたい」
「マルーと、同じように、夜に身体が腐る……」
アナスタシアは、それがどういうことなのかわからなかった。
「詰め込んで話過ぎたわね。もう少しだけ頑張って。魔瘴気は夜に暴れるの。だから、夜に爛れ、腐り、溶けていく。王族はさっきも言った通り、失う場所を選べるけれど、私の身体から発する甘い香りの毒は、どんな風にアナを溶かしていくかはわからない。けれど、前任者のモニカは、私が当代の聖女としてここに来た時には、先代聖女の毒で髪の毛と爪が無くなっていて、片目と片耳が聞こえなくなっていた」
アナスタシアは、マルグリットの話を聞きながら自分に置き換えて考えてみた。いずれ何も感じられなくなる、ということなのだろうか。
「それから半年で、モニカに残った目と耳も大分弱ってしまったところに、アナが交代として来てくれた。モニカはここを出て、私の毒を間接的に散らさぬよう、すぐに火葬され、埋葬されたはずよ」
アナスタシアは息を飲んだ。
「……! それは、生きたまま、ということでしょうか」
「殺してから焼いたのか、生きたまま焼いたのかは、私は知らない。モニカは3年でそうなった。アナも、3年ぐらいが限界かもしれないわね」
「3年、ですか。3年もマルーの傍にいられるのであれば、それはとても幸せなことです。わたくしは、それを受け入れます」
「ありがとう、アナ。私、アナが来てくれて良かったと心から思っているわ」
「ええ、マルー。わたくしも、ここに来て、貴女を支えられることを光栄に思います」
「大げさね。じゃあ、そろそろ寝ましょう。私の右腕に包帯を巻いてくれるかしら。夜は腐って溶けていくから。むしろもう、腐り始めている」
アナスタシアはそう言われて、マルグリットの発する甘い香りに、腐敗臭が混じっていることに気が付いた。
「わかりました。そこの棚のですね。お手当いたします」
包帯を取りに行き、戻ってマルグリットの右腕を見ると、つるんとしていたはずの箇所が全体的に赤く、特に先端部分は黒ずみ、嫌な色の体液が漏出していた。
恐らく体液を拭き取る意味はないだろうし、触れば痛いだろうと思い、丁寧に包帯を巻いていった。
アナスタシアの予想通り、マルグリットは痛みを感じていたようだったが、それを我慢しているようだった。
「マルー、痛かったら痛いって言ってください。できるだけ、痛くしないように善処しますから」
「アナ、大丈夫よ、このくらい。夜が深まるともっと痛いから。十分丁寧に巻いて貰っているから、気にしないで」
「わかりました。これを、毎晩、なのですね」
「あと朝もね。詳しくは明日話すけれど、包帯をはがすのも一苦労なの。でも、剥がさなきゃいけない」
「そうなのですね。では、それは明日聞かせて頂くとして、今夜はもうおやすみになられますか?」
「そうね。そうしましょう。アナ、一緒に寝てくれる?」
「はい。御心のままに……」
長い話が一段落し、二人はベッドにもぐりこんだ。
マルグリットはアナスタシアに抱き着きながら、しばらく色々なところに触れていたが、そう時間をかけずに寝息を立て始めた。
しかし、寝息はすぐに苦悶の声に変っていった。
アナスタシアは元から寝る気が無く、マルグリットを観察するつもりであったので、慎重にその様子を見守った。
マルグリットは酷く辛そうであったが、起きる気配は無さそうで、また、水を求める気配もなさそうだった。
寝不足で使い物にならなくなるわけにもいかないため、アナスタシアも寝ることにした。
わたくしも、先代の付き人のモニカ様のように、溶けていくのでしょうか。どこから溶けていくのでしょうか。それは痛いのでしょうか。苦しいのでしょうか。
答えのでない自問自答を抱えながら、アナスタシアは浅く眠った。いつ、マルグリットが水を求めても良いように。
初日の夜は、アナスタシアは心の痛み以外、特に痛みは感じなかった。それとも、この心の痛みが、マルグリットが発する毒なのかもしれないと思った。




