第四話 祝福の陽光
アナスタシアはいつものとおり、日の出とともに起きた。
浅い眠りであったが、寝台のおかげか、不思議と疲れは取れていた。
マルグリットは一晩中苦しげに呻いていて、それはまだ続いていた。
じいと、様子を窺うと、不意にマルグリットが言葉を発した。その声は昨日と違い、酷く枯れていた。
「み、水を、モニカ……」
呼ばれた名前は先代の付き人の名であったが、アナスタシアはすぐさま水を注ぎ、マルグリットを起こしてそれを飲ませた。
「マルグリット様、ご安心ください。お傍に居ります」
「ええ、ありがとう――。ああ、ごめんなさい、アナ。私、モニカって呼んじゃったわね」
水を飲みほした後、マルグリットはまた布団に倒れこみ、左手でアナスタシアを引き寄せた。
アナスタシアは抵抗することなくマルグリットの横に寝そべり、その横顔を眺めた。
「大丈夫ですよマルー。わたくしが来てまだ一日。先日までお傍にいたのは、モニカ様だったのですから」
アナスタシアはそこで言葉を止めた。本当はマルグリットがアナスタシアに対して努めて優しく接し、距離を詰めてくれたことを感じ取っていたし、それに感謝していたが、わざわざ口にするまでもないと思ったからだ。
「でも、今一緒にいるのはアナだわ。気を付けるわね」
マルグリットもアナスタシアの方を向きなおし、抱き着いていった。
「マルーの御身が第一です。御心のままに」
アナスタシアは小さく抱き着くマルグリットを受け止め、とても大切そうに抱きしめ返しながら応えた。
「ありがとう、アナ。もう朝日が出ているわね。起きようかしら。」
差し込む陽光に気付き、マルグリットは言い、続ける。
「陽の光は、魔瘴気でできた傷を打ち消してくれるの。だから、日中は外に出て過ごしたいの」
「そうなのですね。では早速にでも」
「ええ。でも、まずは右手――はもう無いか。右腕の包帯をはがして貰えるかしら。臭くて汚くて、申し訳ないけれど――」
マルグリットの甘い毒の体臭に紛れていたが、意識すればその異臭は明確だった。
マルグリットが掲げた右腕は、赤黒く固まり、全体は漏出液で黄ばみ、腐臭を放っていた。
「マルー。それは貴女が聖女として国のために文字通り御身を捧げてくださっている証拠です。臭くも、汚くもありません」
そう言って、アナスタシアはマルグリットの右腕を優しく包み込んだ。
しかし、それだけでも痛かった。マルグリットは声を上げることは耐えたが、苦悶の表情を隠すことが出来なかった。
気づいたアナスタシアが言う。
「ごめんなさい、マルー。触れられただけでも痛いのですね。それではゆっくりと、ほどいていきますね」
「いいえ。ほどくのではなく、一思いに剥がしてちょうだい。痛いけれど、その方が一瞬。魔瘴気の傷は、どうせこの後、陽の光を浴びれば良くなるから」
「……っ!」
アナスタシアは身をすくめた。ただ触れただけであの苦悶の表情であったのだ。爛れ、腐り、溶け、漏出液で張り付いた包帯を一思いに剥がす。その痛みを想像し、言葉を返すことが出来なかった。
「大丈夫よ、アナ。慣れているから。けれど多分悲鳴は上げてしまうと思う。それは、優しい貴女にはきっとつらいことだと思うけれど、慣れてちょうだい。それが、貴女の仕事だから」
「わかり、ました」
アナスタシアは覚悟を決め、マルグリットの包帯をはがし始めた。
序盤は問題が無かった。ただ、漏出液で黄色く固まっていただけで、まだ腐っていない部位だったからだ。
中盤に差し掛かる頃、マルグリットの呼吸が荒くなる。
そして終盤、腐り落ちているであろう患部から包帯を強引に引きはがす時には、マルグリットは痛みに耐えかね叫んでいた。
「ああああああ!!」
包帯には腐った肉片がへばりつき、露出した患部は爛れ、赤くなっていた。
「マルー、すぐに表に出ましょう。陽の光を浴びないと」
「ええ、お願い。連れて行って」
アナスタシアはすぐさまマルグリットを揺り椅子に乗せると、初めて会った庭へと連れだしていった。
「数刻もすれば傷は癒えるから、その後着替えさせてもらえるかしら」
傷が痛むのだろう。蒼白な表情をしたマルグリットは、それでも気丈に、アナスタシアへと日常の説明を続けた。
「あと、新しく欲しいものは連絡用の書簡に書いておけば、すぐに置かれるわ。でも、シーツや寝巻など寝具の洗濯については、貴女の仕事なの。腐った包帯とか、もう使えないものは炉で焼いて。頼めるかしら?」
「お洗濯は慣れています。マルー、おそばを離れても良いですか?」
「ええ。この時間は1人で陽を浴びて過ごすから、大丈夫。あ、ごめんなさい。まずは貴方のほうの確認ね」
「わたくし、ですか?」
「モニカも、最後まで尽くしてくれたけれど、昨日話した通り、先代から続いて3年で駄目になって、貴女が来る前日にここを出て行った。最後まで、私の事を心配しながらね」
「はい。わたくしも、きっと同じ気持ちです」
「話の進め方、間違えちゃった。私が聞きたかったのはアナ、貴女の身体に変化はない? 一晩くらいじゃまだ大丈夫かしら。個人差もあるかもしれないし」
「はい。あまり深く眠らないようにしたので、少し眠くはありますが、マルーの毒の影響は一切……」
「それは嬉しい知らせね。貴女と、長く一緒に過ごせたら、それは素晴らしいことだわ」
マルグリットは、仮にアナスタシアが長く耐えたとしても、自分自身は5年も持たないであろうことはわかっていた。気丈な娘であった。
「ええ。わたくしが腐り落ちるまで、たとえ貴女が先に朽ち果てようとも、共にいます」
「そうね。どちらが長生きできるか、勝負ね」
マルグリットはそう言って屈託なく笑い、アナスタシアは朝の勤めを始めた。
アナスタシアが洗濯を終えて庭までシーツを干しに来る頃、日はかなり高くなっていた。
「アナ、お腹が空いたわ。昨日と同じ保存食で良いから、出して貰える? あまり食事にこだわりはないの。あ、貴女が食べたいものがあったら、書簡に好きに書いて良いわよ」
「わかりました。すぐにお持ちしますね。そのまま椅子で食べられますか?」
「ええ。肘掛けの所に、銀盆ごとおいてくれればいいから。飲み物は、まだ有れば柑橘系が良いわ。夏になると甘い飲み物は手に入れにくくなるしね」
「そうですね。夏はものが痛みやすいですから。すぐに確認してきますね」
そういってアナスタシアは食糧庫を確認しにいった。
腐臭は特にせず、少し探せばしっかりと蓋をされた果実水を見つけることが出来た。
指示通り、銀盆にパンと干し肉、そして果実水を乗せ、マルグリットの元へ戻った。
「お待たせしました、マルー。こちらを」
「ありがとう、アナ。あなたも、好きなものを食べてね。まだ、一人で食べられるから。それと、お昼も夜も何でも良いわ。貴女が食べたいものを私も食べるから」
「マルーは好き嫌いの無い良い子なのですね。一緒に、何か好きな食べ物を探しましょう。折角、何でも手に入るのですから」
そういって、アナスタシアはマルグリットの頭を撫でた。もう、王族に対して失礼かもしれないだとか、そういった考えは特に浮かばなかった。ただこの愛しくも儚い聖女が気に入る食事を探してあげたいと、そう思っていた。
マルグリットは撫でられる心地よさに目を細め、アナスタシアを見上げた。
「アナ、貴女は本当に素敵ね。食事中にはしたないけれど、抱きしめさせて欲しいわ」
「ええ、貴女がそう望むのであれば、もちろん」
アナスタシアは揺り椅子の傍らで身を屈め、マルグリットはそれに抱き着いた。いい香りがすると、互いに思った。
一頻りお互いを確かめ合った後、二人は離れ、マルグリットは食事を再開した。
アナスタシアはまた食糧庫に戻り、昼食として使える食材を選びながら、自身の朝食も選んだ。
あまりマルグリットから離れていたくはないので、心の中でレヘム神に祈りながら、パンを咥えながら昼食の仕込みを進めた。
あの様子からすると、食事に頓着の無いマルグリットは干し肉ばかり食べているのだろうと考え、野菜のスープと、チーズのリゾットを用意することにした。
次いで書簡に、衣類の補充と、可能であれば魚の補充の要望を出し、マルグリットの健康状態を記入する。
――ああ、そういえば、あの味はとても美味しかった。
最後に、屋台の牛串を希望する旨を記載し、連絡口にそれを置いた。
* * *
屋台の中年店主は、現れた馬車と、そこから出て来た身なりの良い女中に驚いた。
領主の使いではない。おそらく王宮の使いだと思った。
「こちらの牛串を――」
「へ、へぇ。でも王都までは持たないかもしれませんぜ」
「構いません。それはこちらが判断することです」
「では、こちらを」
困惑しながらも店主は牛串を渡した。
女中は紙の袋にそれを入れ、更に革袋に入れた。
「ありがとうございます。ではお代はこれを。釣りは教会へとお納めください」
用は済んだと言わんばかりに、すぐに馬車は元来た道を戻っていった。
残された店主が渡された貨幣を確認すると、牛串代としてはあまりにも多かった。
店主は一週間ほど前にふらりと現れた美しい娘を思い出し、これを臨時収入にするのではなく、教会へのお布施とすることにした。
「レヘム神様、今後ともどうぞご贔屓に」
大した信仰心など持たぬ店主であった。その小声の祈りは宙を揺蕩い、すぐに消えた。
もはや作者とて軽口を語る舌を持たぬ。




