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【完結済】この子は霊感は無いと言われもう五年、いやいやこれはさすがにヤバい  作者: かぶんす


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第九話:週末の学食と、不穏な影

そして迎えた金曜日のお昼休み。

キャンパス内で最も混雑する、中央食堂(学食)の片隅。

俺は事前にサークルの後輩である佐々木ひまりと連絡を取り合い、比較的騒がしくない、奥まった四人掛けのテーブル席を確保して二人を待っていた。


お昼時の学食は、注文を待つ長蛇の列と、トレイを持った学生たち、そして騒がしい雑談の声で満ちている。この喧騒の中なら、多少デリケートな話をしても周囲に聞き耳を立てられる心配はない。


「あ、進藤先輩! こっちです、お待たせしました!」


人混みをかき分けるようにして、ひまりの声が聞こえた。

振り返ると、ひまりが小走りでこちらに向かってくる。その後ろに、少し俯き加減で、おずおずとついてくる女の子の姿があった。


「お疲れ、ひまり。席、ここ確保しておいたよ」


「ありがとうございます! ……ほら、葵ちゃん、こちらの席だよ」


ひまりが優しく促すと、その女の子は小さく頭を下げ、ゆっくりと顔を上げた。

まだ少し顔色は悪く、目の下には薄いクマがある。だが、その顔をはっきりと見た瞬間、俺の脳裏に昨日の「大階段での記憶」が鮮烈に蘇った。


(あ……! 昨日、階段から落ちてきた――)


俺が声を失っていると、女の子の方も俺の顔を見て、ぱちりと大きな目を見開いた。


「え……? あっ、昨日の……!」


彼女は驚きに声を弾ませ、両手を口元に当てた。


「えっ、なになに!? 二人とも、知り合いだったの!?」

間に挟まれたひまりが、俺と彼女の顔を交互に見つめながら、目を白黒させて驚いている。


「いや、知り合いっていうか……昨日さ、講義に向かう途中の三号館の大階段で、急に倒れて落ちてきた女の子がいたんだよ。俺がとっさに受け止めて、近くにいた水瀬さんって子と一緒に保健室に運んだんだけど……それが、彼女だったんだな」


俺の説明を聞いて、ひまりは「えええええっ!?」と学食の喧騒を突き抜けるような大声を上げた。すぐに「あ、ごめんなさい」と慌てて口元を両手で塞ぐ。


「そ、そんなことあったんだ……! 葵ちゃん、昨日貧血で倒れて保健室で寝てたって言ってたけど、助けてくれた『親切な先輩』って、まさか進藤先輩だったの!?」


「はい……そうです」

女の子――市川葵さんは、恥ずかしそうに頬を少しだけ赤く染め、改めて俺に向かって深々と頭を下げた。


「昨日は、本当にありがとうございました。自分の名前も名乗らずに、お礼もまともに言えなくてすみません。人文学部一年の、市川葵です」


「いや、気にしないで。体調はもう大丈夫?」


「はい、おかげさまで。少し休んだら歩けるようになりました。……実は、ひまりから『頼りになる先輩がいる』って相談を持ちかけられた時、個人的な悩みだし、オカルトサークルの人に見せるなんて騙されてるんじゃないかって、直前まで相談するのをすごく迷っていたんです」


葵さんは少し自嘲気味に微笑んだ後、まっすぐ俺の目を見つめて言った。


「でも、昨日のあんな大変な時に、私のことを一番に気遣って、嫌な顔一つせず保健室まで運んでくれた進藤さんなら……絶対に信用できます。進藤さんだからこそ、全部お話ししたいって思いました。よろしくお願いします」


彼女の濁りのない、まっすぐな瞳。

昨日のアクシデントが、結果的に彼女の心の障壁を完全に取り払ってくれたようだった。俺は、巻き込んでしまった遥にも改めて心の中で感謝しつつ、姿勢を正した。


「分かった。市川さんの力になれるかは分からないけど、普通の大学生としての目線で、精一杯話を聞くよ。それで、そのアパートで起きていることなんだけど……具体的に、どんなことが起きているのか教えてもらえる?」


俺がそう促すと、葵さんは小さく唾を飲み込み、記憶を手繰り寄せるようにぽつりぽつりと話し始めた。


「……私の部屋は、大学から少し離れた場所にある古いアパートの二階なんです。異変が起き始めたのは、先月の九月の半ば頃、実家から京都に戻ってきて少し経ってからでした」


彼女の表情が、一気に曇っていく。


「深夜、部屋が静まり返ると、天井のあたりから『パキッ』という、木が弾けるような高い音が何度も聞こえてくるんです。最初はただの家鳴りかなって思おうとしたんですけど、最近はそれがだんだん激しくなってきて……」


「家鳴りか。木造や、新築でも温度変化で音は鳴るけど、古いアパートだと確かに気になるな。それだけじゃないんだよね?」


「はい……。それだけなら、まだ我慢できたんです。でも、壁の向こうから、時々『コン、コン……』って、誰かが指の関節で軽くノックするような音が聞こえてくるんです。私の部屋は角部屋なので、その壁の向こうは外なんです。ベランダがあるわけでもない、ただのコンクリートの壁なんです。なのに、そこからノックされる音がして……」


壁からのノック音。

莉子さんの時の、ベッドの隙間の闇を思い出し、背筋にわずかな寒気が走る。


「あと、ストーカーを疑うきっかけになった音が、もう一つあって……」


葵さんは声を極限まで落とした。


「周りの音が完全に静まり返った深夜に、耳をすますと、部屋のどこかから『ジジジ……』とか『チリチリ……』っていう、すごく小さな機械の雑音みたいな音が聞こえてくるんです。まるで、何かが盗聴器とか、隠しカメラみたいに電波を拾ってノイズを出しているような音が……」


「機械音……? それは、確かに不気味だな。コンセントの周りとか、電化製品から鳴ってる可能性はあるけど」


「そう思って、コンセントを全部抜いてみた日もあるんです。でも、やっぱりどこからか『ジジジ……』って音が聞こえてきて。……実は私、今年の春に入学してから、夏休みに入るまでは一人暮らしがすごく寂しくて。部屋にいる時は、ずっとベッドの枕元でスマートフォンからお気に入りの音楽を流しっぱなしにしてたんです」


「なるほど。じゃあ、その頃は音楽のせいで、音が鳴っていても気づかなかった可能性があるってことか」


「はい。夏休みに実家に帰省して、少し一人暮らしにも慣れたから、秋からは音楽なしで、静かに寝ようと思い始めて……。それから急に、今まで気づかなかった音が、一気に全部気になり始めちゃったんです。気にし始めたら、もう怖くて眠れなくて……」


葵さんは怯えたように自分の腕を抱きしめた。


「一昨日なんて、ついに深夜に『ドア』の方からトントンってノック音が聞こえたんです。今度こそストーカーだと思って、息を殺して玄関のドアに近づいて、のぞき穴から外を覗いたんです。でも……」


「誰もいなかった?」


「はい。廊下の電気はついていたのに、誰もいませんでした。階段を駆け下りるような足音もしなくて……」


葵さんの肩が小さく震える。


「それから、夜に家に帰る時、後ろに誰かがいるんじゃないかって、ずっと怖くてたまらなくなりました。できるだけ、街灯の明るい道を選んで帰るようにはしているんです。でも、私の住んでいるアパート、大きな公園のすぐ横にある建物なんです。……夕方になって暗くなると、その公園の周りは、急に人通りが極端に少なくなっちゃうから……」


深夜の不可解なノック音、壁の向こうからの音、そして正体不明の「ジジジ」という機械的なノイズ。

怪異現象とも、あるいは悪質なストーカーの悪戯とも取れる、あまりにも不穏な状況。


「公園の、横か……」


俺は腕を組み、深く考え込んだ。

京都の古いアパート、そして大きな公園の横。そのロケーションを聞いただけで、何やら良からぬ『気配』が脳裏をかすめる。


霊感ゼロの俺の生存本能が、静かに、しかし確かに、再びざわつき始めていた。

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