第七話:新しい相談者と、怪異の足音
第二章? 市川葵編を書いてみました。
「進藤先輩、ちょっと、お話があるんですけど……」
十月のよく晴れた昼下がり。大学のキャンパス内にある木漏れ日の差し込むテラス席で、俺はサークルの後輩である佐々木ひまりに呼び止められていた。
ひまりは俺が所属する『現代仏教文化研究会』のアイドル的存在で、いつもは小動物のように愛らしい笑顔を見せてくれる。だが、今日に限ってはどこか硬い、妙に神妙な面持ちをしていた。
「どうしたんだ、ひまり。そんな真面目な顔して」
「あ、はい。実は……私の友達のことで、先輩に相談に乗ってほしいことがあって。名前はちょっと、その子のプライバシーもあるのでまだ出せないんですけど……」
ひまりは左右を気にしながら、声をさらに一段と潜めて話し始めた。
「その子、市川葵ちゃんって言うんですけど――あ、名前言っちゃった。まあいいか、先輩なら信頼できるし。葵ちゃん、今年の春に入学してから半年が経った頃から、自分のアパートの『物音』が気になり始めたみたいなんです」
「物音?」
「はい。最初は上の階の人の生活音かなって思ってたらしいんですけど、だんだん音が激しくなってきて……。夜中に、誰もいないはずの壁の向こうからコンコンって叩く音がしたり、天井から何かが引きずられるような音が聞こえたり。最近はストーカーにつけ狙われているのか、それとも、心霊現象なのかって思い詰めて、ストレスでご飯も食べられなくなって、すっかり体調を崩しちゃってるんです」
ひまりの大きな瞳に、本気の心配の色が浮かんでいる。
俺は腕を組み、冷えかけたペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「……ストーカーにしろ心霊現象にしろ、ちょっと厄介だな。でも、それなら警察とか、不動産屋にまず相談した方がいい案件なんじゃないか?」
「それが、警察に相談しても『実害がないと動けない』って言われちゃったらしくて……。それで、私が宮田先輩に何気なくそのことを話したら、『そういう問題の解決なら、身近にめちゃくちゃ得意なやつがいるぞ』って言われたんです」
――宮田の大地め、また余計なフラグを立てやがったな。
あの金髪の顔広合コン野郎の顔が脳裏をよぎる。
「宮田先輩、先輩の名前は伏せるっていう約束で『サークルの、とある頼れる先輩』ってことだけ教えてくれたんです。……進藤先輩、その、もし本当に『そっち側』の話だったとしたら、相談に乗ってもらうことって……できますか?」
ひまりは、すがるような茶色い瞳で俺を見つめてくる。
俺は小さくため息をつきつつ、先月起こった「ある出来事」を思い出していた。
他校の女子大生、九条莉子さんの部屋で起こったあの怪現象。
壁全面を埋め尽くすギタリストのポスター、そしてベッドの足元に敷き詰められた鴨川の石。
霊感ゼロのはずの俺の生存本能が「ヤバい」と叫び、結果的にその石とポスターを物理的に片付けたことで、莉子さんの頭痛と肩こりは完全に消え去った。
俺は自称・霊感ゼロだ。中学二年の秋、高名な霊能者に「この子にはそっちの才能は綺麗さっぱり無い」と太鼓判を押されている。
だが、あの部屋で感じた、心臓を直接冷たい手で握られるような恐ろしい感覚は本物だった。俺には見えないが、どういうわけか「部屋のヤバさ」を本能で察知することはできるらしい。
「ひまり。お前、宮田からどこまで聞いてる?」
「え? ええと……『先月、他校の巨乳女子大生を怪異から救って、その妹ともルインを交換するくらい仲良くなったらしい』って……」
「あいつ、情報に余計な色を付け加えすぎだろ」
俺は額を押さえた。莉子さんの胸が大きかったのも、妹の柚葉さんと連絡先を交換したのも事実だが、決して下心だけで動いたわけじゃない。命の危険すら感じるほどの寒気があの部屋に満ちていたから、仕方なくだ。
俺は改めてひまりに、先月の莉子さんの件の経緯を大まかに説明した。
怪異を退治したわけではないこと。部屋の環境を整え、おかしな「いわく付きの石」を片付けたら、体調不良が治ったこと。
俺自身に特別な霊能力なんてないということを、隠さずに話した。
「……ってわけだ。俺にできるのは、その子の部屋の環境を見て、常識的なアドバイスをするくらい。それでもいいか?」
ひまりは真剣な表情で俺の話を聞いていたが、説明が終わると、ふわりと表情を和らげた。
「はい! 先輩がそうやって真面目に、莉子さんって人を助けようとしたこと、すごくよく分かりました。……やっぱり、先輩は信用できる人です。葵ちゃんに、先輩を紹介しても大丈夫だって確信できました」
「信用してもらえるなら光栄だよ。……分かった、その市川さんって子にも一応『怪しい霊能者じゃない、ただの普通の大学生が話を聞くだけだ』って了承を得ておいてくれ。週末の金曜日、学食で一度話をしてみよう」
「ありがとうございます、先輩! すぐに葵ちゃんに連絡してみますね!」
ひまりは嬉しそうにスマホを取り出し、素早い手つきでメッセージを送り始めた。
その弾むような様子を見ていると、俺の胸の中の警戒心も少しずつ解けていくような気がした。
だが、この時、俺はまだ気づいていなかった。
第二の怪異へのカウントダウンは、すでに俺のすぐ近くで始まっていたのだということに。




