第二十話:放課後の部室と、宮田が持ち込んだ「呪いの楽器」
「――でね、先輩。私、思ったんですよ」
週が明けた月曜日の放課後。
西日が優しく差し込む『現代仏教文化研究会』の部室で、俺の目の前でお茶をすするひまりが、じとーっとした目を向けてきた。
「何をだよ。お茶淹れてくれたのはありがたいけど、その目が怖いんだけど」
「先週、宮田先輩と御堂先輩から、散々学食でいじられたって言ってたじゃないですか。莉子さんたちのこととか、遥さんのこととか」
「あ、ああ……まあ、男三人で講義のグループワークをやることになってさ。その流れで、ちょっとデマを大げさに盛られて突っつかれただけだよ」
「デマですかねぇ?」
ひまりは、湯呑みをテーブルにコトッと置くと、身を乗り出してきた。
「火のないところに煙は立たないって言います! 先輩の周り、最近明らかに『女難の相』ってやつがカンストしてますよ。遥さんの弁護士事務所の件だって、結局二人きりで夜のオフィスに乗り込んで、あんなことやこんなこと……」
「どんなことだよ! だから、ただの超低周波音と、排水管の共鳴トラブルを直しただけだって何度も言ってるだろ! 物理だよ、100%物理!」
「そうですけど! でも、遥さんからお礼のフレンチに誘われて鼻の下を伸ばしてたのは事実じゃないですか! 葵ちゃんだって、新居の片付けのお礼に手料理振る舞うってルインしてたみたいですし……。もう、先輩は本当に、無自覚に網を広げすぎなんです!」
ぷくーっと頬を膨らませて怒るひまり。その姿はいかにも後輩らしくて可愛らしいのだが、追求の鋭さはどの怪異よりも心臓に悪い。
俺が冷や汗を拭いながら、なんとか話題を逸らそうと言葉を探していた、まさにその時だった。
ガラガラガラッ!!
部室の引き戸が、壊れんばかりの勢いで激しく弾け飛んだ。
「お、おい駆っ! 助けてくれ、お前しかいないんだ!!」
「うわっ!? びっくりした……」
飛び込んできたのは、息をゼェゼェと切らせた宮田だった。額にはびっしょりと汗をかいており、いつもはセットされている髪の毛もボサボサに乱れている。お調子者の宮田が、ここまで取り乱している姿は滅多に見ない。
「宮田先輩? どうしたんですか、そんなに慌てて。また講義の代返の頼みですか?」
ひまりが呆れたように眉をひそめる。
「違う! 代返なんかじゃねえ! もっとこう、人命に関わるヤバい相談だ!」
宮田は俺の前に回り込むと、ガシッと俺の両肩を掴んで揺さぶった。
「駆、お前、怪異を物理的にお片付けするのが得意だよな!? あの莉子さんのポスター呪い(仮)も、市川さんの天井裏ネズミ騒動も、全部お前がサクッと解決したって聞いたぞ!」
「いや、お片付けっていうか、普通に原因を見つけて対処しただけだけど……」
「それだよ! その超常現象を暴く『何でも屋』みたいなスキルが今、どうしても必要なんだ! 軽音部の、俺の超お気に入りのマドンナが、本気で呪いに殺されそうになってるんだよ!」
「……軽音部? マドンナ?」
その単語を聞いた瞬間、ひまりの背後に、黒いオーラのような「ジェラシーレーダー」がピキピキと立ち上るのが見えた。
「ちょっと、宮田先輩。いま、さらっと『マドンナ』って言いました?」
「おう! 軽音部3年のベース担当、支倉結衣先輩だよ! 黒髪ショートカットで、スレンダーで、スタイルが異次元に抜群な、学内でも有名なロック系の中性的美女だ! 普段はライダースジャケットにショートパンツとか履いてて、目のやり場に困るくらいエロ格好いい人なんだよ!」
宮田は拳を握りしめ、熱っぽく語る。
「……ふぅん。黒髪ショートのスレンダー美女、ですか。しかも露出度高めのロック女子」
ひまりのトーンが、急速に低くなっていく。
「先輩。また、新しい美少女ですか。本当に、どこからそんなに湧いて出てくるんですか?」
「俺に言うなよ! 相談を持ってきたのは宮田だろ!」
俺は慌てて手を振って否定する。
「それで、宮田。その支倉先輩が、何に悩まされてるんだ?」
宮田は、部室の椅子を引っ張ってきてドカッと座ると、声を潜めて話し始めた。
「実はな、結衣先輩が、最近手に入れた『ヴィンテージのオールドベース』があるんだ。1960年代のやつで、見た目もすごく渋くて格好いいんだけど……それを持って、地下の個人練習スタジオにこもって弾き始めると、決まって『おかしな現象』が起きるらしいんだよ」
「おかしな現象?」
「ああ。先輩がベースをアンプに繋いでジャカジャカ弾き始めると、数分もしないうちに、急に胸のあたりが苦しくなって、まるで『目に見えない何かに、後ろから首を絞められているような息苦しさ』に襲われるんだって。さらに、ベースの金属パーツや弦に触れると、手のひらや指先がちりちりとピリピリと……まるで『呪いの電気』が這い上がってくるみたいに痛むらしいんだ」
「息苦しさと、指先のピリピリ感……」
俺は腕を組み、宮田の話を脳内で整理する。
首を絞められるような息苦しさに、体に走るピリピリとした不快感。いかにもオカルトな「呪いの楽器」といった風情だが、俺の生存本能は、莉子さんの部屋の時のような本物の悪霊に対する警報を鳴らしてはいなかった。
「それって、ただの体調不良とか、スタジオの空気が悪いだけじゃないのか?」
「俺も最初はそう思ったんだよ! でも、先輩が他のベースを弾いている時は、全くそんなこと起きないんだ。その、新しく買ったヴィンテージベースを、大学近くの地下スタジオで弾く時だけ、ピンポイントでその怪異が発生するんだって。結衣先輩、本当に怯えちゃって、最近は練習もまともにできなくて、顔色もすごく悪くてさ……」
宮田は縋るような目で俺を見つめる。
「駆、お願いだ。俺、結衣先輩に頼りにされたくて、『俺のツレに、そういうオカルトとか怪奇現象を綺麗さっぱりお片付けできる、すごい専門家がいます!』って大見得切っちゃったんだよ! 一緒にスタジオに行って、そのベースの呪いってやつを暴いてくれ!」
「お前、勝手にハードル上げるなよ……」
俺はため息をついた。
だが、宮田の言う通り、もしその先輩が本当に身体的な苦痛を覚えて練習できなくなっているのだとしたら、放置しておくのは忍びない。
「……分かった。そこまで言うなら、一度そのスタジオに行って、ベースを見せてもらうよ」
「本当かっ!? よっしゃ、持つべきものは頼れる親友だな!」
宮田が嬉しそうに飛び上がる。
「――ちょっと待ってください。私も行きます」
不意に、ひまりがすっと立ち上がり、俺と宮田の間に割り込んできた。その瞳には、並々ならぬ決意の光が宿っている。
「え? ひまりちゃんも来るの? 別に遊びじゃないんだけど……」
宮田が不思議そうに小首を傾げる。
「遊びじゃないから行くんです! その『スレンダーでスタイル抜群の中性的ロック美女先輩』が、恐怖に怯えるあまり、ドサクサに紛れて駆先輩にしがみついたり、身体を密着させたりしないように、私が現代仏教文化研究会の『公式な監視役兼護衛』として、同行する必要があります!」
「どんな理由だよ……。お化けが怖いんじゃなかったのか?」
俺が苦笑いしながら突っ込む。
「お化けは、そ、そりゃあ怖いですけど! でも、それ以上に先輩がこれ以上女難を増やす方が、私にとっては一大事なんです! だから、私も絶対についていきます!」
ひまりは胸を張り、一歩も引かない構えだ。
結局、俺、宮田、そして監視役のひまりの三人で、その結衣先輩が個人練習に使っているという、大学近くの「地下スタジオ」へ向かうことになった。
「じゃあ、結衣先輩には今から行くってルインしておくからな! 駆、頼んだぞ!」
携帯画面をいじりながら先行する宮田の後ろ姿を見送りつつ、俺は胸の中に微かな引っかかりを覚えていた。
「首を絞められるような息苦しさ」と「指先のピリピリ」。
そのオカルトな皮を被った怪奇現象の奥底に、何か、人間にとって非常に有害な『現実のトラブル』が潜んでいるのではないかと、俺の生存本能が静かに、注意深く働き始めていた。




