第七章 地下密室と太古の契約
轟音が雲中坊市の上空を駆け巡っていた。
第二波となる幽青色の光柱は、まるで頭上に吊るされたダモクレスの剣のように、第七街区全体をいつでも完全に消し去れるほどの圧力を放っている。
「古い脚本をひっくり返す? 言うのは簡単ね」
墨清は血の滲む肩を押さえながら、林野を見つめた。
どこか飄々としている。
なのに、その奥には狂気じみたものすら感じさせる。
そんな林野の姿を見て、墨清は苦笑しながら首を横に振った。
「あれは至高編劇会の『究極フォーマット』よ」
「正式な修行すら終えていない私たち二人のような散修なんて、言うまでもない」
「上宗のあの老怪物たちでさえ、正面からぶつかれば、待っているのは神魂も肉体も消え去る結末だけ」
「何を怖がってるんだ?」
林野は肩の痛みに顔をしかめながら、それでも平然と言った。
「まだ家賃を全部取り終わってないんだぞ」
「天がこの土地を取り上げたいっていうなら――」
林野は懐から墨の香りを漂わせる欠けた書頁を取り出し、掌の中で軽く弄んだ。
「まず、この店の店主に聞いてからにしてもらわないとな」
その時だった。
書斎の奥。
長年にわたって古い雑物が積み重ねられていた木製のカウンターから――
ゴトン。
低く、重い機械音が響いた。
「カチッ」
次の瞬間。
カウンターの下にある床が、左右へゆっくりと滑り始めた。
その下から現れたのは――
深く暗い地下への石階段だった。
乾いていて、古く。
そして、どこか太古の荒涼とした気配を帯びた霊気が、地下から一気に吹き上がってくる。
坊市の外を覆う、冷たく残酷な高次元の気配とは、まるで正反対だった。
墨清は驚き、手にした半分に折れた長剣を反射的に胸の前へ構えた。
「これは……?」
「たぶん、前の大家が残していったへそくりか、表に出せない物置だろ」
林野は眉を上げる。
そして、ためらいなく油灯に火を灯した。
「行こう」
「外じゃ、あの白磁の仮面を被った連中が、家を一軒ずつぶち破ってるんだ」
「ここで大人しく死ぬのは、俺の趣味じゃない」
二人は一人ずつ、石階段を下りていった。
林野が手にした油灯の光が、地下の壁を照らしていく。
その光景を目にした瞬間――
墨清は思わず息を呑んだ。
ここは、普通の書斎の地下室などではない。
そこに広がっていたのは、想像を遥かに超える広さを持つ――
太古の密室だった。
四方の石壁には、無数の古代文字が刻まれている。
その一文字一文字が、淡い金色の光を流すように明滅していた。
そして、密室の中央。
そこには――
無数の歯車と半透明の書頁が複雑に絡み合って形作られた、巨大な羅盤が宙に浮かんでいた。
その中央には。
一本の剣の柄が、静かに突き立っている。
そこからは、眩いばかりの金色の光が放たれていた。
「これは……」
墨清の声が震えた。
「初代『無名聖剣』の基座!?」
「そんな……」
彼女は信じられないものを見るように、目を見開いた。
「伝説では、第一部で因果網が崩壊した時――」
「初代の守護者が残した『世界の錨』だと言われている」
「どうして、こんな雲中坊市の底層にある書斎の地下なんかに……?」
林野には、墨清が口にしている壮大な話のほとんどが理解できなかった。
だが。
中央の羅盤へ近づいた瞬間。
林野の脳の奥に存在する、あの刃なき聖剣が――
歓喜するように、激しい龍吟を響かせた。
まるで――
こここそが、自分の本当の「主戦場」だと言っているかのように。
「誰が残したものだろうが、知ったこっちゃない」
林野は羅盤の前まで歩いていく。
そして、残された剣の柄を見つめながら、口元を歪めて笑った。
「俺が出会った以上――」
「俺のルールに従ってもらう」
一切の迷いはなかった。
林野は右手を伸ばす。
そして、その巨大な歯車羅盤へ手のひらを押し当てた。
轟――!!!
その瞬間。
密室の四方に刻まれていた古代文字が、一斉に燃え上がった。
金色の光が一本の巨大な光柱へと変わる。
それは地下密室から天を貫き――
地上の浮世書斎そのものを、強引に空中へと押し上げた。
ズンッ――!
地上では。
浮世書斎へ強行突入しようとしていた編劇会の執行者たちが、目の前の光景に驚愕していた。
つい先ほどまで、崩れかけた街角の古書店だった建物。
それが今や――
金色の文字が流れる、巨大な空中要塞へと姿を変えていた。
地下密室。
林野は振り返った。
隣で、驚きのあまり言葉を失っている墨清を見る。
そして、手にした油灯を軽く揺らした。
その顔には、眩しいほど自信に満ちた笑みが浮かんでいる。
「よし」
「客人のお嬢さん」
「これで俺たちの防御システムもアップグレード完了だ」
林野はニヤリと笑った。
「次は――」
「外にいる、勝手に脚本を書き換えるのが大好きな連中と……」
「門枠を壊した分の勘定でも、しっかりつけに行こうか」




