第八章 空中書斎の反撃
轟隆隆――!
巨大な歯車羅盤の轟音とともに、「浮世書斎」そのものが地面から離れた。
灼熱の金色の光柱に支えられながら、書斎はゆっくりと第七街区の上空へと浮かび上がっていく。
崩れかけていた木造の壁は、金色の光に包まれながら再構成され、さらに外側へと伸びていった。
やがてそれは――
高空に浮かぶ、古びていながらも威厳に満ちた巨大な空中要塞へと姿を変えた。
第七街区に残された散修や一般の住民たちは、あちこちの瓦礫の陰に身を隠しながら、目を見開いてその光景を見上げていた。
彼らの目には、普段なら誰も気に留めないような、あの寂れた小さな書店が――
まるで太古の神話から蘇った巨大な獣のように見えていた。
「こ……これは、一体どんな妖術だ!?」
地上では、先ほど部隊を率いて包囲してきた編劇会の上級執行者たちの顔色が一変していた。
手にした幽青色の長戟が激しく震える。
それまで安定していた因果感知網が、空中書斎から放たれる金色の文字を前にして、広範囲にわたって崩壊し始めていた。
「妖術なんかじゃない」
浮遊する書斎の、壊れた門枠の前。
林野は片手に、先ほど再び形を取り戻した刃なき聖剣を握っていた。
衣服は吹き荒れる風に激しくはためいている。
彼は高所から地上の白磁の仮面をつけた執行者たちを見下ろし、口元にどこか面白がるような笑みを浮かべた。
「朝っぱらから俺の門枠をぶっ壊して、家賃を取り立てる邪魔までしてくれたんだ」
「まさか第七街区には、お前らを止められる奴が誰もいないとでも思ってるのか?」
林野の隣に立つ墨清は、下で大混乱に陥っている編劇会の部隊を見下ろした。
それから、隣にいるこの向こう見ずな若い店主へと視線を向ける。
思わず苦笑が漏れた。
「あなた……騒ぎを大きくしすぎよ」
「雲中坊市の核心区にいる『審判長』は、今頃もう間違いなく、ここを特定しているわ」
「特定されたなら、ちょうどいい」
林野の目がわずかに細められた。
その瞳の奥には、熱い戦意が燃えている。
「一軒一軒探し回って、精神的損害の慰謝料を取り立てる手間が省ける」
林野は隣の墨清を見る。
「客人のお嬢さん、しっかり掴まってろよ」
そして、にやりと笑った。
「他人の生死を『脚本』なんてもので決めるのが好きらしいからな」
「今日は俺たちの書斎が――」
「字の書き方でも教えてやろうじゃないか!」
言葉が落ちると同時に、林野は手にした刃なき聖剣を勢いよく前へ振り抜いた!
轟――!
地下密室にある巨大な歯車羅盤が、耳をつんざくような咆哮を上げた。
浮遊する書斎の左右から、無数の「光翼」が轟音とともに展開される。
それは黄ばんだ古書の頁と、金色のコードが絡み合って形成された巨大な翼だった。
凄まじい圧力をまとった光翼が、地上の執行者部隊へ向かって一気に押し寄せていく!
地上の執行者たちは避けることができなかった。
「ぐおおおおっ!」
彼らは怒号を上げながら長戟を掲げ、全身の幽青色の規則の力を一気に集める。
そして、巨大な光の幕を形成し、上空から押し潰してくる空中書斎を真正面から受け止めた。
金色の烈火と幽青色のコードが、空中で激突する。
だが――
そこに凄まじい霊力の爆発は起こらなかった。
響き渡ったのは、背筋を凍らせるような――
規則同士が互いを引き裂いていく音だった。
林野は歯を食いしばった。
両手には血管が浮かび上がる。
体内に残されたすべての意志を、彼は聖剣へと注ぎ込んでいく。
その操作に呼応するように、浮世書斎から放たれた無数の金色の文字が、次々と幻の刃へと変わっていった。
そして――
幽青色の光幕に存在する、論理上の死角へと正確に突き刺さっていく。
カチャッ!
カチャッ!
澄んだ破砕音が連続して響いた。
執行者たちの防御光幕が、その場で完全に崩壊する。
最前列にいた数名の執行者たちはまともにその攻撃を受けた。
身に着けていた重装鎧が、金色の文字にさらされるたび、少しずつ崩れ落ちていく。
彼らは見る影もなく吹き飛ばされ、瓦礫の中へと激しく叩き込まれた。
一撃。
それだけで、第七街区を覆っていた危機に、ひとまず強引な突破口が開かれた。
しかし――
林野が息をつく暇すらなかった。
遠く離れた雲中坊市の核心区。
その中央高塔の頂上から、突然、まるで高次元の時空そのものから響いてきたかのような、冷たい嘲笑が聞こえた。
その声は空間の距離を完全に無視した。
そして――
坊市にいるすべての人間の脳裏へ、直接叩き込まれた。
「規則違反の物語体を――削除する」
その冷たい声が響いた瞬間。
夜空全体が、完全な静寂に包まれた墨藍色へと変わった。
雲の彼方から、一本の巨大な「審判の剣」がゆっくりと姿を現す。
それは天際全体を横断するほど巨大だった。
無数の純粋な規則コードによって構成されたその剣は、まるで天そのものを切り裂くように伸びていく。
そして――
空中の浮世書斎を、完全に捉えた。
墨清の顔が、一瞬で青ざめた。
手にしていた半分に折れた長剣が、震えるほどだった。
「それは……」
「審判長の『究極裁決』……!」
「逃げられない……」
林野は顔を上げた。
天を覆い尽くす巨大な剣。
そこから放たれる、息すらできなくなるほどの絶対的な圧力。
それを全身で感じながら――
林野は恐れるどころか、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そして、手にした刃なき聖剣を強く握り直す。
次の瞬間。
彼は隣にいる墨清へ振り向いた。
そして――
にっと笑った。
「逃げる?」
「俺たちの客人契約、まだ期限切れちゃいないだろ」
林野は天を覆う巨大な審判の剣を見上げる。
「だったら、あいつのそのボロい剣が――」
「俺の看板まで叩き斬れるか、見せてもらおうじゃないか」




