第四十八章 審判席での値段交渉
轟――!!!
林野が「正式に差し押さえてやる」と言い放った、その直後。
それまで死んだように静まり返っていた無光の海の暗闇が、まるで完全に怒りを買ったかのように激しく揺れ始めた。
凄まじい因果の狂瀾が、一気に巻き起こる。
惨白い白骨と秘銀が幾重にも組み合わされた「最終審判裁決艦」。
その中央に座す、無数の金色の法則の鎖に包まれた首席裁決長が、ゆっくりと目を開いた。
その瞳には、感情らしいものが一切ない。
ただそこには――
億万もの平行宇宙が生まれ、消えていく、恐ろしい光景だけが映し出されていた。
「無知……そして、傲慢だ」
首席裁決長の声が響く。
それは九天の彼方から押し潰してくる雷鳴のようだった。
周囲の虚空が次々と亀裂を走らせる。
「至高編劇会の絶対秩序の前では、人の世の息吹など、すべて取るに足らぬ存在にすぎない」
「契約もまた、我らが書くものだ」
首席裁決長の声が、冷たく無光の海へと落ちていく。
「それでもなお、愚かにも抗うというのなら――」
「その手にある帳簿ごと、多次元宇宙の台帳から――」
「完全に抹消してやろう」
カシャン!
カシャン、カシャン――!!
首席裁決長の言葉が終わった瞬間。
数千人の高次元審判官が、一斉に手にした因果の鎖を掲げた。
次の瞬間。
無光の海に漂っていた無数の宇宙の残骸が、まるで生命を得たかのように蠢き始める。
砕けた惑星。
断ち切られた時空。
消えかけた因果。
それらすべてが一つに絡み合い――
天を覆い、地を塞ぐほど巨大な「絶対審判の網」へと変わった。
「終焉号」そのものを。
そして、そこに存在するすべての因果を。
まとめてフォーマットしてしまおうとするほどの、凄まじい威圧が――
空一面を覆い尽くして押し寄せてきた!
「おいおい! 一言で話し合いを打ち切って、いきなり卓袱台ひっくり返すのかよ!」
レインは列車の主操舵盤を両手で必死に押さえ込んでいた。
腕の機械義肢が過負荷に耐えきれず、耳障りな悲鳴を上げている。
「林野!」
レインが叫ぶ。
「シールドがもう持たねえ!」
「こいつらの因果圧制、強すぎるぞ!」
墨清も断剣を三寸ほど抜いた。
冷たい剣罡が一輪の眩い月へと変わり、正面から押し寄せる因果の大波を必死に受け止める。
「林野!」
墨清が低い声で言った。
「狙いは列車の中枢にある二枚の原稿よ!」
「正面から受け続けるのは無理!」
その一方。
列車の隅に転がされていたカールは、この光景を目にした。
五重にも六重にも拘束されているというのに、その目には絶望と狂気じみた歓喜が浮かんでいた。
「見たか……!」
「これが至高編劇会に逆らった者の末路だ!」
「首席裁決長の絶対審判の前では――」
カールは笑い声を上げる。
「お前たちには、借金を踏み倒す客人でいる資格すらないんだ!」
だが。
これほどの最終審判の圧力を前にしても。
それだけで通常の支流なら一瞬で蒸発してしまうほどの力を前にしても――
林野は一歩も退かなかった。
それどころか。
口元を、大きく吊り上げた。
ニヤリと笑う。
次の瞬間。
林野は無刃聖剣を反対の手で掴み、列車の甲板へと勢いよく突き立てた。
ドンッ!!
そして両手で、あの分厚い帳簿を高々と掲げる。
「審判だぁ?」
林野の声が、轟音を突き破った。
「俺は店を開けて商売を始めてから、何年も経つがな!」
「まだ借金取りが口を開いてもいねえってのに、借りた側の馬鹿野郎が先に公堂を開いてるところなんざ――」
「一度も見たことがねえぞ!」
林野が吠える。
その瞬間。
体内を巡る市井の因果が、二枚の「初期原稿」の残片と一気に共鳴した。
轟――!!
素朴で。
荒々しく。
そして、人の世の息吹を濃密にまとった金色の光が、「終焉号」を中心に爆発的に広がった。
その金色の奔流が――
天を覆う「絶対審判の網」を、真正面から押し返す。
巨大な裂け目が、一気に開いた!
林野は、その裂け目へ向かって一歩踏み出す。
その目は燃えるように鋭い。
高みに座す首席裁決長を、真正面から睨みつける。
そして、その声が――
無光の海全体へと響き渡った。
「よく聞け!」
「編劇会総本部が第一紀元から今日まで、何紀元にもわたって多次元支流から滞納してきた因果霊気――」
「累計三千万兆!」
「歴史物語の著作権を強引に書き換えたことによる契約違反金――五千億!」
「さらに精神的損害賠償と延滞金――」
林野は帳簿を片手で掲げる。
「こいつは数えるのも面倒なくらい積み上がってる!」
無光の海が震えた。
首席裁決長の表情は変わらない。
だが林野は構わず続ける。
「今日ここで――」
「総勘定を全部清算するか!」
林野は無刃聖剣を引き抜いた。
キィン――!!
その切っ先が、まっすぐ首席裁決長の鼻先を指し示す。
林野の口元に、これ以上ないほど不敵な笑みが浮かんだ。
「多次元宇宙の自由な物語権限を、俺にきっちり引き渡すか……」
一拍。
そして――
「それとも!」
林野の声が、再び無光の海を震わせた。
「今日この場で――」
「俺が被害を受けた客人全員を代表して!」
「お前らのこの中央審判廷そのものを――」
「正式に破産清算してやろうじゃねえか!!」




