第三十九章 清算完了、次の行き先
轟音――!
最初の「初期原稿」の残片が、確かに林野の懐へ収まったその瞬間。
何紀元ものあいだ「機械墓場・第77区画」を覆い続けていた、あまりにも不気味な静寂が、ついに完全に破られた。
高空では、無数の廃棄衛星と廃棄物を継ぎ合わせて作られていた巨大な義体惑星が、金色の光柱に貫かれていた。
その表面に刻まれていた、錆びついた編劇会の徽章が、ひとつ、またひとつと剥がれ落ちていく。
やがてそれらは無数の光の粒となり、空気の中へ静かに溶けていった。
いつの間にか、周囲を覆っていた重苦しいネオンの雨も止んでいた。
代わりに、長いあいだ忘れられていた、どこか柔らかな温もりを含んだ朝日が、崩れかけた雲の切れ間から差し込んでくる。
光は、廃土都市の一本一本の通りを、ゆっくりと照らし出していた。
中枢鉄塔の中央。
黄銅の机の向こうに座っていた半透明の残存意識は、呆然としながら手元の巨大な総勘定帳を見つめていた。
そこには、ついさっきまで絶望で埋め尽くされていたはずの帳簿があった。
だが今は――
何も書かれていない。
ただ、柔らかな金色の光だけが、静かに漂っている。
彼を何紀元ものあいだ苦しめ続けてきた破壊債務。
高次元暗号の鎖。
永遠に帳尻の合わなかった、血のように赤い欠損。
それらがすべて。
林野のあの一太刀によって――
本当に、完全に清算されていた。
「帳簿が……平った……」
残存意識の声から、もはや以前のような掠れた機械音は感じられなかった。
そこには、解放された者だけが見せる、わずかな震えが混じっていた。
彼は空洞の光質の瞳を持ち上げ、目の前に立つ林野を見つめる。
そして、低く呟いた。
「何紀元も……だ。至高編劇会は、欠損を隠すためにフォーマット化することしか知らなかった。今まで誰一人……この不良債権を、本当の意味で『計算し切る』ことなんてできなかった」
「そりゃ、貸しがあれば返すってことを知らねえからだろ」
林野は何気なく無刃聖剣を鞘へ収めた。
そして、自分の懐にある分厚い帳簿を反対の手で軽く叩く。
そこには、新たにひとつ、金色に輝く残片の印が刻まれていた。
林野は、いつものように口元を歪めて笑った。
「この支流の帳簿が片づいた以上、今日から第77区画は正式に編劇会の不良債権一覧から外してやる」
そこで一度言葉を切り、林野はゆっくりと残存意識を見る。
「それから、お前さんは……」
次第に透明になり始めている、その姿を見ながら続けた。
「ここの古い勘定が終わったんなら、もうその重荷を下ろしていいだろ」
半透明の姿が、わずかに揺れた。
そして――
ふっと、肩の力が抜けたように笑った。
手にしていた光能の羽根ペンが、無数の星屑へと変わり、静かに空気の中へ消えていく。
それと同時に、彼自身の姿もまた、朝日の中で少しずつ純粋な因果データへと変わっていった。
そして、新しく生まれ変わった支流の空気へと溶け込んでいく。
「ありがとう……林店主」
その声には、もう苦しみの色はなかった。
「この総勘定場も……ようやく店じまいできる」
最後の残存意識が消え去る。
その瞬間。
中枢鉄塔全体が、穏やかな轟きを響かせた。
巨大な塔は無数の金色の粒子へと姿を変え、そのまま第77号支流に再構築された底層因果網へ、静かに溶け込んでいった。
「いやぁ、すげえな。ここまで来て、本当に生き返るとはな」
レインは両腕の機械義肢を収納し、手についた埃を払いながら窓の外を見た。
そこには、少しずつ生命を取り戻していく廃土都市の姿があった。
レインは思わず感心したように舌を鳴らす。
「林野。この調子なら、北境の帳簿を取り戻すだけじゃねえ。ひょっとしたら、編劇会のあの連中の身ぐるみまで、全部ひっぺがせるんじゃねえか?」
墨清は断剣を収め、遠くを見つめた。
その視線の先では、安定を取り戻しつつある時空支流の境界が、静かに揺らいでいる。
「第77区画の底層構造は、確かに再構築されたわ」
墨清は淡々と告げた。
「でも、さっきの一太刀はあまりにも大きな干渉だった。編劇会の本部が気づかないはずがない」
わずかに間を置く。
「首席裁決長が原稿を分割できるほどの存在なら、次に送り込んでくる相手は……カールのような徴収官ほど、簡単にはいかないでしょうね」
「何を怖がる必要があるんだ?」
林野が振り返った。
朝日の中に立つその顔には、いつものような軽薄さを帯びながらも、妙に揺るぎのない笑みが浮かんでいた。
腰に下げた帳簿と契約鍵を、ぽん、と叩く。
その声は静かだった。
だが、その奥には、相変わらず遠慮のない図太さがあった。
「向こうが人を送り込めば送り込むほど、こっちに対する借金が膨らむだけだろ」
林野は、口元を吊り上げた。
「行こうぜ。北境総館の転送門が、第二の残片の座標をもう捕まえてる」
そして、楽しそうに笑う。
「次は――あの高次元の金持ちどもが、いったいどれだけの『踏み倒し案件』を隠し持ってるのか、直接見に行こうじゃねえか!」
轟――!
林野が片手を振った。
その瞬間、中枢鉄塔の廃墟の上空に、新たな金色の因果軌道が轟音とともに開いた。
三人は、ためらうことなくその中へ歩み入っていく。
そして――
浮世書斎の新たな帳簿の頁が、熱を帯びた人の世の息吹をまといながら、さらに多次元宇宙の深部へ向かって、大きくめくられていった。




