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浮世書斎と未亡の刃  作者: 亀


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第三十八章 帳簿を組み直す鉄拳

轟隆――――ッ!!


林野の一声を合図に。


それまで死んだように沈黙していた中枢鉄塔内部の高次元因果網が――


一斉に強制起動した。


ビリビリビリッ!


無数の光が鉄塔の壁面を走る。


黄銅製の机の向こうに座っていた半透明の影が、空洞の光質の瞳を大きく見開いた。


目の前で。


林野が片手で、胸元の分厚い帳簿を開く。


バラバラバラッ!


すると――


一頁。


また一頁。


古びて重たい紙が、次々と書物の背から自動的に離れていった。


それらは宙へ舞い上がる。


そして――


無数の金色の光を帯びた因果の糸へと変わった。


シュルルルルッ!


無数の糸が一斉に伸びる。


向かう先は――


黄銅製の机の中央。


何重もの高次元暗号鎖によって封印された、あの真紅の座標だった。


「な、何をするつもりだ!?」


残存意識が叫ぶ。


「そこにあるのは編劇会の『絶対静止』コードだ!」


「強引に触れれば――」


「第77区画そのものが連鎖崩壊するぞ!」


林野は眉一つ動かさない。


「連鎖崩壊?」


小さく鼻で笑った。


そして――


腰の無刃聖剣を一気に抜く。


ドンッ!!


剣を床へ突き立てる。


「俺はな」


「こんなボロい店でも、ずっと商売やってきたんだ」


林野の目が鋭くなる。


「今まで、借金踏み倒した奴が――」


「俺の目の前で勝手に自爆するなんてのは、見たことねえ」


無刃聖剣から、重い因果の振動が広がっていく。


「今日、この廃土が全部バラバラになろうが――」


「この勘定だけは、一つずつ掘り起こしてやるよ!」


轟轟轟――!!


無刃聖剣に宿った「人の世の息吹」と――


北境総館から受け継いだ契約鍵が、瞬時に共鳴した。


ヴン――――ッ!!


巨大な「生活の尺度」が、真紅の暗号鎖へ真正面から叩き込まれる。


カキン!


バキッ!


ガギィィン!!


「そ、そんな……!」


残存意識が絶句する。


至高編劇会の高次元裁決長ですら解除できなかったはずの――


絶対静止コード。


それが。


まるで灼熱の炎に触れた氷のように。


目に見える速度で――


一本。


また一本。


崩れ始めた。


パキィィン!!


暗号鎖が砕ける。


「林野!」


大広間の端で、墨清の表情が変わった。


彼女には、鉄塔の外で何が起きているのかがはっきり見えていた。


「気をつけて!」


「底層の破壊ロジックが逆流している!」


轟――!


廃土都市そのものが、大きく揺れた。


道路。


高層建築。


地下の配線。


あらゆる場所から、真紅の因果亀裂が走り始める。


一本。


二本。


十本。


無数の亀裂が街路を走り、都市全体へ広がっていく。


まるで――


この世界そのものが、いつ消滅してもおかしくない状態だった。


「墨清!」


林野が叫ぶ。


「外周の因果ノードを守ってくれ!」


「一つも落とすな!」


「分かった!」


「レイン!」


林野が続けて叫ぶ。


「解体箱を全部開けろ!」


「このコードのゴミ――」


「まとめて叩き潰すぞ!」


「ははっ!」


レインが笑った。


「その言葉を待ってたんだよ!」


ガシャンッ!!


両腕の機械義肢が一斉に展開する。


内部から――


数千本もの高周波振動鋸刃が飛び出した。


ギュイイイイイイン!!


レインの身体が、一瞬で鉄の暴風へ変わる。


「うおおおおおっ!」


彼はそのまま大広間の天井へ突っ込んだ。


そこから押し寄せてくる、無数の破壊残波。


高次元の残存コード。


崩壊した法則。


編劇会が残した廃棄データ。


それらを――


真正面から物理的に引き裂いていく。


ギャギャギャギャギャッ!!


轟音が大広間を揺らす。


「こんなゴミコード――」


レインが笑う。


「全部スクラップだ!」


一方。


大広間の中央では――


林野が無刃聖剣を両手で握りしめていた。


全身の真気。


浮世書斎との因果契約。


第七街区から北境廃墟まで積み重ねてきた因果。


そして――


帳簿の中に記録された「債務」。


そのすべてを、限界まで引き出す。


しかし。


林野は破壊債務を抑え込もうとはしなかった。


むしろ――


逆に利用する。


「来い」


「全部だ」


林野の帳簿が、激しく震え始める。


「何紀元分だろうが――」


「まとめて持ってこい!」


ゴォォォォッ!!


第77区画。


この支流が何紀元にもわたって抱えてきた――


すべての「不良債権」が。


強引に林野の浮世書斎の帳簿へ流れ込んでいく。


ザァァァッ!


帳簿の頁が猛烈な速度でめくれていく。


それまで何も書かれていなかった頁に――


次々と数字が浮かび上がった。


真紅の数字。


無数の生命。


抹消された記憶。


奪われたエネルギー。


そして――


編劇会によって強制的に奪われた物語の権利。


それらすべてが――


一つの帳簿へ記録されていく。


重い。


あまりにも重い。


林野の身体が、その重さを受け止める。


「ぐっ……!」


因果反噬が一気に全身の経脈を駆け抜けた。


口元から――


赤い血が一筋、流れる。


それでも。


林野の目は――


異様なほど明るかった。


まるで、暗闇の中で燃え続ける松明のように。


「滅びを使って帳簿を消そうってか?」


林野が歯を食いしばる。


「――寝言言うな!」


怒声が響く。


「第七街区から――」


「北境廃墟まで!」


これまで積み上げてきたすべての因果が、この瞬間に爆発した。


契約。


客人。


家賃。


日常。


生きている人間たち。


そして――


それを守ろうとしてきた無数の小さな繋がり。


すべてが、林野の剣へ集まる。


林野は無刃聖剣を両手で握り直した。


そして――


解放された真紅の座標へ向けて。


真正面から。


振り下ろす。


「――――ッ!!」


轟――――――――ン!!!


その一撃に、派手な光の演出などなかった。


ただ――


帳簿が強引に整理される音。


因果そのものが、無理やり組み直される音。


それだけが、世界を震わせた。


ゴゴゴゴゴゴゴ……!!


中枢鉄塔全体が激しく揺れる。


壁面が軋む。


床が割れる。


そして――


次の瞬間。


一本の巨大な金色の光柱が、鉄塔の中心から天へ向かって突き抜けた。


ドォォォォン!!


光柱は、そのまま第77区画の空を貫く。


廃棄衛星を無理やり組み合わせて作られていた巨大な義体惑星へ到達する。


そして――


ズバァァァン!!


巨大な義体惑星が、中央から真っ二つに裂けた。


無数の衛星。


廃棄サーバー。


巨大な金属構造物。


すべてがゆっくりと分離していく。


その瞬間。


ずっと降り続けていた――


ネオンの雨が。


止まった。


……。


静寂。


鉛色の雲が、金色の光柱によって押し退けられていく。


その向こうから――


久しく誰も見たことのなかった、多次元宇宙本来の星空が姿を現した。


巨大だった。


果てがない。


そして――


静かだった。


大広間の中央。


最後の暗号鎖が――


カチン。


と音を立てて崩れ落ちた。


その内部から。


一枚の古びた原稿片が、ゆっくりと浮かび上がる。


羊皮紙のような淡い光を放っている。


林野の前まで来ると――


ふわり。


その掌へ落ちた。


その瞬間。


北境総館から受け継いだ契約鍵が――


チリン。


と、まるで喜んでいるかのような澄んだ音を響かせた。


林野は長く息を吐く。


口元の血を手の甲で拭った。


そして、手の中の「初期原稿」の残片を胸元へしまう。


視線の先。


さっきまで死んだようだった廃土支流が――


静かに呼吸を始めている。


林野は振り返った。


黄銅製の机の前。


完全に言葉を失っている半透明の残存意識へ、林野はいつものように――


ニッと笑った。


「ほらな」


帳簿を軽く叩く。


「帳簿ってのは――」


「ちゃんとやる気になって計算すりゃ、どうにかなるもんなんだよ」


そして。


肩をすくめる。


「死局だの何だの、難しく考えるな」


「ほら――」


林野は帳簿を閉じた。


「ちゃんと、帳尻が合っただろ?」

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