第二十五章 氷原を越える列車と、最初の違約金
ゴォォォン――!
まるで遠雷のような重い轟音が響き渡った。
次の瞬間。
墨黒色の重装鋼鉄と高次元の歯車が幾重にも組み合わさった巨大な列車が、雲中坊市の外縁に広がる虚空の乱流を強引に引き裂いた。
そして、第七街区の端に仮設された軌道へ、轟音とともに停車する。
北境廃墟へ向かう、唯一の特急因果列車。
その名は――。
「終焉号」。
「おいおい……」
林野は片肩に分厚い帳簿を引っかけ、手には無刃聖剣を提げたまま、鉄製の踏み板を大股で上っていく。
「審判廷の飛舟より、さらに派手じゃねえか」
その後ろには、墨清が半分に折れた断剣を背負って続いている。
雷恩は、廃墟の鉄匣を収めた巨大な黄銅箱を慎重に抱えていた。
そして最後尾には、あの頁守りの老人が、杖をつきながらゆっくりと続いていた。
ホームには――。
唖叔と張じいさんをはじめ、数十人の第七街区の住民たちが、わざわざ見送りに来ていた。
「林の坊主!」
張じいさんが、腹の底から声を張り上げる。
「北境なんて、鳥の一羽も飛ばねえような氷原に行ったからって、手加減するんじゃねえぞ!」
「取るべき家賃は、一文たりとも減らすな!」
「もしあの雪国の化け物どもが踏み倒そうとしたら――」
張じいさんは拳を振り上げた。
「剣で奴らの門ごと叩き壊してやれ!」
林野は思わず笑った。
唖叔は何も言わない。
ただ、ずっしりと重く、温かな霊気を放つ食籠を林野へそっと押しつけた。
その目には、言葉にしなくても分かる心配と、無事を願う気持ちが浮かんでいる。
林野は階段の下にいる住民たちへ手を振った。
「心配すんな!」
「北境の帳簿を全部回収して戻ってきたら――」
「第七街区の全世帯、三年間家賃免除にしてやるよ!」
「林の坊主! それ、本当に約束だぞ!」
張じいさんの声が飛んでくる。
林野は笑いながら親指を立てた。
「契約書が必要なら、帰ってから書いてやる!」
ウゥゥ――!
その時。
高く、そしてどこか寂しげな汽笛が鳴り響いた。
「終焉号」が淡い金色の蒸気と、符文の光を勢いよく吐き出す。
巨大な車体が、ゆっくりと動き始める。
そして――。
次の瞬間には、黒い流光へと変わり、光さえ凍りつくと言われる果てしない白の荒野へ、一気に突っ込んでいった。
車内は、外見からは想像できないほど広かった。
窓の外では、砕けた世界の支流が猛烈な速度で後方へ流れていく。
フォーマットされた世界の残存データが、まるで雪のように音もなく舞い落ちていた。
雷恩は黄銅の鉄匣を座席の横へしっかりと固定する。
そして、窓の外に広がる冷たい景色を眺めながら、低い声で言った。
「ここから北境廃墟の中心――」
「『初期書庫』までは、まだ三つの因果防衛線を越えなければならない」
「しかも、その第一防衛線を守っているのは――」
雷恩は一度言葉を切った。
「編劇会でも、特に容赦がないと言われている『徴収官』だ」
「徴収官?」
林野は、唖叔からもらった食籠を開けていた。
その手が、わずかに止まる。
眉を上げた。
「へえ」
「奇遇だな」
林野は肉まんを一つ取り出す。
「徴収業務なら――」
「俺だって、まだ誰かに負けた覚えはねえぞ」
墨清は隣の席に座り、頁守りから渡された破れた契約書をもう一度確認していた。
細い眉がわずかに寄る。
「契約書によれば――」
「北境の因果網が崩壊した原因は、当時『初期原稿』が強制的に半分へ引き裂かれたことにあるようです」
「北境の主権を完全に安定させるためには――」
墨清の指が、契約書の一箇所を示す。
「編劇会の『究極徴収隊』が到着する前に、失われた原稿のもう半分を見つけなければならない」
その時だった。
列車の前方。
それまで滑らかに続いていた軌道が――。
突然、大きく揺れ始めた。
ガガガガガ……!
車内全体が激しく震動する。
次の瞬間。
車内放送から、何の前触れもなく激しいノイズが流れ始めた。
ザーッ……。
そして。
冷たい、機械的な合成音が響く。
【警告:前方の因果軌道が強制ロックされました】
【未承認の不法越境列車を検知】
【至高編劇会・第一防衛線『徴収法廷』が展開されました】
【資産差し押さえ手続きを強制執行します】
轟――!!
耳をつんざくような急ブレーキ音。
終焉号の巨体が、氷原のど真ん中で一気に停止した。
林野たちの身体が前方へ大きく揺れる。
前方の防弾窓越しに見えたものは――。
果てしなく続く雪原。
その真ん中に。
無数の巨大な天秤と、白い法条によって構築された巨大な裁判所がそびえ立っていた。
「……なるほど」
林野が小さく呟く。
法廷の周囲には――。
銀白色の制服をまとった徴収衛隊が、まるで雪のように密集している。
その数は、列車全体を完全に包囲するほどだった。
雷恩が低く言う。
「来たか……」
墨清も断剣へ手を伸ばす。
頁守りの老人は、杖を強く握り締めていた。
その一方で。
林野は、まったく慌てていなかった。
唖叔からもらった肉まんの最後の一個を、ゆっくりと口へ放り込む。
もぐ、もぐ。
そして最後に手についたパンくずを払い――。
腰の無刃聖剣を、すっと抜いた。
シャッ――。
古びた剣身に、金色の光が走る。
林野は手首を軽く回した。
そして――。
いつもの、明るく危険な笑みを浮かべた。
「行くぞ、客人たち」
「同業者に挨拶しに行こうぜ」
無刃聖剣を肩に担ぐ。
「さて――」
「俺たちの何を、差し押さえるつもりなのか」
林野は笑った。
「じっくり聞かせてもらおうじゃねえか」




