↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浮世書斎と未亡の刃  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/56

第二十二章 人の世の息吹と、旧世界へのカウントダウン

パキィ――!!!


乾いた、耳をつんざくような破砕音が響き渡った。


審判長の手に握られていた、絶対的な抹消権限を象徴する「究極抹消の権杖」。


それが、第七街区の無数の民から集められた金色の人の世の息吹を前にして――。


いくつもの痛々しい亀裂を、蜘蛛の巣のように走らせた。


「……こ、こんな……あり得るはずがない!」


天空。


審判長の巨大で冷淡な虚影から、初めて抑えきれない驚愕と動揺の声が響いた。


至高編劇会の絶対的な演算論理においては――。


「取るに足らない存在」の願いなど、取るに足らない無用なデータにすぎない。


ましてや、高次元の法則そのものに物理的な損傷を与えるなど、決してあり得ないことだった。


だが――。


審判長は、あらゆる因果を計算し尽くした。


ただ一つだけ、計算に入れていなかった。


生きている人間というものは――。


最初から紙の上に書かれ、好き勝手に削除や書き換えをされる冷たいコードではない。


「……別に、不可能じゃねえよ」


絶対静止に縛られた虚空の中で、林野の声がかすかに響いた。


全身は血まみれだった。


皮膚の表面には、いまだ淡い虚化の波紋が浮かんでいる。


それでも、その瞳だけは――。


燃え盛る烈日のように、まっすぐ輝いていた。


林野は無刃聖剣を両手で強く握り締める。


そして、下方にいる数千人の街の住民たち。


彼らが浮世書斎を通じて送り込んでくる、途方もない願いの力を借りながら――。


絶対静止の法則そのものを、ほんの一寸だけ外側へと押し広げた。


「俺の店も――」


「俺の客人も――」


「それに、この街にある人の世の息吹も……」


林野の声が、次第に大きくなる。


「お前らみたいな高いところにいる『編劇』が、好き勝手に消していいもんじゃねえんだよ!」


咆哮。


その瞬間。


林野の身体に残されていたすべての気力と、最後まで折れなかった意志が、一気に爆発した。


轟――!!


無刃聖剣に刻まれていた金色の文字が、一斉に無数の光となって弾け飛ぶ。


そして――。


亀裂の走った究極抹消の権杖を伝い、逆流するように天空へと駆け上がっていった。


金色の奔流が、審判長の巨大な虚影を包み込む。


その姿が激しく揺らぐ。


高位の規則を構成していた無数のコードが、次々と剥がれ落ちていく。


崩れていく。


「規則違反……」


「究極の物語体……」


「いずれ……必ず、反動を受ける……」


審判長の声が、最後の抵抗を示すように響き渡る。


そして――。


ドォォォン!!!


天空を覆っていた巨大な虚影が、轟音とともに一気に炸裂した。


無数の氷青色の残骸へと砕け散り、それらは夜風に吹かれながら、雲の奥深くへと消えていった。


十二隻の執行飛舟の残骸を覆っていた陰鬱な気配も、完全に消え去った。


何日もの間、雲中坊市の空を覆い続けていた墨青色の雲も――。


その瞬間。


まばゆい朝の光によって、真っ二つに引き裂かれた。


第七街区。


崩れた壁と瓦礫の間に、ほんの一瞬だけ静寂が落ちる。


そして――。


次の瞬間。


街を揺るがすような歓声が、あちこちから一斉に沸き起こった。


「勝った……!」


「俺たち、勝ったんだ!」


「編劇会の役人どもを追い払ったぞ!」


張じいさんは、感極まって涙を流していた。


唖叔もまた、大きく息を吐き出す。


そして、久しぶりに見る笑顔を浮かべた。


その頃。


空中に浮かんでいた林野の身体が、わずかに揺れた。


次の瞬間――。


そのまま、高空から真っ直ぐ落下していく。


「林野!」


墨清は即座に反応した。


つま先で虚空を軽く蹴る。


その身体が一筋の光へと変わり――。


落下してくる林野を、しっかりと受け止めた。


二人はそのまま、浮世書斎の入口へと静かに降り立った。


「おい、店主。しっかりしろ」


墨清は、全身血まみれで、ほとんど力を使い果たしている林野を見つめる。


その声には、珍しく少しだけ叱るような響きと――。


隠しきれない安堵が混じっていた。


林野は壊れかけた木の扉に身体を預ける。


そして、かすかに口元を歪めて笑った。


声は弱々しい。


それでも――。


いつもの軽さだけは、まだ残っていた。


「大丈夫……」


「死にゃしねえよ……」


林野は小さく息を吐く。


「……まだ、帳簿が終わってねえからな……」


その言葉が落ちた、その瞬間だった。


浮世書斎の内部。


これまでずっと静かに浮かんでいた、あの巨大な虚構の書が――。


何の前触れもなく、ひとりでに最後の頁を開いた。


空中に、淡い金色の光を帯びた文字が一行、また一行と浮かび上がっていく。


それは――。


第二巻の終わりを告げる文字だった。


【第二巻:浮世書斎と未亡の刃・完結】


【雲中坊市・因果の錨:安定化済み】


【異世界間通行権限を解放:北境廃墟および「虚構の主」の中核遺跡】


【総評:書き換えられることを拒み続けた一軒の書斎と、決して妥協しなかった一群の客人】


【多世界を巡る逃亡劇――その序幕が、正式に開かれた】


朝の光が、狭く古びた路地の奥まで差し込んでくる。


その光は、入口の敷居に置かれた――。


ついさっき、ようやくすべて支払い終えた家賃の山を照らしていた。


林野は目を閉じた。


遠くから聞こえてくる歓声を聞きながら――。


そのまま、深い眠りへと落ちていった。


そして。


さらに遠く。


幾重もの次元を隔てた世界の彼方では――。


第三巻へと続く、まだ誰も知らない嵐が。


静かに、その時を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。